北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】吉田神社節分大祭,鬼は確かに見えていた-天平の天然痘と大陸から定着した宮中の追儺式

2024-02-07 20:24:46 | 写真
■邪鬼や病魔を打ち払う
 豆を撒く行事というだけでは節分というものは理解できないもので実際吉田神社を探訪されますと豆まきの舞台が無い事に驚かれるかもしれない。

 節分、セッツブーン、セツブンガー。最近は色々な表現が為されるようですが、考えてみますともう少し、小学校の社会科などの授業で節分というものを体系立てて知識を得られるようにしてゆく必要があるのではないかなあ、とおもうところです。

 セッツブーン、子供たちが豆まきをする、関東では落花生を投げる、北海道ではチョコを投げ、防衛大学校では納豆とか椅子を投げ合う行事として有名です。ただ、その大本は追儺という、旧暦の大晦日に邪鬼や病魔を打ち払う宮中行事がそのはじまり。

 追儺、この儀式そのものは奈良時代に大陸中国からの文化として日本へはいりましたもので、やはり立春の前日、旧暦の大晦日に執り行われていた宮中行事であるところの大儺を取り入れたものとされています。もっとも、中国ではチョコレートは投げません。

 大儺、中国では皇帝の前に祭事を執り行う方相氏を先頭に幾人もの侲子が付き従い、先ず舞踊を奉じて後、方相氏は四角い面に熊野毛皮をまとい両手に鉾と盾を構え、侲子たちを魑魅魍魎に見立て内裏から追い払うというお祓いと巡幸をおこなったという。

 大陸から日本に定着しました追儺式では、方相氏ではなく儺人が祓いの儀式を執り行い、葦と桃で造った弓を鳴らし、陰陽師とともに方相氏と侲子たちが太鼓を鳴らし内裏から鬼たちを追い払うという方式を採っていました。なお当時、鬼役はいなかった。

 鬼が見える形となったのは平安遷都の後となっていまして、官奴が鬼役を担い儺人が厄払いのかたちで鬼を内裏から外へと追い出す祭事となっています。これ、考えると奈良時代には節分の鬼役がいなくとも祓う仕草の先に殿上人たちは空想の鬼をみていた訳で。

 奈良時代には、考えると天平の天然痘、人口の三割が死亡したという日本史上最悪のパンデミックにより日本の律令制度が事実上崩壊するわけですが、宮中でも藤原氏四兄弟こと藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂、相次ぐ病死する災厄があった。

 天平の天然痘として聖武天皇の治世下で滅亡しかけたわけですので、鬼役など任命せずとももう見えぬ災厄は目の前に居て、という実情が垣間見えます。逆に平安遷都の後に鬼役を任じられるようになったのは、社会が安定した証左といえるのかもしれません。

 セッツブーン。さて、今日の豆まきというのは愉しい、大人になっても豆まきがやめられずに東京マルイのM-4A1とかHK-416とかを購入して6mmの豆まきをやっている人たちがいるほどであるのですから、しかし節分がいつごろから慶事となったのでしょう。

 セツブンガーとも一部でいわれるところですが、民俗学者の柳田國男氏が示した一説を挙げますと、追儺そのものを子供がまねたものが鬼ごっこではないかといい、また鬼ごっこはもともと、逃げるほうが鬼であり追う方が厄払いをおこなっていた構図でした。

 追儺の除目、もちろん平安時代に鬼ごっこを大人も年中楽しんでいたという訳ではありません、慶事となりましたのは厄払いの付帯行事の方で、当時は追儺式に併せて任官の官職に漏れた者への補欠補職式が行われていたので、ここが金銭面で良かったことに。

 除目という名の補職は当時、春と秋に行われていたというので、任官に失敗したものへの追加補職は祭事そのもので、付帯行事の方が盛り上がるといいますと、自衛隊行事でもみんな式典よりも模擬戦を楽しみにするような、風潮は当時からあったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】吉田神社節分大祭,追儺の宮廷祭事再現は洛中の節分神事に在って別格の規模

2024-02-07 20:00:25 | 写真
■節分と云えば吉田神社
 歴史を辿れば今の形になったのは割と最近なのだけれども期限を辿ればそれはもう古い歴史を持つというのが節分だ。

 節分といえば、吉田神社である。異論は認めない。表に出ろ戦争だ、と思う方はまあ待って。吉田神社追儺という都年中行事画に記されているものがありまして、節分で豆まきをしたい切実な事情を持つ者たちが千年以上前に拓いた社が、吉田神社なのです。

 建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神、四柱を奉じる社殿の節分は洛中の節分神事に在って別格の規模を誇り、福引抽選会では特賞に自動車の新車が当たるという。駐車場でぶつけられるのではなく景品として自動車がもらえるというからすごい。

 左京区吉田神楽岡町、わかりやすく言うと京都大学の隣、ここには貞観元年こと西暦859年、公卿藤原山蔭が氏神を祀るために春日大社より四座の神々を勧請し創建した神社があり、その神社こそが今の吉田神社となっています。もちろん氏神の神社ではある。

 延喜式神名帳として当時の洛中の神社を列挙した一覧にも記載されていないあたりが、氏神の社殿であった証左でもあるのですが、時を経るとともに京都における藤原氏全体の氏神として崇敬を集めてゆくこととなります、当時滅びゆきつつあった藤原氏の。

