北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ロシア軍ウクライナ侵攻開戦一年【4】波紋及ぶ日本の空想する平和運動と迷走する国家安全保障政策

2023-02-23 20:13:24 | 国際・政治
■明日でロシア侵攻開始一年
 明日で開戦から一年、日本の平和運動は空想の世界にあるのではないかという危機感を少なくとも京都市内でアジテーションしている方々を見れば思うのです。

 ウクライナ戦争、ロシア軍ウクライナ侵攻により世界は不確かな時代に入りました、そして問題として安全保障というものを直視しなければ、破綻するのは簡単なことであると警鐘を鳴らしたことも挙げられるのですが、軍事と軍備に賛成か反対か、という単純な原則論で議論を終えてしまいますと反対意見は、現実世界に参画せず、乖離することとなる。

 わたしは、この動き始めた世界に対して、戦争に反対であり軍備にも反対なので内容については一切参画しない、この姿勢は、おそらく日本を戦争に引き吊り込む原動力になるのではないか、と危惧します。これは反対しているという姿勢を見せているだけで理解も関与もしない姿勢です。もちろん現住所が月面や火星ならば問題ないが、日本ならば重大だ。

 安全保障についての議論が進んだ、これは2022年安保三文書に明確な方針が盛り込まれていますが、問題は内容でした。これは“反撃能力”として明示された射程2000kmのミサイル導入です。極超音速兵器か弾道ミサイル、もしくは巡航ミサイルということになるのでしょう。1993年に北朝鮮が発射したノドンの射程が900kmですから、射程は倍以上に。

 GDP2%に防衛費を増額する。この方針は国民世論はもちろん国会でも大きな論議となりましたが、これは別にどうでもよい、こういうのも日本は小泉政権時代からミサイル防衛に着手し、ミサイル防衛に技術的な目処を付けていますが、そのためにつぎ込んだリソースが膨大でした、観測ヘリコプター全廃、戦車火砲四分の一近くに削減されてしまいました。

 観測ヘリコプターを全廃するも、政治はその責任を認めたくないのでしょうか、無人航空機で代替すると、今更に安保三文書に明示しましたが率直に言って無理があります、順番が逆、本来、無人航空機の性能を見極めて初めて、観測ヘリコプターの代替になるという目処が立ち、その上で無人航空機に任務を引き継ぐ、これが本来のあり方ではないか、と。

 偵察機も全廃されまして、その後三年間の空白期を経て無人偵察機による偵察航空隊が再編されました、今言えるのは、この三年間に大規模な災害、戦術偵察機がなければ情報を把握できない規模の災害は発生しなかった、という危うい綱渡り、いわば無保険状態で国を回していたことでの僥倖ですが、これもミサイル防衛につぎ込んだリソースのひとつ。

 防衛力は多くの状況で破綻していました、機動打撃力である戦車は削られ、初動の防衛を担う戦闘ヘリコプターさえ10年間も調達されておらず、年々老朽化により廃止される既存機を置き換えることさえできていない、すると、五年程度、中期防一期分は防衛費をGDP1%から大きく増額させ、ミサイル防衛により破綻した既存の防衛力建て直しは必要でしたが。

 専守防衛の明白な転換、政府は“敵基地攻撃能力”を“反撃能力”と言い換えることで、防衛力の根本的な組み換え、限定戦争には全面戦争で応じる、専守防衛の拡大先制的自衛権行使への転換を安保三文書に織り込んでいます、侵略されれば反撃するのは当然のこと、という知ったかのような同調論がありますが、限定戦争に全面戦争で応じるのは異常です。

 核武装まで織り込むならばともかく、そこまでは世論の批判が怖いのか決断していない、平和爆弾や平和宇宙戦艦と言い換えないのはまだまともな証拠なのかもしれませんが、反撃能力とは本来、国内に上陸した敵を反撃して追い返す用途で用いられた表現であったはずが、離島を攻撃されれば敵本土をミサイルで叩く、しかも核保有国に対し行う、という。

 敵本土の飛行場や艦艇基地と指揮中枢を叩けば、南西有事ならば那覇基地と鹿屋基地に佐世保基地と沖縄基地、熊本の西部方面総監部がミサイル攻撃で反撃されます、それは日本が行った基地への攻撃と指揮中枢攻撃への、同等の手段をもって行う、反撃です。コンフリクトをウォーに拡大させたのは日本なので、こちらもミサイル攻撃を続けることとなる。

 反撃能力、こうしたものが果たして国民が求めていることなのでしょうか。少なくとも限定紛争に全面戦争で応じるのは、盧溝橋事件の際のように一発の銃弾を受け全面反撃した、という過去の事例がありますので、やはりそうなるのか、と相手は慎重に受け止め、相応の反撃を行うでしょう。これほどに安保三文書の防衛力整備の方針は時代錯誤なのです。

