北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

AH-2/UH-2新対戦車ヘリの可能性を考える【1】AH全廃方針とシンコークーガッコー祭に舞ったUH-2ハヤブサ

2024-02-08 20:10:52 | 先端軍事テクノロジー
■明野のUH-2機動飛行
 対戦車ヘリコプターと戦闘ヘリコプターは現在全廃方針の下で削減が続いており今後は最小限度の武装を施した多用途ヘリコプターが空中打撃力を担うという。

 昨年11月4日の明野航空祭、シンコークーガッコーと銘打った記念行事における明野レインボー飛行展示において新しく装備されましたUH-2多用途ヘリコプターハヤブサと、その背景のように飛行し機動飛行を展示してくれましたAH-1S対戦車ヘリコプターが並ぶ様子をみましたらば、多くの方が思ったのではないでしょうか、AH-1の次、AH-2の可能性を。

 AH-2というのはおそらく全国の中学生がクラスに一人くらい授業中にノートの端に日本版AH-1Zバイパーか、OH-1観測ヘリコプターの重武装型を落書きしたことでしょう、そしてそのほかに一応OH-1の重武装型か過去にテストケースとして可能性が示されていますし、川崎重工自身もOH-1の多用途ヘリコプター型を提示したその先にはUH採用後、あり得た構想といえます。

 UH-2多用途ヘリコプター、実際に現物をみてみますとUH-1Jの設計を応用し、ベル412EPという比較的新しい機体の日本仕様という設計は、特に明野駐屯地のAH-1S対戦車ヘリコプターと並び飛行する飛行展示を併せてみることで、このUH-2のAH-1S版を開発することはできないか、とどうしても考えてしまいます、AH全廃という趨勢の中でも。

 AH-1S対戦車ヘリコプター、1960年代の設計であり、AH-1Sが開発当時単なるコブラではなくトゥコブラと呼称されていたとおり、AH-1JまでコブラはTOW対戦車ミサイルの運用能力を持たず、70mmロケット弾と20mm機関砲、もしくは7.62mmミニガンと40mm擲弾銃を基本装備とするいわゆるところのガンシップとなっていまして、TOWを備えた。

 TOW対戦車ミサイルは有線誘導式対戦車ミサイルの傑作であり、1970年代以降このTOWミサイルは従来のM-40無反動砲にかわりジープに搭載され3750mとM-40では命中精度が期待できない距離からも高い確率で敵戦車を撃破できる能力を有しており、これは続いてMD-500ヘリコプター、日本ではOH-6のほうが通りがよいか、搭載されます。

 コブラがトゥコブラと呼ばれるようになった際、AH-1は胴体部分の幅が1m以下でしかなく、敵対空砲火に際しても命中する可能性を抑えており、なにしろ有線誘導ですから命中するまでの誘導が必要、戦車に対してはTOWを、地域制圧や装甲車両に対しては70mmロケット弾と20mm機関砲を駆使する運用となっていました。今でもある程度は有効だ。

 AH-64アパッチ、最近はアパッチというだけで無印ではなくアパッチガーディアンかその原型であるアパッチロングボウを示すようになっていますけれども、こちらが開発されますと搭載するヘルファイアミサイルは6kmから現用型では8kmまで射程が延伸しています、そしてMANDPASに代表される携帯地対空ミサイルの脅威が顕在化しました。

 ヘルファイアミサイルであれば、携帯地対空ミサイルの射程で8kmに達するのは、スウェーデンのRBS-70、携帯するには重すぎるということで三脚運用するRBS-70くらいであり、自衛用に第一線に配備されている携帯地対空ミサイルであればヘルファイアはアウトレンジ、射程外から叩けるのですが、TOWの射程ではそうはいきません、あまりに射程が短い。

 AH-1Sが陳腐化し、そして自衛隊での配備開始が1981年であり、もちろん相当数が既に退役していますから、AH-1Sをそのまま維持することは不可能ですし、またライセンス生産として富士重工、いまはスバルですか、調達した場合でもTOWの性能限界から開発当時の性能は発揮できません、40年前の性能が陳腐化せず現代で通じる装備は少ないゆえ、ね。

 ハヤブサ、UH-2について、しかしUH-1Jから大きな設計変更なしに、もちろんコックピットなどはグラスコックピット化されていますし、なにより自衛隊が求めた南西諸島での運用を念頭に航続距離や洋上飛行性能に余裕がある機体ですので、もちろんこれをガンシップ化する安直な方法ではなく、これのAH-1S版を考えるのは意味があるのではないか。