 藤原氏といえは平城京からの名門一族ではあった、けれども、平安朝の頃に在って藤原道長が絶頂期を迎えるまでは衰亡を迎えていました、こういうのも奈良時代、聖武天皇の時代に博多に上陸した天然痘により、人口の三割が死亡した災厄と無関係ではない。

 聖武天皇の治世下に藤原氏は官職を独占しつつありましたが、天然痘の九州上陸に際して初動対応に当たったものの多くも藤原氏であり、多くが死に絶え、藤原四兄弟という高位高官たちも全員死亡、結果政敵の橘氏が台頭することとなりました。

 橘諸兄の台頭背景は藤原氏の衰退という甘いものではなく、藤原氏から高官の人材が全員死亡したために補欠的に補職された経緯があり、人口も比率でいえば太平洋戦争よりも遥かに深刻な激減を迎え、墾田永年私財法など景気刺激策を強行することになる。

 墾田永年私財法はのちに寺社や貴族の無理な荘園開発を引き起こす原因となり、日本は800年にもわたる騒擾の時代を迎えます。こうした中、藤原氏は平安遷都とともに京都を新しい拠点とするうえで、もう二度と、と病魔の災厄を恐れるようになります。

 追儺、というように節分といえばやはりその始まりは魑魅魍魎を祓う神事であり、考えれば藤原氏の平城京における衰亡は直接の原因が天然痘、すると祓いたくもなるでしょうという気概はやはりわかるものです。今年も吉田神社の節分は盛大に行われた。

 卜部氏、藤原神社ではなくて吉田神社であるのは、氏神信仰から大衆信仰に変革を経たゆえ。その際に卜部氏が神職を引き受けるようになった鎌倉時代に氏神から町衆の社殿となった故で、お祭りに来ている人が全員藤原というわけではないのだ。

 正暦2年こと西暦991年には十九社奉幣に列せられることとなり、朝廷祭事の一端を担う事となります。この十九社は二十二社となり、その際に下八社の一社へ列せられることとなる。明治時代の官幣中社、現在は神社本庁の別表神社といういちづけ。

 卜部神社ではないのは、卜部氏がのちに吉田家となったためです。江戸時代の寛永年間には吉田氏は諸社禰宜神主法度を幕府より任され、日本全国の神社へ神道裁許状の発布を所管することとなり大きな影響力を持つようなる。京都大学受験の際にみな詣でる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-制空権を!ウクライナ軍ザルジーニ総司令官は主導権に関する論文を発表

2024-02-07 07:00:21 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 盛んに試験を行っている北朝鮮のミサイルは確かな性能だという。

 ロシア製弾道ミサイルの品質が低下している、ISWアメリカ戦争研究所2月2日付戦況報告がウクライナ空軍報道官のユーリーイフナット大佐の発言を紹介しています。弾道ミサイルはウクライナ軍には迎撃する手段がペトリオットなど限られる為、ロシア軍は攻撃に際し特に重要目標を攻撃する際、弾道ミサイルを使用する事例が増えているとの事です。

 弾道ミサイルが目標に到達しない、つまり命中精度の問題ではなく弾道ミサイルが正常に飛翔しない状況が発生しているとのこと。ただ、ロシア軍はロシア製弾道ミサイルよりも信頼性の高い北朝鮮製弾道ミサイルを使用しており、こちらが大きな脅威になっている。弾道ミサイル技術で、実はロシア製ミサイルは北朝鮮製を下回るとは驚きの情報といえる。
■ザルジーニ総司令官
 制空権が重要だという主張です。

 ウクライナ軍のザルジーニ総司令官は主導権に関する論文を発表した、ISWアメリカ戦争研究所2月1日付戦況報告の中で興味深い報告を記しています。ザルジーニ総司令官の論文は“主導権を巡る戦い-ロシアウクライナ戦争における軍事作戦”という表題で、ウクライナ軍が勝利するためには制空権を獲得し、攻撃や兵站や偵察を行う必要がある、と。

 制空権を確保する事はウクライナ軍の機動力を確保すると共にロシア軍の機動力を制限する事で戦場の主導権を握る事に繋がり、これによってウクライナ軍は無人兵器システムなどの技術的優位性を活用でき、少ない資源を有効活用するとともにロシア軍へ最大限の損害を強いる事が出来る、と主張しています。なおまもなくウクライナはF-16を配備します。
■ロシア軍2600両の戦車喪失
 退役した戦車を保管する重要性について。

 ロシア軍は開戦以来2600両の戦車を喪失した、1月29日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告が2022年2月24日から2024年1月25日までのロシア軍損耗の概算値を発表しました。これによれば主力戦車は2600両、装甲戦闘車量は4900両を喪失したと分析しています。ただ、2022年と比較し2023年の損耗は40%ほど抑制されているとのことです。

 2023年のロシア軍損耗が抑えられた背景には、ロシア軍は2022年一杯の攻勢を行ったのに対して、2023年には攻勢よりも確保した占領地での防衛線維持に重点を置いたためと推測しています。ロシア軍はソ連時代に大量生産し、かつ欧州通常戦力削減条約締結後も、解体されず保管されている膨大な旧式戦車を再生する事で膨大な損耗を補填しています。

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