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【映画講評】A Bridge Too Far/遠すぎた橋(1976)【4】マーケットガーデン作戦の検証

2019-03-26 20:02:46 | 映画
■巨大空挺作戦失敗の背景と影響
 映画紹介も第四回となりましたが軍事作戦検証のいい機会という事で、あと少しだけ“遠すぎた橋”舞台であるマーケットガーデン作戦の検証を行いたく、お付き合いください。

 マーケットガーデン作戦を検証しますと第30軍団の接近経路と前進軸が国道69号線という片側一車線道路に集中しており、正直なところ攻撃を受けたドイツ軍としては国道69号線さえ遮断するならば、容易に補給を干上がらせる事が可能でした。実際ドイツ軍は手持ち兵力で混成機甲部隊2個を編成し、常時69号線に接触を維持、第30軍団を牽制した。

 第30軍団にとり、これは同時にLD発起線が目標に対し理想な垂直とは真逆の水平に設定せざるを得ませんでした。これは重要な欠陥を意味します、何故ならば結果的に王立近衛装甲師団、第43歩兵師団、第50歩兵師団と戦力逐次投入の状態が自然に形成されている為なのです。では複数に前進軸を分散させるべきか、それですと今度は戦力が足りません。

 前進軸が国道69号線のみであった点ですが、側道は無かったのか。第30軍団長ホロックス中将は、激戦地となっているアルンヘム橋梁から25km西方のレーネン橋梁に攻撃目標を変換し渡河を要望しましたが、上級指揮官であるモントゴメリー大将に25kmの逸脱は危険と却下され、FCL最終到達予定線へ前進軸の狭さが結果的に破綻の要因となりました。

 レーネン橋梁への前進軸の拡大は実施を決断しているならば、ドイツ軍の視点からは正面緊迫の散開を意味し、併せて連合軍渡河器材の能力はフェーヘルでの運河渡河によりドイツ軍も認識しており、25kmの戦域拡大に見合った成果が期待出来た可能性が残りますが、なにしろ第30軍団には3個師団のみ、当時の師団正面は基本22km、際どい賭けでもある。

 無線通信の欠如、マーケットガーデン作戦の多々ある最大規模の問題の中で筆頭に近い一つは無線通信機の故障です。短期間に準備が為された作戦とは本論でも強調するところですが、劇中にも端的に描かれる通り、無線機準備が不充分であり、周波数帯がBBC公共放送帯と一致した為の通信不能や周波数帯に適合した発振端子やアンテナ欠如等の不手際が。

 絶対航空優勢と共に展開されたマーケットガーデン作戦は、孤立した空挺部隊にあって必要な通信手段を確保しているならば、P-47やP-51,ハリケーン等の優勢な戦闘爆撃機を縦横無尽に利用し近接航空支援が可能だった筈ですが、無線機を欠いていた事、特に連合軍航空基地はまだイギリス本土にあり、戦場上空での滞空時間の短さと相まってしまいます。

 レオパルド1戦車がパンター戦車役として劇中に登場していますが、第2SS装甲軍団にはティーガー2重戦車も60両程度配備されており、空挺部隊の軽火力で対抗を強いるのは無理というものです。近接航空支援を要請した場合でも戦場到達に配置時間を要し、その細部を調整する為の長距離無線機は二基の内片方が破損と片方が損傷に部品不足というもの。

 近接航空支援の概念は当時アメリカ海兵隊が太平洋戦線において試行錯誤を続けていた時代、航空掩護の域を出るものではありませんでしたが、例えば大陸へ航空拠点設営の猶予を待てない状況でも例えば護衛空母数隻を転用、戦線近傍に航空拠点を設置し、近接航空支援を実現したらば、状況好転した可能性もある。しかし、その場合こそ無線が不可欠だ。

 ただ、準備期間の短さは別の視点から通信不充分を生んだとも言われています、それはレジスタンスとの協力欠如です。当該地域は100kmに昇る広範囲、数千名規模のレジスタンスが連合軍の救出に備えていました。僅か数日間の準備期間ではとても連携は出来ません。しかし、実施していたらば空挺部隊は一般電話回線が維持されていた事を知ったでしょう。

 前進出来ないのか、アルンヘム橋梁まで1.6kmの距離で第30軍団が攻撃を断念する様子が劇中に描かれます。1.6kmといいますと遮二無二突破出来そうにみえますが、一つ手前のナイメーヘン橋梁確保の後の第30軍団攻撃計画再編成の時間は第2SS装甲軍団にも天恵と云えるほどの時間猶予をもたらします、1.6kmの地域にティーガー2が集まっていました。

