北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】貴船神社,雪が彩る社殿は二十二社制度下八社に列せられ山城国愛宕郡貴布禰神の壮大な歴史

2024-02-14 20:21:44 | 写真
■白鳳年間の社殿
 神社の歴史は思いのほか古いのです。それは日本の神社とは定期的に建物を普請するために一見しての歴史と社殿を支えた歴史とは長さが同じわけではなく実際遡る歴史はながい。

 貴船神社は絵馬発祥の地という。実際隣が鞍馬山というくらいですから馬と所縁あった地域であることは確かなのですが、本殿には祭神の高龗神とともに馬の像が安置されていまして、像のところには此処が絵馬発祥の地であることを示しています。

 玉依姫命の伝説は前に記しましたが、この貴船という地名はもう一つ、鴨川の源流、この源流というのは鴨川が京都を流れるという印象を持つ場合と、此処からやがて大阪平野に流れ出る大河の源流の一つ、という認識で見た場合とで印象が変わるものですけれども。

 気の産まれる根源、気とはなにか古代的な神秘の重きがあった時代の語韻なのですが実際子だの認識なので問題は無い、そこから転じて貴船のもとが、気生根、に通じたともいわれているようです。伝説は兎も角、奈良時代には既に社殿が知られていたこととなる。

 白鳳6年こと西暦666年に社殿建て替えの記録があるのです。もっとも白鳳年間は天武天皇13年こと西暦684年に最古の南海トラフ巨大地震記録という白鳳地震が発生していますが。この地震は四国と紀伊半島を中心に静岡まで大被害があったという歴史地震でした。

 白鳳地震が貴船神社にどのような影響を及ぼしたのかは記録がないのですが、ただ、社殿建て替えが老朽化であったようですので、そのわずか十数年後に日本を襲った巨大地震には無事だった模様、なお今の本殿は2007年に建て替えを終えた新しい社殿です。安心だ。

 延暦15年こと西暦796年には鞍馬寺の方の由来と重なるのですけれども、東寺造営官であった藤原伊勢人がある日に貴船神社の夢のお告げがあり、鞍馬寺を建立することになった、という寺伝がありまして、寺院建立を思い立つほどに当時貴船は名が通っていた、と。

 山城国愛宕郡貴布禰神、貴船神社の名前は通っていたもののその名が大社として位置づけられたのは弘仁9年こと西暦818年の政令であり、山城国愛宕郡貴布禰神として名神大社に列せられ、この施策は神社の神格を示す延喜式神名帳にも反映されたわけですね。

 二十二社の制度が制定されますとそのまま下八社に列せられる。この二十二社制度とは国家天変地異の際などに国家存続や災害平癒などの加持祈祷を行う神社でして、伊勢神宮にはじまり最終的に二十五の神社がその地位に位置付けられたわけです。そして神社は。

 永承元年こと西暦1046年、これはいまから千年近く前の話なのですが、残念なことに貴船川の大洪水により社殿が流失します。その際まで社殿は現在地よりももう少し上流にあったというのですが、天喜3年こと西暦1055年の再建で現在地となる。が、しかし。

 賀茂別雷神社、要するに上賀茂神社なのですが、この天喜3年の再建に際し、実は社殿都心域の規模がかなり小さくなりまして、その際に貴船神社は賀茂別雷神社の摂社、という扱いになってしまいました、繰り返しますがこれは千年近く前のことなのですけれども。

 貴船から上賀茂神社までは遠すぎるのではないか、こう思われるかもしれませんが現在の上賀茂神社はGHQの接収等をも含めてかなり規模が狭くなっていまして、当時は参拝客による収益ではなく、社領からの年貢などに依存し、実は隣り合っていたという事情はある。

 賀茂別雷命も本殿に祀られていた時代が江戸時代まで続いていたというから驚きなのですが、ようやく明治時代に貴舩神社となり上賀茂神社からの距離を置く事ができた、安心だと。この美しい幻想的と言える雪景色の奥にそんな複雑な歴史を湛えているのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】貴船神社,雪景色は京都中心部に白雪舞う頃に叡山電車でのぼるこの貴船には吹雪の風景

2024-02-14 20:01:41 | 写真
■雪の貴船神社
 貴船神社、きふねじんじゃと読むのですがこの地名の貴船はきぶねと読み叡山電車の貴船口もきふねぐちではなくきぶねぐちと読みます。

 貴船神社、ここは京都市左京区鞍馬貴船町の貴船山と鞍馬山に挟まれた市街地と隔てた冷涼の地であるとともに、賀茂川の上流に位置する貴船川はここから始まり、最初の一滴が源流を潤わすことから始まる清水はやがて清流となり鴨川として洛中にいたる。

 神武天皇の母である玉依姫命がかつて大阪平野から船に乗り大河の流れを源流へと辿った際に、たどり着いたのがこの水源の地でもあり、この貴船、きふねという地名の由来はこの高貴な伝説によるもの、貴船神社社殿にはこのようにも記されているのです。

 高龗神を主祭神として祀ります社殿は平安遷都夜も遥か前から当地に鎮座していたとされる、京都屈指の聖地でもあります。そして立地に鞍馬の名が冠せられる通り、ここは修験道聖地ともされる峻険な山々の峡谷に鎮座し、市内でも特に雪深い地域の一つ。

 本宮参道、雪深い地域といいましても長野県や岐阜県山間部と比べれば微々たるものではあるのですが、この本宮参道の石階段が雪に包まれている様子などは、京都の雪の季節における定番の風景となっていまして、気象庁が不要不急の外出自粛を求めた際にも。

