■管区隊編成の巨大連隊
シビリアンコントロールを文民統制を訳した事でシビリアンとは本来国民に選挙で選ばれた政治家である筈なのに官僚が自らを自衛隊よりも優位において統制できるという勘違いがあります。
防衛計画の大綱という閣議決定に基づく防衛力整備、内閣という国権の最高機関であり国民から直接選挙により選ばれた国会が行政を付託した内閣の決定を、選挙で選ばれたわけでもない財務省が一方的に削るのですから、このあたりは内閣人事局が仕事をしていないのだなあ、と残念に思いつつ、数がそろわない、揃わせない圧力がある、これも影響した。
閣議決定まで考えても財務省が阻むのだから、内閣は財務省よりも格下にみられている現状を放置する実状に、民主国家のあり方というよりもシビリアンコントロールの危機を感じる一方、どうせ通らないという危機感から自衛隊としても部隊の規模を縮小できいない、という実状があるのでしょう。結果的に編成はどんどんと縮んだ実状へつながりました。
事項要求による部隊編成の予算確保と部隊規模及び部隊編成を政令で明示する、これができるならば、自衛隊の編成は名称と規模を一致できるのかもしれません。そして、こうした"事項要求"と"編成の政令"が実現できるならば、その条件を以て編成をいっそのこと、思い切って第一次防衛力整備計画の時代、大型の連隊を基幹とする編成に戻してはどうか。
第1連隊を構成する第1連隊第1大隊はその後1954年に第1普通科連隊に、第1連隊第2大隊は1960年に市ヶ谷へ移駐したのち1962年に第32普通科連隊に、第1普通科連隊第3大隊は豊川を経ていろいろあって北海道真駒内の第18普通科連隊、大隊編成を戻し地域との関係を重視するならば、第1普通科連隊第1大隊と第32大隊と第18大隊とすればよい。
即応機動連隊の編成、大隊編成は普通科大隊ではなく単に呼称を大隊とするだけならば、ここに諸兵科連合部隊という現代のNATOはじめ各国が採用する諸兵科連合大隊としての編成に変える好機、すでに編成実験と任務能力が実証されたいまの即応機動連隊の方式を採用することで実現します。即応機動連隊は850名、普通科連隊の1200名よりも小型だ。
諸兵科連合部隊としての即応機動連隊ですが、本部管理中隊に装甲化された3個普通科中隊と2個中隊基幹の実質大隊編成ともいいうる機動戦闘車隊、そして重迫撃砲を装備した火力支援中隊から編成されています。装甲車は96式装輪装甲車の後継に重装甲のパトリアAMV装甲車が採用されたため、火力支援中隊の自走迫撃砲も強力な装備となる。
四個管区隊時代までいったん部隊編成を戻し、いわば大型の師団四個、その隷下に大型の連隊を各3個の12個連隊を置き、更にその隷下に各3個の即応機動連隊型部隊を置いてはどうか。上掲の通り枝分かれして基盤的防衛力の母体となる小型の普通科連隊となったのだから、大隊として地域と繋がりは維持できるでしょう。このあたりは重要と思うのです。
自衛隊も結局のところ人と人の組織です。そして演習場や飛行場がなければ、毎日の射撃訓練でアメリカやオーストラリアへ行くわけにも参りません、すると地元との関係を重視せねばならない。このことは2022年、今津駐屯地祭で痛感しました。滋賀県知事と高島市長が祝辞を述べられたのですが、部隊の大規模削減に途轍もない危機感を感じていました。
人口減少対策は自衛隊の任務ではない、こう反論がある事は判るのですが、しかし高島市には中部方面隊唯一の戦車小隊射撃が可能な中演習場があります、日本原では小隊射撃は出来ない。そして、迫撃砲の場外着弾初め、不祥事も起きているのですが、実際のところを見ますと、地元理解により演習場が維持出来ている印象がある、擁護論が地元にもある。
コミュニティの一員と理解されている故、また昔からの、軍都、という表現は行き過ぎなのかもしれませんが、こうした地域的なつながりがありますので演習場が維持できているという背景を無視すべきではありません。武家社会ではなく自衛隊は公務員ですので世襲制により人数を確保出来る訳ではない、演習場も御用地ではなく国有地、なのですからね。
防衛力整備法か、せめて政令により過度に人員削減されない保証が要る。ラジカルな改編を提案しましたが、これには理由があります。いままで幾度も画期的な防衛力整備の指針が示されても、財務当局に予算を削られる事で中途半端なものに、完成せず結局整備途上であり、その整備に要した防衛費が結果として活用できず終わった施策が多すぎるのです。
