北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ロシア軍ウクライナ侵攻開戦一年【3】失われた全面戦争回避の機会-クリミア併合の不戦主義が生んだ全面戦争

2023-02-18 20:14:50 | 国際・政治
■はじまりはクリミア併合
 限定戦争を放置すると全面戦争に拡大する、その放置というものには不戦主義というものが最大の要素となり抵抗しない事で戦争拡大を誘発する。

 ウクライナ戦争は様々な問題を世界に突きつけましたが、唯一の救いはウクライナ軍の善戦です、いや、前線といいますかロシア侵攻を予測できた専門家も、ロシア軍の猛攻に一年間は十分耐えきり、首都キエフや東部の要衝で第二都市であるハリコフなど主要都市大半を保持できる、ここまで予想できた方は、ウクライナ以外に少なかったのではないか。

 しかし、決して誤解してはならないのは2014年のロシア軍クリミア併合以降、ロシア軍の次の段階に備えてウクライナ軍は必死に準備を積み重ねてきた、ウクライナ軍は準備をしていなかったがそれでもロシア軍くらいならば撃退できたので日本もそれほど準備しなくても、平和を願っています、といえば台湾も沖縄も平和は維持される、と誤解はできない。

 限定戦争に対して必要な措置を取らなかったことで相手に付け入るスキを加え、この結果として全面戦争に拡大した。こうした視点を持ってみるべきです。いや、2014年のクリミア併合も、世界的な大事件ではあったのですが、あれで終わりと思った、しかし、あの時に今ロシアに課しているような経済制裁を思い切って課していたならば次は防げたのやも。

 全面戦争へは段階的に状況が拡大します、特に2014年時点のウクライナ軍は戦争の準備ができていなかった、ウクライナは大量の兵器をソ連から継承していますが、その兵器の大半は維持する意思を見せず多くの売れるものは転売し、その中には航空母艦さえも含まれました。運用するには国力が必要ですが、これを安価で中国に売却したのは1998年でした。

 クリミア併合の時点で、ウクライナ軍が全面的に反撃に転じていたならばどうか、もちろん、クリミアに軍事侵攻されたといって、ロシア本土の主要都市、ロストフなどにミサイル攻撃を実施していたならば、戦争が拡大したでしょうが、少なくともクリミアに侵攻した部隊をセバストポリ軍港に押し戻すくらいの戦闘を実施していたならば、どうだったか。

 ウクライナ戦争を見る限り、忘れてはならないのは、祈るだけの平和主義は戦争を誘発するということです、祈るというのは無料で進めることができるのですが軍事力というものは費用が掛かるものです、無料の祈ることだけで解決するならば、世界中が採用していそうなものですが、採用していない以上事情がある、日本の平和主義はここを考えるべきだ。

 限定戦争、この一歩進んだ時点なのですが、例えばソ連から継承した兵力、戦車のほうもソ連から継承したものの大半はT-64戦車という、T-62はよく聞くけれども、という特殊な構造の、古く先進的だが先進的過ぎてよくわからない装備、という戦車が大半でしたので維持は大変だったでしょう、しかし2014年時点で十分の一でも稼働状態にあれば、と。

 抑止力が機能していたならば、2014年の事態そのものがなかったのではないか、こう考えるのです。いやロシアはいずれソ連を再生させようとその構成国に侵攻していたのではないか、あれは運命だ、という反応に対しては明確に反論します、ロシアはバルト三国に侵攻していない、なぜならばバルト三国はNATOに加盟する努力を払っていたためなのです。

 日本として学ぶことは、時計の針は戻らないが遅めることができるのが安全保障における緊張関係というものです、それならば全面戦争を避けるには、まず摩擦要素となる限定侵攻を避け、相手に徹底抗戦するという意思を突き付けることが重要で、それは平時における政治家の発言や市民の国防意識と行政の防衛政策、これらを総合する必要があるのです。

