北大路機関

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【日曜特集】那覇基地航空祭-エアーフェスタ2011【2】F-15J再武装展示(2011.12.11)

2019-03-17 20:13:34 | 航空自衛隊 装備名鑑
■南西方面空混団第83航空隊
 南西方面航空混成団の那覇基地航空祭はF-15Jの再武装展示や活動展示とP-3C哨戒機やヘリコプター展示飛行、いよいよ本格的に始動します。

 イーグルの基地那覇、F-15戦闘機がこの2011年当時は那覇基地第83航空隊に1個飛行隊配備されていました。過去形で書くのは現在は第83航空隊はF-15戦闘機2個飛行隊基幹の第9航空団へ拡大改編を果たしていまして、相当に強化されているという実状が。

 二個飛行隊へ拡大改編ののちに那覇基地航空祭を再訪しましたが、一個飛行隊の航空隊と航空団規模、航空祭の規模がぜんぜん大きくなった、という印象でしたね。しかしそれは沖縄県を取り巻く安全保障情勢が緊迫度を増したためということも忘れては成りません。

 第83航空隊のイーグル、期待していたのですが前にもお伝えしましたとおり、別の基地で増槽破裂事故が発生、その後に今度は部品落下という、翼端の保護材が剥離する事故も発生しまして、原因究明へ那覇基地航空祭でのイーグル飛行展示は無くなってしまいました。

 航空基地として、つまり那覇基地は航空自衛隊那覇基地であるとともに海上自衛隊那覇航空基地でもありまして、この関係からP-3C哨戒機が配備されています。そして那覇基地は防空の拠点であると共に当時は南西方面航空混成団司令部、これで間に合っていたのです。

 現在は強化され南西航空方面隊司令部が置かれ、司令部飛行隊も配置されています。その那覇駐屯地が国道を隔てて配置、第15ヘリコプター隊は那覇基地に格納庫を置く。イーグルが飛行しなくとも、陸海空自衛隊が駐屯し展開していますので、飛行展示は期待できる。

 那覇基地は1933年に創設された海軍小禄飛行場から続く由緒ある飛行場です。そして基地ゲートは比較的高台に位置しているのですが、滑走路は海岸線近くに配置されていまして、元海軍基地の風景、これも海軍飛行場故の名残なのかな、とかんがえさせられるところ。

 海軍飛行場は海抜の低い地域につくられている、この理由は簡単でして海軍は零式偵察機や二式大艇など水上航空機を重視しており、その発着には海岸線近くである必要があったのですね。航空祭では高台の基地内道路に沿って模擬売店が多数並んでいまして、活況だ。

 沖縄の屋台、なるほど沖縄ならではの、といいますか沖縄のお祭りに並ぶ屋台はこうした感じなのだなあ、と。那覇基地航空祭では太鼓演奏よりもエイサーの掛け声が響いていまして、雰囲気は、入間基地とも小牧基地とも岐阜基地や小松基地とも違った祭りの装い。

 ゆいレール、沖縄都市モノレール赤嶺駅が自衛隊ゲートの最寄り駅となっています、ここは那覇空港駅から1.95kmの位置にありまして、隣の駅で更に那覇市中心部へ進むと隣に小禄駅があります。実はここが日本最南端の駅となっていまして、記念碑もたっている。

 記念碑では、お隣那覇空港駅が日本最西端の駅となっている、鉄道愛好家には是非とも現地を訪れたい場所のひとつ。日本最西端の駅は、ゆいレール開通前ではJR九州指宿枕崎線の西大山駅だったのですが、現在はここ赤嶺駅に譲り西大山駅は九州最西端となっている。

 モノレール路線の素晴らしいところは風通しでしょうか、高架の上にありますから、ね。そしてこの赤嶺駅の海抜が19mにあるのです、確か海抜表記は駅前ですので駅のホームの海抜ではなかったか、と。那覇基地、海抜から見ますと滑走路は3m程の海抜となっている。