 東京で雪が降ると中央線や常磐線が混雑するという、それは北関東や山梨県の豪雪で列車が運休になる前に帰宅を急ぐ通勤客の移動です。それでは京都で雪が降ればどうなるか、鞍馬線が混雑する、それは意外にはやく雪が解けるゆえにその前に写真を撮る為です。

 雪の金閣寺、洛中にしっかり降り積もるような降雪は、今年はせいぜい雪化粧というくらいで、報道映像などを見て意気揚々と乗り込むと金閣寺の雪は正午前に全て溶けているような状況が多い、昼休みではなく朝一番に半休を取って開門前に並ぶほかない。

 金閣寺の雪景色を余裕持って撮影するには、せめて北大路通で10cm以上降り積もってくれなければ難しいのですが、報道の場合は朝どりできますので、そう京都の冬の日常風景のように錯覚させているという事が多いわけです。雪景色はもう少し北に行かねば。

 金剛寺ならば完璧だろう、と舞鶴を目指すのは一つの手ですが、舞鶴線が運行しているのかが微妙で、簡単に最近は計画運休となります、実際この日は計画運休、それほど降らなかった場合でも計画運休の計画は教条主義的に守り通す頑固さがあるので、最近はちょっと呆れている。

 鞍馬線が混雑する、こう表現しましたのは、登山鉄道である叡山電鉄だけはある程度の降雪予報であっても、実際の積雪量を見極めて運行を継続してくれるとともに、鞍馬や貴船や大原へ、名所旧跡とを結ぶ。大原は八瀬比叡山口からバスで遥か先だけれども。

 出町柳で、いや四条河原町界隈で少しでも雪が飛んでいるような、絶対積もらないけれども飛んでいるね、という程度の雪が確認できたならば、もう鞍馬や大原の手前付近でそれなりに雪景色を眺められると考えていいのかもしれません、二軒茶屋あたりで風景は。

 叡山電車で出町柳を出発する際には、もしかして鞍馬も貴船も降っていないかもしれない、こう少し考える事がありましても、いやいや成程、降るものなのだなあ、と安ど感を迎えることができるのが鞍馬線というところで、電車は貴船口を降りるとバス停へむかう。

 貴船口から貴船神社までは2㎞程で、天気さえよければ歩いて行けるのですが上り坂を雪道で歩くと5㎞以上にも思えてくるもの、路線バスかタクシーを素直に利用するのがよいでしょう。その先に、冬の貴船神社、こうした幻想的な情景が広がっているのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-砲弾不足深刻のウクライナ軍苦戦とロシア軍の砲兵固定運用再開とロシア軍汚職に関する独立系紙報道

2024-02-14 07:00:28 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ戦争
 砲弾さえあればという実情とともに日本の砲弾備蓄を自国だけではなくいままで日本を支援してくれた国への支援に回せる備蓄まで考える必要性を感じる。

 ロシア軍はウクライナ軍砲弾不足を受け固定砲兵陣地運用を再開した、ISWアメリカ戦争研究所2月2日付ウクライナ戦況報告がウクライナ軍の厳しい状況をまとめています。これまでウクライナ軍は対砲レーダ装置を駆使しロシア軍が砲撃を一定時間続けた際には位置を標定し対砲兵戦を展開していたため、ロシア軍は陣地変換を強いられました。

 固定砲兵陣地運用再開は、陣地変換の時間を省略し長時間にわたり砲撃を最前線に加え続けることが可能です。ウクライナ軍の砲撃が低下した背景にはアメリカのウクライナ援助停止が原因です。もっとも、アメリカは砲弾の供給を予算措置停止により停止していますが、砲弾の生産は続いているため、砲弾供給再開の際には固定砲兵陣地の運命は、と。

 攻勢に備えて通常、砲弾を節約し弾薬を備蓄するものですが、ウクライナ軍には現状その余裕は無く、ウクライナ国内で生産される砲弾はそのまま投射されている状況です。しかし、現在アメリカ議会下院で議論中のウクライナ援助再開が実現した場合、攻勢に備えての砲弾備蓄はウクライナではなくアメリカで集積されている構図となるのでしょう。
■防衛情報-ウクライナ戦争
 なんというか凄い話ですが生殺与奪の権限を指揮官が握っているという点で娑婆とは違う軍隊にあっての汚職というのは後ろ弾はこわくないのだろうか。

 前線回避権は4万ルーブルで負傷証明書は100万ルーブルである、ロシア軍の贈収賄や汚職の実態を2月2日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告がロシアの独立系新聞ヴェルストカの報道を引用しています。前線派遣回避権は4万ルーブルで邦貨換算6万5000円、退役が認められる負傷証明書は100万ルーブルで邦貨換算162万円が相場という。

 ヴェルストカ紙の報道では、1000件以上のロシア軍内部の汚職実態から傾向を分析したとの事で、贈収賄は身体訓練の免除や当番交代、休暇取得や階級昇進と禁じられているスマートフォンの使用黙認、泥酔するなど軍紀違反の黙認などに用いられるとのこと。

 ロシアでは人命を度外視した攻撃が継続されていますが、既に今回の戦争に反対することが非合法化されたロシアでは戦争の合法的反対は無く、また大統領選においても書類不備により多くの立候補者を立候補禁止に追い込んでいることから、モスクワやサンクトペテルブルクの政権関係者や新興財閥関係者以外、人命無視の攻撃が成り立つのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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