 抑止力、忘れてはならないのはバルト三国の関係を見ればわかる通り、平時から国防努力を怠らず準備を重ねていれば、これは戦争をする時よりは予算はかかりませんが、戦争に対して無防備である時頼はよほど予算を必要とする措置です、この理解を含めて準備していたならば、そもそも限定侵攻に着手する前に相手に戦争を断念させる機能がうまれます。

 本当か、好反応があれば、日本が良い事例だ、といえるかもしれません。第二次世界大戦後、日本は防衛へ努力を怠りませんでした、それはGNP1%という枷が長らくありましたが、北海道を中心に付け入る隙を見せず守り切りました、経済成長を安定成長期の年率7%として平成時代いっぱいを維持できていれば、今でもGDP1%以下で抑えられたことでしょう。

 戦争に反対するということは悪いことではありません、しかし現実を見ないということは悪いことです、そして知る努力を行わないことは愚かといえるのかもしれません、そしてこれは軍事問題という、一見兵器など華美な情報に詳しくなれ、ということではなく、古典的政治学、国際政治学、国際法、国際法は国家間慣行に依拠している、これを学ぶことです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】平野神社,四棟独立式第一第二第三第四殿様式から第一第二殿連結独立第三殿第四殿構造へ変遷

2023-02-18 14:11:42 | 写真
■扶桑型戦艦のような本殿
 平野神社の歴史は長く複雑な歴史を湛えているのですが歴史を反映する様に本殿の構造も複札です。
 
 平野神社の本殿、参拝に作法通り柏手を叩き頭を垂れまた拝むとともに、ふと見ましても、この本殿は独特の様式であると改めて思うのですが、祭神が多いというのも平野神社の一つの特色となっていまして、その特色は本殿が扶桑型戦艦の艦橋のように複雑です。

 令和の大修理、無事落成してよかった。いや失敗するものではないだろうと思われるでしょうが、それでも修復のこの期間、2018年の台風で拝殿が倒壊したのちに、拝殿の向こうに見える本殿という風景がなかなか戻ってこなかった、あとは鳥居の扁額だけという。

 第一殿に今木皇大神、いまきのすめおおかみと読みまして今木神とも記されるのですが主神として祀られる、そして第二殿には久度大神、くどのおおかみと読み久度神とも記されるのですが祀られている、そして本殿はまだまだ、四構造に分かれているのですね。

 本殿は第三殿に古開大神、読み方はふるあきのおおかみといいまして古開神とも記される、そして第四殿には比売大神という、ひめのおおかみと読むのですが表記には比売神とも比咩神とも呼ばれる神様が祀られている。そして本殿が継ぎ足すように造営されている。

 比翼春日造とも平野造とも呼ばれる構造なのですが、本殿第一殿と第二殿が寛永3年こと西暦1626年の造営であるのにたいして、本殿第三と第四殿は少し間をおいて寛永9年こと西暦1632年に造営されている、不思議ですね。ともに重要文化財に指定されている。

 平野造の本殿は、写真もない時代で紙も貴重品であった時代によくぞ維持できたものだ、と感心するのですが、実は定期的に構造が変わっていたようでして、いまの様式、つまり複雑だが全体で一棟にまとまっている本殿構造は寛永年間からのものだ、ということです。

 慶長年間に修理されたころには三棟構造であり第一第二殿連結の独立第三殿第四殿構造という、楔形陣形といいますか平等院鳳凰堂のようなといいますか防衛省本省庁舎のようなといいますか、並んでいたということです。いまのように四等分という構造ではない。

 室町時代にはもっと別の構造であったといいまして四棟独立式第一第二第三第四殿様式という、並んでいたということなのですが、図面や絵画屏風絵に残るものがなく、すべて同じ構造のものが四棟並んでいたのかは不明といい、これがいつごろからかも不明で。

