北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】平野神社,降雪は豪雪の吹雪舞う中に拝殿と本殿の台風被害と令和大修理成った社殿へ詣でる

2023-02-15 20:23:58 | 写真
■雪風を超えて社殿へ
 雪景色を期待していたのでぜいたくは言えないのですが想定外というような吹雪となっています。

 平野神社の本殿令和の大改修が、ついに落成となりまして。吹雪のさなかですが参拝へと歩み進めることとしました。ここは北区平野宮本町、西大路通に面しました鎮守の森のような高い木々とともに桜並木が広がる中の社殿です。しかし、吹雪、すごい雪です。

 平安京大内裏より北方の地、ここ平野に鎮座する神社は、もともとは今の京都の街並みではなく、平安遷都が神泉苑、二条城の掘割に水を供給する水源を基に造営されたという古都の始まりを思い起こせば、平野神社が内裏の北という一点で、その古さが垣間見える。

 南都平城京にあっても平野神社は内裏の北方に鎮座していました歴史がありますので、ここも平安遷都ともに遷座したこととなります。すると当地はその際に平野と命名されたのか、平城京に平野があったのか、南都の当時から崇敬される神様は今木神という。

 奈良時代の平城京は、これほど科学技術の発展した今日でもよくわかっていないことが多いのです。平城京に平野神社があったという記録はあるのですが、その遺構などは見つかっておらず、桓武天皇が外戚をまつるための神棚が平安遷都ともに神社となった説も。

 桜の神紋、歴史にはロマンを感じるのですが現代を生きるわたしたちの場合にはもう少し即物的なものを愛でる権利がある、歴史は創建年不明というほど長い社殿ですが、しかしここ平野神社の神紋が桜となっていまして、ここは桜を愛でる社殿として親しんでいる。

 本殿令和大改修、これは待ちに待った、というには大袈裟なのでしょうか。しかし平野神社を日常的に参拝される方には長かったというところでしょう、こういうのも本殿の前には拝殿の修復工事が行われていまして、やっと落成の頃合いに本殿修復がはじまった。

 平成30年台風第21号、拝殿はあの大阪市を中心に西日本一帯に大被害を及ぼした2018年の巨大台風により巻き上げられるように叩きつけられ倒壊することとなりました、二十二社の社殿が、壊れるとは。正直なところこうした思いがありまして、このほかも。

 拝殿が吹き飛んだほどですので、京都全体は醍醐寺の木々が大半倒木となり山陰線の保津峡を山肌が巨大な怪物に引っかかれた如くの削られよう、もちろん個人的にも数百万の被害が出るほどの状況ではありましたが、二十二社の一つの被害、やはり驚かされた。

 二十二社というのは平安朝後期、天変地異などの国家的非常事態に際し朝廷より奉幣を受け、その鎮撫を祈祷する社殿です。扶桑略記や日本紀略などの歴史書にはその背景などが記されているようでして、その一柱を担う平野神社は別格の神社とおもっていたのです。

 神宮、石清水八幡宮、賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社、筆頭の神宮というのは伊勢神宮を示しまして賀茂別雷神社は上賀茂神社で賀茂御祖神社は下鴨神社、この八柱を上七社という。一つ多いのは形成過程によるもの。

 台風被害を受けました拝殿は、しかし鬼神も数多集まりまして、なんとか時間はかかりましたが修復できました、慶安3年こと西暦1650年に東福門院徳川和子の寄進により造営されたというもの。神社ほどではないけれども長く親しまれた建物であったのですね。

 本殿修復開始、さてこの拝殿の修理落成は喜ばしかったのですが、桜の花が咲くころに参拝しますと、今度は本殿が修理のために大きな覆いで隠されてしまっている、台風前の日常風景が戻るのはもう少し先、と待っていた故、待望の修復工事落成ということなのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】護浄院清荒神,ヒンドゥーと仏教の三宝荒神奉じる寺院が明治は廃仏毀釈の時代にまもったもの

2023-02-15 20:00:58 | 写真
■雪残る節分の日に
 節分会の日に思い切って散策してみてよかったのは久々の活気を感じた為なのです。

 清荒神、護浄院はこう呼ばれている通りなのですが、荒神といいますとNHKのドラマが名前だけ妙なものを作ってしまいました、しかし、三宝荒神という名でも知られます通り仏教の神様です。ヒンドゥー教と仏教の関係ある、他方でその姿は日本的でもあるという。

 ヒンドゥー教でいう仏教に帰依したことから来ます荒神という信仰は、要諦であるのは仏教は発祥の地にはあまり信仰を広めることはなく、ただ、一例として鞍馬山のクラマーがヴィクラマディーチャのクラマーと重なるように信仰と神々は日本とインドを結んでいた。

 かまどの神様となりました清荒神ですが、困ったことが一つ、この護浄院は宝亀3年こと西暦772年に光仁天皇の皇子である開成皇子が御所に祀った、ということです。当時の御所といえば長岡京ですので、現在位置からは阪急特急でも烏丸と桂とその向こうという。

 開成皇子、祀るのはいいのですが皇子が祀るような神様なのか、ということになりました。そして平安遷都の際にも御所に堂宇が遷座したのかは、残念ながら調べるには手元の資料が少なすぎるのですが、明徳年間に御所の外に堂宇が遷座されている、御所から出された。