 正門は19mの海抜となっていまして、滑走路が3mということですから、なだらかな丘陵という。基地を入り、南西方面航空混成団司令部の地下シェルター式施設がちょっとみえつつ、一路エプロン地区へと向かいますと眼下に飛行場施設が広がっているということ。

 沖縄の玄関となった那覇飛行場、現在は官民両用那覇飛行場となっていまして、この始まりも1936年に那覇飛行場が小禄飛行場に隣接し拡張されたという歴史が。那覇基地は即ち沖縄県内に複数現存する防衛用飛行場にあってもっとも長い歴史を持つ基地といえますね。

 戦前のこの官民両用飛行場は、しかし有事の際の余裕を持たせることとなり1941年には海軍が那覇飛行場を接収、郵便航空機などの航空便は海軍飛行場を経由するという戦時体制に転換しましたが、海軍は沖縄に第4海上護衛隊司令部と沖縄根拠地隊司令部を配置する。

 第4海上護衛隊司令部と沖縄根拠地隊司令部を配置際、この小禄に司令部を置き、重要視していました。なにしろ重巡洋艦の艦砲を転用し多数の防空火器と地下陣地を複郭陣地とした重厚な地下要塞を建築したのですから、海軍の那覇と小録への力の入れようは重い。

 歴史ある飛行場ですが、イーグル飛行しない。しかしそれが却って最近の那覇基地航空祭の雰囲気を醸し出している、とは高頻度で沖縄を散策しているお方の言葉、要するに最近の航空祭の雰囲気とイーグルが飛行できない2011年の航空祭の雰囲気は似ているとのこと。

 九州の部品脱落で那覇のイーグルが飛べない状況が昨今の那覇航空祭と似ている、どういう事かと聞きますと、現在那覇基地航空祭は二日間にわたり行われるという、しかし、小牧基地航空祭が過去に同じ飛行展示を二日間展示した活況と比較すれば全く違うという。

 緊急発進が多すぎて航空祭のプログラムがくめなくなり、初日の最初の飛行展示は正午過ぎ、航空祭プログラムは通常航空祭が閉門となる日没後も開かれ、実質全国の航空祭三日分の時間を基地開放に当てているのですが、飛行展示総数は航空祭半日分でしかない、と。

 南西諸島の緊張が垣間見える厳しい実状ですが、つまり、この間延びした飛行展示のプログラムの方が、まだ昨今の緊張状態のなかで頑張って広報行事を行う厳しさの雰囲気を醸し出しているというお話です。情勢が安定化したならば、元の活況となるのでしょうか。

 2011年といえば我が国は東日本大震災が発災し、当時の民主党政権が初動の対応を誤ったため、国難というべき事態に発展していました。しかし、この後に当方は幾度か沖縄を探訪するのですが、その際には頭上を北朝鮮弾道ミサイルが飛翔し、ちょっと驚かされた。

 ミサイル警報が携帯電話で通知されるという妙な21世紀気分を味わったり、旅客機を撮影している那覇空港の待ち時間に緊急発進が立て続けに発生する、というような緊張は無かったのですね。北朝鮮弾道ミサイル発射で携帯電話にJアラート緊急メールが一斉受信へ。

 このときは那覇市内のホテルにいたのですが、なにしろ当方の周りで本物の空襲警報を知っているのはお爺ちゃんお婆ちゃん世代、祖母は当方沖縄で空襲警報が発令された話をしますと真面目に驚いていましたが、2011年はまだそれほど緊張が大きくなかった時代です。

 しかし、この沖縄旅行の最終日、中国航空機による初の領空侵犯事案が発生しました。中華民国空軍とは第二次世界大戦中にやりやった仲ですが、中華人民共和国航空機の領空侵犯は史上初ということでして、しかも空軍機ではなく公用航空機が低空低速で来たという。

 E-2C早期警戒機を三沢基地から臨時分遣隊として航空自衛隊が緊急派遣する事となる中国機領空侵犯事件はこの数日後に発生する訳でして、それが第9航空団や第603警戒飛行隊と南西航空方面隊創設に繋がる訳でして、この時点でも情勢は決して安泰ではありません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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