 しかし、日本国内は、最大野党を含めてこの転換を問題視していない。ウクライナ戦争に浮足立った、もしくは安全保障に理解ある姿勢を示すことが支持につながるであろうとの打算的な考えなのかもしれませんが、専守防衛のリソースを削り長距離ミサイルにつぎ込むことへ違和感を受けない、この日本の軍事への無関心は、危険なことだとおもうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】インディジョーンズ-最後の聖戦(1989)支援と関心を!聖杯遺跡舞台はトルコ地震被災地ハタイ県

2023-02-23 14:11:44 | 映画
■映画を通じて世界を視る
 祭日という事でDVDの映画を観よう!写真は著作権なんかの関係上せいいっぱい適当に出先で撮ったものを代用しているのは温かい目で見守っていてくださいね。

 トルコのハタイ県、震災被害に見舞われているのですが、もう少し日本でも関心を持つべきように思うのです、それは同情や憐憫というような義侠心の押し売りではなく、実際のところ激甚被害を受けましたこのハタイ県という場所は日本でも、映画を通して既知の場所、というところかもしれません。災害の救済ではなく、歴史都市として知ることが重要です。

 インディジョーンズ-最後の聖戦、大学受験シーズンも私立大学入試が激戦となっている頃合いにトルコで発生した地震ですが、20世紀から21世紀にかけて劇場公開からテレビ放映、インディジョーンズ-最後の聖戦をご覧になっていない方はどのくらいいるでしょう。実はこの作品ロケ地はベニスにヴュレスハイムにペトラが挙がりますが、舞台はトルコだ。

 ジョージルーカス製作総指揮とスティーヴンスピルバーグ監督作品という、冒険映画の金字塔ですが、この作品はトルコの、しかし世界史を学ばれていてもここまで踏み込んだことは利かれないような近現代史の狭間を舞台として描いている、その舞台こそが今回地震被害に見舞われたトルコのハタイ県、オスマントルコとトルコ共和国の歴史の幕間が舞台だ。

 イエスキリストの聖杯を巡る考古学者と1930年代から1940年代の世界史を左右したナチス秘密機関との戦い、これを基にした作品で、実際のナチスが、神話を基に民族優位性を強調できないか、と考えたうえでアーネンエルベという機関を構築し、戦争に私情を持ち込むから負けるのだ、と思うのですが、こうした史実が創作の世界観にリアリティをあたえる。

 ペトラ遺跡、ヨルダンの世界遺産であるペトラが撮影ロケ地として有名ですが、映画を丹念に見ていますとハタイ国、という国名が示されます。お恥ずかしいといいますか、調べる手段が限られていた映画初見の頃、私の場合はブラウン管テレビで見た世代ではあるのですが、映画も舞台である1938年という時代を、あまり歴史として学ぶことが日本では少ない。

 ハタイ共和国、聖杯の遺跡が眠るのはトルコ南部、と字幕されたうえでハタイ国という地名が示されます。初見から、いや近代トルコ史について知己と資料を得るまではこの映画の創作の国ではないか、と誤解していたのですが、ハタイ国はオスマントルコの混乱とともにトルコから切り離されそうになるところを踏みとどまった、こうした歴史の狭間の実話です。

 オスマン帝国が第一次世界大戦終戦に際して連合国との間で締結したムドロス休戦協定が結ば れますと、オスマントルコは分割され、小アジア半島までもが各国占領により国家として消滅するかという危機に際し、ケマルアタチュルクを中心に進歩派軍人や知識人が立ち上がり、トルコ独立戦争が勃発、ローザンヌ条約締結により国家を維持したことはまなぶ。

 テキサス、アメリカにおけるテキサスのような位置づけなのかもしれない。テキサスもテキサス合衆国の成立経緯をみると興味深い。こう解釈しますと歴史に詳しい方には少々反感を持たれるかもしれませんが、ムドロス休戦協定により連合国に占領された小アジア半島諸国にあって、この地域はアレクサンドレッタ県であり、フランス軍に占領されています。

 ローザンヌ条約を締結した際にフランスはこの地域を分割する意思を見せますが、この地域はフランス占領下でも特別自治区となっていたが初代大統領となったケマルアタチュルクは、国際連盟に提訴し激しく抗議、するとフランスは占領地の一部がシリアとして独立する際に、この地域も独立を認めることとし、1937年にハタイ国として独立を承認します。

