北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

AH-2/UH-2新対戦車ヘリの可能性を考える【5】ヘリコプター打撃力は日本型の航空機が今後必要になる

2024-02-29 20:05:23 | 先端軍事テクノロジー
■ニッポンAH-2が必要だ
 AH-1Sの後継はAH-2でなければ多用途ヘリコプターの武装運用では機械化部隊への補給任務さえ危ないという視座に基づく特集は今回がいったんの区切りとしましょう。

 UH-2からのAH-2,この思考に至ったのは、等持院か光明院か本法寺庭園でなのかというのはさておき、偵察戦闘大隊という、戦車大隊と偵察隊を統合した近年続々と創設され、まもなく全廃される本州戦車部隊の代替という存在も一つあります。観測ヘリコプターと対戦車ヘリコプターの任務を統合できる可能性があるのではないか、という視座に基づく。

 偵察戦闘ヘリコプター、なにかとってつけたような、アメリカが既に失敗した方式のようにも今アメリカが仕切り直しを模索しているような方式にも見える様式です。ただ、着弾観測にもちいられたOH-6D観測ヘリコプターを偵察任務に用いていました時代がある自衛隊ですが、OH-6Dに観測はともかく偵察は可能か落とされないのか、と当時は危惧した。

 OH-6D観測ヘリコプター、既に全廃されている装備ですが自衛隊は無人航空機により代替するという。これは例えば純粋な観測機、TH-55ヘリコプターが想定したような着弾観測ならば、確かに師団や旅団の情報隊に装備されているスキャンイーグル無人機でも対応できると考えます、もっとも火砲はまもなし師団旅団から廃止されますが。これは別の話で。

 スキャンイーグルは一機2億5000万円とOH-6Dの3億円と比べれば安価で、長時間、実に24時間もの飛行が可能であるとともに100kmにわたる統合通信システムを搭載、近年火砲の砲身が52口径から62口径や70口径時代まで延伸され野砲の射程が100kmへ迫ることとなっていますが、スキャンイーグルはその射程さえも凌ぐ行動半径を有しています。

 しかし南西諸島防衛を考えた場合、この100km程度という行動半径は充分ではありませんし、何より陸上自衛隊が射程を延伸させる地対艦ミサイルを筆頭に考えますと、自衛隊自身が目標確認弾という、要するにミサイルに索敵を行わせる方法を模索していまして、これは平時の警戒監視やグレーゾーン事態ではミサイルは、簡単に運用できない事を示す。

 偵察任務に視点を戻しますと、OH-1観測ヘリコプターが開発された当時は、敵戦闘ヘリコプターの妨害を排除して偵察に当たる、というかなり踏み込んだ設計がなされていました。もともとあの航空機が250機配備されるけいかくであったのを37機で調達中断した、あのころに違約金を支払わない国との間で確執が生じていたのでしょうが。閑話休題です。

 OH-1観測ヘリコプターの視点に戻りますと、OH-1が開発された時代と比較しますと広域防空ミサイルの拡大、これは日本有事の際には先ず上陸地域が敵の広域防空艦の圏内に緒戦はどうしても入ってしまう、という状況が不可避となりますと、許容できない危険度であり、やはり無人航空機への転換は必要とも考えさせられる。ただ、それだけでよいのか。

 監視任務と偵察の違い、さてここで留意しなければならないのは、敵がいるかどうかを探る斥候と敵の戦闘能力を計る偵察の違いが、水陸両用作戦を含めた対着上陸戦闘にも当てはまる点で、ある程度相手の出方をみる必要がある、ということです。すると、偵察戦闘大隊のような概念が航空機にも必要であると気づかされますが。要するに連携が必要だ。

 MUM任務、Mこと007の上司ではなくここでは有人機、UMこと無人機、有人機と無人機の連接がここでも求められることになるのではないか。たとえば対戦車ヘリコプターのスタブウイングにHERO120のような徘徊式弾薬か、スキャンイーグル水準の空中発射型無人機を搭載し、まずここから斥候を行う、敵の有無を探るということ、その先の偵察だ。

 OH-1の時代には考えにくい運用ですが、無人機が敵対航空機を発見して、これは同時に無力化、撃墜されることで敵の広域防空システムの存在に接敵することになるのでしょうが、ここから対戦車ヘリコプターが匍匐飛行により戦闘を展開し、いわゆるところの相手の戦闘能力を計る偵察をおこなう、こうしたMUM方式が必要ではないか。技術的には可能だ。

 スキャンイーグルは防衛省では中型無人機に区分しているため、陸上自衛隊は大中無人機を導入する方針といいますから、もしましますとMQ-9無人機でも一定数導入する計画があるのかもしれませんが、スキャンイーグルだけでは展開できる地域がヘリコプターよりも限られるため、MUM任務に対応する航空機、専用機が必要になるよう考えます。