 ガンシップ化、一応自衛隊は多用途ヘリコプターへの武装は念頭に置いているようで、思い浮かべるのはアメリカ海兵隊がUH-1Yヴェノム軽輸送ヘリコプターにイスラエル製徘徊式弾薬HERO-120を搭載し、これも機内から投げ出すように投下するという、お手軽な、運用方式を試験しています、これはコストさえ見合えば検討の余地があるのかもしれない。

 しかしAH-1がUH-1から開発された当時のガンシップ方式は、自衛隊には適合しません、UH-1のガンシップ化は、これは1973年の映画キングコングに出てくる機体か、映画ダイハードでFBIの人たちが使っていた機体を思い浮かべれば適当でしょうが、スタブウィングを追加して、ここに7.62mmミニガンとロケット弾を搭載するものでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】吉田神社節分大祭,三日間執り行われる疫神祭・追儺式・火炉祭の様式は室町時代の様式を踏襲

2024-02-08 07:00:11 | 写真
■五穀は魔や魑魅魍魎を祓う
 いまの節分の季節は旧暦では大晦日に当る、だからこそ特別な行事となるのですが古来の様式を今に伝える吉田神社の節分大祭は三日間執り行われます。

 節分、平安時代の豆まきというものは今のように東京マルイのM-4A1と6mmBB弾なんてものはありませんでした、当時はツヅミ弾が主力でマルゼンのKG-9とか今では考えられないような古臭いエアガンが主流だったのです、という時代より更に千年前だ。

 ヤティマティックにキャレコ、後者はかろうじてFate-ZEROという作品で認識度を改めた印象ですが、よくぞまあ正規軍の制式を外れた装備が流行した一億総ゲリラ時代を迎える千年前の節分、一応追儺式以外に古代中国には魔除けで小豆を撒いていたらしい。

 神事などで五穀は魔を祓うという効果が日本でも信じられていたため、米を撒くという神事は、同じことをやって没落した事が伏見稲荷大社の歴史で知られていますが、行われて、大豆を撒くほかに木炭を撒くとか、幾つかの事例は古来記録はあるも節分となると。

 豆まき、日本では基本的に大豆を撒きますが、藤原道綱母が著した千年前の蜻蛉日記には、追儺式が転じた鬼ごっこのような遊戯に宮中の人が興じる様子が描かれているものの、豆をまいている様子などは描かれていません、豆まきは一般的ではなかった。

 鞍馬寺だけは、例外となっていたようで、宇多天皇の御世には深泥池の付近に住み着いた鬼を討伐するために祈祷した大豆を鞍馬寺の僧正が投げつけて追い払ったという。ただ、そんな昔話があった、と室町時代の壒嚢鈔という辞典の節分項目に記されたのみ。

 節分大豆打役、としましてようやく室町時代の宮中記録には大豆らしいものを投げていた様子が記されていて、なんでも、マメとは魔目に通じて魔物の目を投げるのと同じ効果があったという。室町時代には魔物の目を集め投げる残酷な発想があったのか。

 臥雲日件録という相国寺の僧侶瑞渓周鳳ののこした日記によれば、文安年間の記述に、散熬豆因唱鬼外福内、要するに鬼は外福は内と唱えて豆を投げたという記録があります。もっとも、文安年間というと一寸後に応仁年間、応仁の乱が相国寺に来るのですが。

 戦前は、昭和初期の時点で豆を撒こうにも食糧難が始まり、福豆と称して寺社参詣の方々へ福豆の袋を手渡した時代もあるという。大豆も食べられないのに戦争を始めたのもどうかと思うのですが、戦後また日本は豊かになり、豆を撒けるようになったのは幸い。

 京都の節分、しっかりと最後まで見ている方には幼少の頃に結構怖い思いをしたという実録恐怖体験を聞くことがあるのですが、この吉田神社の節分は、追儺式を昭和初期に氏子たちの発案で再現した事が始まりという、比較的新しい祭事であったりします。

 疫神祭、追儺式、火炉祭、と三つの祭事から成りまして、これを節分大祭という。故に、節分といえばセッツブーンでダンケダンケとか、セツブンガーでチャオチャオ的な祭事ではなく、古いお札の焚き上げ式など、みんなで豆まき式とは違うものとなる。

 大祭、節分大祭と称されていますが様式は室町時代の様式を踏襲しているといい、もっとも、鬼やらい、という節分神事を全部しっかり見ていますと、やはり子供には怖い思いをするという。大豆を持ち込んであてても全く効果がない鬼が来るので要注意だ。

 春分の日、実はこの節分大祭は節分の翌日に当たる春分の日まで執り行われます。そしてもう実は暦の上では春となりまして、実際梅花などは咲き始めているのですが、旧暦の正月を超えて、また一年がすこしすこしと、進んでゆくのを実感するのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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