 アレキサンドレッタ、イスケンデルン、インディジョーンズ-最後の聖戦、劇中に話を戻しますと、イエスキリストの聖杯が眠る遺跡への経路の起点はイスケンデルン、地中海沿岸都市で人口は宇治市くらいの、海運か水運の違いはあれども、しかし避暑地であり観光都市という点が共通する街並みの名が出てきます。ここが震災の話に戻しますと被災地という。

 フランス占領下に話を戻しますと、ハタイ国として独立を認めた際に、初の民主選挙を独立国であるにもかかわらずフランス軍政下で行おうとしまして、反発したトルコ政府はトルコ軍派遣に踏み切ります。ただこれは見方を変えれば日清戦争のような印象を受け手によっては持ちえますので、1930年代という歴史の複雑さを理解する必要もあるのですが。

 共和制にこの選挙を以てハタイ国は移行するのですが、現代トルコ独立の父というべきケマルアタチュルクは、このハタイ本土復帰問題を最後まで心にとどめたのちに1938年、この世を去ります。しかし歴史は興味深いもので、ケマルアタチュルクの遺志を継ぐ様にハタイ共和国議会は1939年にトルコとの統合を決意、独立から2年で本土に復帰しました。

 映画のシナリオには登場するのですが、しかし映画が制作された1980年代後半、映画公開は1989年、イスケンデルンは近代化されていましたしロケ地としての交渉が難しかったのでしょうか、ロケ地はトルコ山間部のドイツ軍との戦いをスペインのタベルナス地方、バルジ大作戦のようにスペインではこうした映画が良く撮影される、そしてヨルダンなどで。

 ブルンヴァルト城のロケはドイツ西部の、当時は西ドイツか、ビュレスハイム城で行われましたし、コロラド州のロケは先住民の聖地であるとして反対を受けユタ州アーチーズ国立公園でロケが行われています。まあ、映画で神戸のシーンなのに横浜マリンタワーが映っているようなものですね。ともあれ、ハタイ県をこうして映画の背景として見ている訳です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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プーチン大統領,ロシアの戦略核兵器削減条約事実上離脱宣言-核攻撃前提へ日本の安全保障政策再転換必至

2023-02-23 07:00:25 | 国際・政治
■半世紀の核軍備管理に幕
 ウクライナ侵攻を戦争と認めなかった大統領が事実上の条約離脱を脱退と認めないのはある意味当然のように反故にする懸念が。

 ロシアのプーチン大統領は21日、アメリカとの戦略核兵器削減条約について一方的に履行停止を宣言しました。脱退はしないとしていますが条約条文には履行停止の条文は無く、事実上の離脱、批准要件の逸脱を脱退していないと強弁する、あたかもウクライナ侵攻を特別軍事作戦と言い換えた様な方式で、戦略核兵器削減条約をもてあそんでいる構図です。

 1972年に東西冷戦下、米ソが全面核戦争による人類滅亡を回避するという一点での合意に基づく半世紀以上の核兵器削減の枠組みは、実質的に崩壊した構図です。そして、これは非常に厳しい視点ですが、我が国の安全保障政策は反撃能力整備という、通常戦力主体に在って打撃力に軸点を置いた、専守防衛からの転換が開始されますが、妥当なのか、と。

 日本有事において戦術核兵器が使用される懸念は冷戦時代に幾度もありました、それは自衛隊がどれだけ予算面で苦しい状況にあっても放射性降下物から部隊を守る携帯防護装備だけは確実に普及させてきましたし、核汚染地域を飛び越えるヘリコプターの重視、虎の子地対艦ミサイル連隊を地下に隠すための坑道掘削装置の装備などがこれにあたります。

 反撃能力整備へ、政府は自衛隊のヘリボーン戦力を大幅に縮小すると共に機械化部隊についても従来の縮小路線を元に戻す事は無く、結果的に平成初期と比較し火砲や戦車は四分の一まで削減されている状況をそのまま維持するようですが、NBC防護能力の高い機甲部隊とヘリボーン部隊を削減する措置は、現状の核戦争という懸念に真逆の指針となります。

 核保有には個人的に反対ですが、反撃能力として相手本土内陸部を叩ける戦力を従来の専守防衛に切替えて装備するという現状では、勿論ヘリボーン部隊や機甲部隊などの重戦力再整備を行い、全面戦争以外の限定戦争に対応する防衛力を整備すべきであるも、政治が拒否するならば、核を保有せずとも核兵器に準じる何かを整備しなければ成り立たない。

 半世紀に及ぶ核軍備管理枠組の破綻という状況に際して、次の日本有事では核兵器が使用される懸念をある程度認識せねばなりません、するとその為には2022年の安全保障関連政策転換を、今度は従来の延長線上の認識ではなく、冷戦型の核兵器使用を想定した上での通常戦力による防衛基盤再構築に、早々とですが転換する必要性を強く感じるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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