 偵察ヘリコプターでも戦闘ヘリコプターでもない、無人機だけでも有人機だけでもない任務、すると有人機にも一定以上の戦闘能力と何よりも生存性が求められますので多用途ヘリコプター派生やSH-60Lのような哨戒ヘリコプターでは生き残ることができません、こうした用途に適合する、日本型の航空機が今後必要になるよう、思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花祭,菅原道真そのひととは-高雄の峰々から暗雲が清涼殿落雷事件

2024-02-29 07:00:00 | 写真
■和歌を愛する詩人
 歴史を散策するのですから表面だけでは無くもう少し奥深い成り立ちや縁というものを思考の散策として楽しみたいものです。

 北野天満宮は梅園を花の庭として、2022年に再整備し完成させました。これは明治維新の後に破壊され縮小されていた部分の再生ということなのですが、その源流たる北野天満宮の祭神、菅原道真の配流という歴史はこれまでに経緯と経過を示しました。そのさきに。

 清涼殿落雷事件は、その再集団として発生した、しかし大きな事件でした。時は延長8年6月26日、西暦では930年7月24日、この頃京都は日照りに悩まされ、雨乞神事の是非を議論する太政官会議を醍醐天皇御座所の内裏は清涼殿にて行うところでした、そのとき。

 高雄の峰々から暗雲が垂れ込め内裏の方に雲行きが怪しくなったのは正午頃、当時の様子を記した日本紀略にはあり、平安京一帯は豪雨に見舞われるとともに1600時過ぎ、清涼殿南西に落雷がありました。落雷は電撃が廊下を瞬時に帯電させ結果死傷者十数名がでます。

 大納言藤原清貫卿はこの瞬間に即死、右兵衛佐美努忠包と内蔵頭平希世らほか数名が焼死し、扶桑略記によればこののち数回の落雷が内裏にあり、更に数名が死亡している。大納言藤原清貫卿は直撃を免れるも床を這った雷撃で立ったまま焦げて即死していると記録が。

 死穢、という、当時は遺体に触れたものに触れただけでも数日間出仕停止という穢れを避ける制度があり、実はこの為に鴨川河原などで一部を拾ってくるワンコさんは嫌われたのですが、その穢れが内裏の最中、天皇さえお隠れの際には出る内裏で起こったという訳だ。

 醍醐天皇は清涼殿から常寧殿に遷座し、穢れから距離を置いたのですが歩いている人間が目の前で立ったまま黒焦げて亡くなる災禍を目の当たりにした醍醐天皇はそのまま引きこもり三か月後に崩御、しかも驚かれたのは雷雲が高雄の方角からやってきたことでしょう。

 神護寺、和気清麻呂を祀る神護寺が置かれた高雄と愛宕は宮城の守り、すると菅原道真が引き起こした祟りを皇室守護で名高い和気清麻呂の神霊も黙認した事なのか、と大騒ぎになりまして、醍醐天皇の崩御もあり、改めて北野天満宮を造営することとなったのですね。

 吉祥院天満宮に始まり菅大臣神社や菅原院天満宮神社、果ては北野天満宮を創建せよと夢のお告げを受けた少女を祀る文子天満宮まで造営されていますが、即位された朱雀天皇は北野天満宮を造営、齢7歳の若冠ながら平将門や藤原純友が跋扈する時代に挑む訳です。

 歴史を慎重に見ていますと、菅原道真を道真公としてお祀りしました北野天満宮造営以降は大きな祟りはありません。いや、平将門の乱や藤原純友の乱の方も大変なのですが、北野天満宮はその後も公家や武家と町衆に愛され、今も梅園はひとびとの活気が絶えません。

 菅原道真公、こう紹介しますと没後は怖いこととなりますし、生前は何しろ天才という人物故に近寄りがたい印象を持たれるかもしれませんが、漢詩と和歌を愛し、仕事には丁寧ではあるものの言葉を荒げることはなく、盛り上がる酒宴では妖艶な和歌を残している。

 和歌を愛する詩人であり、また教育は大好きという言葉を残すものの子煩悩で子供の成長の旅に和歌を残し、それは毎日わが子の写真を撮るパパの平安朝版だ。和歌繋がりで親交深かった在原業平とは、ナイショで遊女の街である今の大山崎に度々あゆみ運ぶほどに。

 武官藤原滋実とも親交、天台宗の僧相応和尚とも親交、配流の藤原時平の弟である藤原忠平とも和歌を通じ親交を結び、渤海から帰化した王文矩、また私塾菅家廊下の弟子からも慕われ、醤油ご飯とお酒が好き、そんな一面もある、祭神の社は今年も梅花で満開です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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