 攻勢時間の概念を再検討した場合、既に過ぎていると共に前進軸が国道69号線に集中していた為、第30軍団は側面攻撃の余裕を持ちません、前述の通り逐次投入の状態、新戦力と云いますか最後方の第50歩兵師団を新戦力に投入しようにも道幅が狭すぎ、前方の師団を超越し攻撃に加入する事が簡単には出来ないのです。逆にドイツ軍は側道を駆使している。

 情報収集の不徹底により、そもそも作戦立案が失敗であった、とも言えます。準備期間が短すぎたのですが、情報優位を獲得できていません。ドイツ軍としては第2SS装甲軍団という最強の手駒を秘匿した状況で、連合軍空挺部隊が飛び込んできた構図です。そして、モーデル元帥が橋梁爆破を禁じた事が言い換えれば連合軍に作戦継続を強いた構図もある。

 ただ、マーケットガーデン作戦がもう少し緻密な準備と兵力増強とともに実施されていたならば、成功した可能性は充分あります、そしてその意義はあった。こういいますのも、ベルギーからオランダへ連合軍が前進し、その全域を奪還する事が出来ますと、ドイツ西方軍とB群集団主力を分断する事が出来ます、西方軍そのものを遊兵化させる事が出来た。

 ドイツ西方軍とB群集団主力を分断、ライン川のオランダドイツ国境まで進出しますと、ドイツオランダ国境はドイツ軍がジークフリート線として要塞化しています。すると当然ジークフリート線の突破は困難であり、第一次世界大戦のような膠着状態が懸念されるのですが、逆に言えば連合軍南部集団の視点から、北方に大量の敵を拘束したかたちとなる。

 しかし、実態は、と言いますとモントゴメリー大将は連合軍の虎の子である空挺軍五個師団の内、作戦に参加した三個空挺師団を壊滅させる事となり、ノルマンディ上陸での損耗と併せ、即応可能な空挺師団全てを使い切る形となります。そしてなによりもモントゴメリー大将がこの作戦が失敗である事を最後まで認めなかった事が後々影響してくるという。

 第30軍の兵力ではジークフリート線まで前進したとしてその後のドイツ軍増援部隊との戦闘はとてもかなわない状況ですし、なによりも壮大な目標を提示しつつ、その補給路が片側一車線の道路一本に依存する状況では、旧日本軍のインパール作戦のように、この作戦も、その目的は理解できるが、参加兵力と補給見積もりが甘すぎたといわざるを得ません。

 この作戦は90%成功したが-あの橋はちょっと遠すぎたな。この認識は映画の最終段階で示されるところですが、総指揮官であるモントゴメリー大将の率直な感想でした。しかし第82空挺師団や第101空挺師団等米軍参加部隊は率直に戦闘詳報を作成し、参謀総長と連合軍総司令官アイゼンハワー大将が、米軍から見た実情と認識を共有する事になりました。

 アイゼンハワー大将は政治的立場からモントゴメリー大将の認識を共有する形を取りますが、不信感が醸成された事も確かです。その根拠として、モントゴメリー大将の連合軍北部軍に対する補給は一段落し、それよりも再編成を優先する事になる。再編制中にドイツ軍はアルデンヌ冬季攻勢、映画バルジ大作戦に描かれた反攻を招く事にもなってゆきます。

 パットン大将の連合軍南部軍はそのまま前進を続け、順調にオーストリアまで進出しますが、第二次世界大戦の要諦はドイツの首都ベルリン進攻にあり、次の北方攻勢は春の目覚め作戦まで行われず、連合軍のライン川渡河、マーケットガーデン作戦の目標が達成されるのは1945年4月、ドイツ降伏直前まで着手されない事となりました。この意味は大きい。

 ドイツの首都ベルリン占領は東部戦線を前進したソ連軍により為される事となり、同時に延長線上に東西冷戦構造の醸成へ繋がってゆくわけです。ここまで論述しますと、論理飛躍と言われるかもしれませんが。尤も、この不信感が逆にアルデンヌ冬季攻勢に際しアイゼンハワーが独断で反撃計画を立案、ドイツ軍を撃退できたという背景に繋がるのですが。

 ただ、我々も思い当たる点は多いのですよね。準備不足に情報不足を上層部の面子と勢いで無理を強いた結果に大損害、判子の有無で消し飛ぶ合理性の検証、市場調査よりも上層部の直感で立案された計画を現場が共有できず間違った方向の同床異夢、取引相手との調整祖語と曖昧な見積に監督者の責任逃れや逃亡、実社会では企業等で日常茶飯事です。それだけに本作は学ぶことが多いのではないでしょうか、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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