 平安朝後期のころには二棟連結第一殿第二殿連結第三殿第四殿様式という、二つ並んでいたようです。当時の宮大工さんの記録を残そうにも、なにしろ京都は今のようにCOVID-19下にあっても順風満帆の街並み、という時代ではなく混乱していた時代もながい。

 社殿について、しかしこれも知る方法はないのだけれども、様式を変える際にはどういった討議や合議があったのか、これは社格ではもともと非常に高い皇室守護と皇城鎮護という格式を持つ社殿ですので、建て替えについては相応の位置づけではあったはずです。

 祭神には並んでもらったほうが、とか、主祭神は別格であろう、とか、討議されたのでしょうか、もしくは宮大工さんの予算の都合や入手できる資材と相談して議論よりも現実性であろうというような折衷案となったのでしょうか、ちょっと考えてしまうのですよね。

 吹雪の季節に考えますと本当かと思わされるのですが、梅花は咲き始めていますので、もう少ししますと桜の季節となります、平野神社の桜は見事なのです、春待ちの木々は寒そうに雪化粧が厚化粧となっているのですけれど、それが何か満開の木々にみえてきますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ダルマガーディアン22日印合同演習-国内初の日印陸上演習が滋賀県饗庭野演習場で開始

2023-02-18 07:00:29 | 防衛・安全保障
■日印防衛協力強化
 Su-30フランカーが百里基地に共同訓練へ展開したのは先月ですが今月はインド陸軍です。

 ダルマガーディアン22演習、陸上自衛隊はインド陸軍と初の日本国内における陸上演習を17日より3月2日にかけ実施します。この演習は対テロ作戦を念頭に指揮所演習と市街戦訓練を実施するといい、陸上自衛隊からは第3師団隷下の第36普通科連隊、インド陸軍からは陸軍第5歩兵大隊が参加し、滋賀県の饗庭野演習場において繰り広げられます。

 Su-30戦闘機の百里基地展開による日印合同戦闘機訓練ヴィアーガーディアン訓練とともに、2022年の国際観艦式におけるインド艦隊来航など、近年インド海軍はFOIP自由で開かれたインド太平洋原則とともに海洋安全保障への関与を強化し、日本との防衛協力も進めており、今回は戦闘機と艦艇に続いて陸軍と陸上自衛隊の合同訓練が実現しました。

 饗庭野演習場、湖北の今津駐屯地に隣接する演習場には市街戦訓練場が建設されており、これまでも陸上自衛隊に加えアメリカ陸軍との共同訓練などが演練、また、野砲の射撃はできないのですが戦車小隊射撃などに対応する様々な射撃場も整備され、日本国内で初めてアメリカ陸軍のストライカー装甲車が実弾射撃を行ったのも饗庭野演習場となっています。

 対テロ訓練となったのは、インド軍は高度に機械化されていますし、空軍にはC-17輸送機も配備され、理論上はT-90戦車や新型のアージュン戦車を日本へ輸送することも不可能ではないのですが、重装備の輸送は負担が大きく日本国内での整備基盤立ち上げも簡単ではありません、この点で軽歩兵主体の対テロ訓練は現実的な選択肢というところでしょう。

 鞍馬山の北、これもご縁というものなのでしょうが、ヒンドゥー教の国インドと湖北地方は不思議なつながりがあります、京都の平安遷都以前から在ります鞍馬寺を冠する鞍馬山、その鞍馬の語源はサナートクマラという、サンスクリット語で永遠の若者という意味を持つヒンドゥー教の神様でして、祀られている尊天は金星から来たなど、謂れも重なります。

 ヴィクラマディーチャ、こちらはインド海軍の航空母艦に冠せられているヒンドゥー教シヴァ神が降臨した皇子の名なのですが、サナートクマラとヴィクラマディーチャは同一の人物、霊体とみることができるという。日本にけるヒンドゥー教は、こうした独自の信仰として定着しているのですが、その鞍馬山の北に位置する饗庭野演習場で日印が初訓練、何か不思議な気がするのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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