 明徳元年、西暦ですと1390年の話ですが、後小松天皇の命により高辻堀川、つまり今の阪急大宮駅から南のほうへ行った場所、西本願寺から五条通を渡ったあたりともいえるのですが、そのあたりに遷座されているのですね。その際に天皇から堂宇は名前を賜ります。

 常施無畏寺、という名前が後小松天皇から賜っています。この頃の規模は今よりももう少し広かったように古地図にはあるのですが、豊臣秀吉の京都大改造により寺町通が整備されます、寺町通というのは御所奉護のために寺社仏閣を御所の周りに集めたという政策で。

 後陽成天皇の時代、豊臣秀吉の京都大改造がひと段落下慶長5年こと1600年に、今の位置へ常施無畏寺は遷されています。御所を穢れから守ってほしいという意味合いもあるのでしょう、元禄7年こと西暦1694年、東山天皇により今の護浄院という名を賜りました。

 天明の大火により一時は焼失するのですが、幕末にありました蛤御門の変では御所の反対側であり長州藩邸からも距離がありましたことで焼失を免れ、そして明治維新とともに大きな役割を担います、その背景は紛れもない、皇室による寺院であったことがおおきい。

 廃仏毀釈、おそらく近現代史における最大規模の文化破壊であったと考えるのですが、東京遷都とともに御所にありました貴族邸宅は悉く取り払われます、その際に貴族邸宅にありました持仏像などを引き受けたのがここ護浄院であったのですね。何か運命的とおもう。

 常施無畏寺ではなく護浄院、廃仏毀釈の時代にあってもここは寺院ですが寺ではないのですよ、ご本尊も荒神さまです、という部分が、廃仏毀釈は新政府への巨大な忖度の暴走によるもの、あまり仏教に関心ない方にはこの説明で納得するところがあったのでしょうか。

 三宝荒神というご本尊は、もともと仏僧を穢れから守る、そして転じて伽藍も守ることとなり、その先に穢れを祓う連想からかまどの神様となったのですが、原点回帰で持仏像を守ることになったという、実に堂宇が開かれてのち1100年というときを経て原点回帰です。

 京都にはこういう不思議な歴史の話が多い、仏教とかお釈迦様の、説話的なといいますかひとの信仰心上によっては恩着せがましさという話題もありますが、それよりも偶然と縁というものが重なった事柄も多いのですが、そうした話のほうが実に人間的に見えるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ラインメタル社-KF51パンター戦車輸出をウクライナ政府と交渉中,15カ月で130mm砲搭載の次世代戦車完成

2023-02-15 07:00:31 | 先端軍事テクノロジー
■臨時情報-ウクライナ情勢
 第二次世界大戦中に現代主力戦車の原型を構成したというパンター戦車、その名を継ぐ新型戦車が現在開発されていますが最初の採用国はウクライナとなるのかもしれない。

 ドイツのラインメタル社は12日、新型戦車パンターについてウクライナ政府との間で輸出交渉を進めていると発表しました。KF-51パンター、これは昨年のユーロサトリ2022国際兵器展にて新型戦車として発表されたもので、もちろん輸出に際してはドイツ政府の許可が必要であるのですが、ラインメタル社のパッペルガーCEOの発言によるものです。

 KF-51パンター戦車は、130mm滑腔砲と20発の自動装填装置を搭載、AIと連動した目標自動識別能力を備えた射撃統制装置、主砲の戦車砲弾とは別に自爆型無人機とも要される徘徊式弾薬発射能力を持ち見通し線外攻撃力を備えるとともに、しかし過度に重量を増大させず重量は59tと常識的に抑えられている、あらゆる点が特色という主力戦車です。

 ユーロサトリ2022国際兵器展にて発表された主力戦車ですが、製造は技術実証車により構成要素を研究している段階です、しかし技術的めどは立っているとのことで、ラインメタル社によれば、このままウクライナとの間で成約した場合にはドイツ国内かハンガリー国内において製造され、15カ月から18カ月以内に引き渡しが可能になるとしています。

 KF-51パンター戦車に関するウクライナとラインメタル社の交渉ですが、KF-51パンター戦車そのものはドイツ政府などの要請に基づく開発ではなく、ラインメタル社のプライベートベンチャーによる設計となっています。他方で、リンクス装甲戦闘車などラインメタル社は近年、独自設計のプライベートベンチャー開発装備の輸出で実績を伸ばしている。

 130mm滑腔砲、これは過去にも各国で試作されていますが、APFSDS弾を運用可能な戦車砲として世界最大後継のものは125mm口径となっており、実用化されれば世界最強の打撃力を持つと誇示できる装備です。勿論、新型戦車が完成したとして、評価試験は実地で行うという第二次大戦中のような状況となるのでしょうが、要目ではまさに次世代戦車だ。

 ロシアウクライナ戦争のロシア軍侵攻一周年直前に発表されたこの情報は、どの程度実現性があるかは未知数ですが、ロシア侵攻が長期化した場合には遥かに強力な新戦力が投入されるとの示威的な意味合いとともに、ドイツ政府の供与ではなく外国製戦車の購入という、レオパルド2供与における問題を回避する施策が執られている点が本件の要点です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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