財務省は日本を経済破綻から防衛するべく増税する事が責務だ、と考えているのかもしれませんが所掌の違いに過ぎません。いや、防衛計画は閣議決定されているのですから、民主主義により選ばれた政治の決定を官僚がゆがめている構図です。だからこそ、事項要求とするか、財務官僚が更迭を覚悟で削減したならば、覚悟の更迭で応える必要があります、それが民主主義なのですから。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
シビリアンコントロールを文民統制を訳した事でシビリアンとは本来国民に選挙で選ばれた政治家である筈なのに官僚が自らを自衛隊よりも優位において統制できるという勘違いがあります。
防衛計画の大綱という閣議決定に基づく防衛力整備、内閣という国権の最高機関であり国民から直接選挙により選ばれた国会が行政を付託した内閣の決定を、選挙で選ばれたわけでもない財務省が一方的に削るのですから、このあたりは内閣人事局が仕事をしていないのだなあ、と残念に思いつつ、数がそろわない、揃わせない圧力がある、これも影響した。
閣議決定まで考えても財務省が阻むのだから、内閣は財務省よりも格下にみられている現状を放置する実状に、民主国家のあり方というよりもシビリアンコントロールの危機を感じる一方、どうせ通らないという危機感から自衛隊としても部隊の規模を縮小できいない、という実状があるのでしょう。結果的に編成はどんどんと縮んだ実状へつながりました。
事項要求による部隊編成の予算確保と部隊規模及び部隊編成を政令で明示する、これができるならば、自衛隊の編成は名称と規模を一致できるのかもしれません。そして、こうした"事項要求"と"編成の政令"が実現できるならば、その条件を以て編成をいっそのこと、思い切って第一次防衛力整備計画の時代、大型の連隊を基幹とする編成に戻してはどうか。
第1連隊を構成する第1連隊第1大隊はその後1954年に第1普通科連隊に、第1連隊第2大隊は1960年に市ヶ谷へ移駐したのち1962年に第32普通科連隊に、第1普通科連隊第3大隊は豊川を経ていろいろあって北海道真駒内の第18普通科連隊、大隊編成を戻し地域との関係を重視するならば、第1普通科連隊第1大隊と第32大隊と第18大隊とすればよい。
即応機動連隊の編成、大隊編成は普通科大隊ではなく単に呼称を大隊とするだけならば、ここに諸兵科連合部隊という現代のNATOはじめ各国が採用する諸兵科連合大隊としての編成に変える好機、すでに編成実験と任務能力が実証されたいまの即応機動連隊の方式を採用することで実現します。即応機動連隊は850名、普通科連隊の1200名よりも小型だ。
諸兵科連合部隊としての即応機動連隊ですが、本部管理中隊に装甲化された3個普通科中隊と2個中隊基幹の実質大隊編成ともいいうる機動戦闘車隊、そして重迫撃砲を装備した火力支援中隊から編成されています。装甲車は96式装輪装甲車の後継に重装甲のパトリアAMV装甲車が採用されたため、火力支援中隊の自走迫撃砲も強力な装備となる。
四個管区隊時代までいったん部隊編成を戻し、いわば大型の師団四個、その隷下に大型の連隊を各3個の12個連隊を置き、更にその隷下に各3個の即応機動連隊型部隊を置いてはどうか。上掲の通り枝分かれして基盤的防衛力の母体となる小型の普通科連隊となったのだから、大隊として地域と繋がりは維持できるでしょう。このあたりは重要と思うのです。
自衛隊も結局のところ人と人の組織です。そして演習場や飛行場がなければ、毎日の射撃訓練でアメリカやオーストラリアへ行くわけにも参りません、すると地元との関係を重視せねばならない。このことは2022年、今津駐屯地祭で痛感しました。滋賀県知事と高島市長が祝辞を述べられたのですが、部隊の大規模削減に途轍もない危機感を感じていました。
人口減少対策は自衛隊の任務ではない、こう反論がある事は判るのですが、しかし高島市には中部方面隊唯一の戦車小隊射撃が可能な中演習場があります、日本原では小隊射撃は出来ない。そして、迫撃砲の場外着弾初め、不祥事も起きているのですが、実際のところを見ますと、地元理解により演習場が維持出来ている印象がある、擁護論が地元にもある。
コミュニティの一員と理解されている故、また昔からの、軍都、という表現は行き過ぎなのかもしれませんが、こうした地域的なつながりがありますので演習場が維持できているという背景を無視すべきではありません。武家社会ではなく自衛隊は公務員ですので世襲制により人数を確保出来る訳ではない、演習場も御用地ではなく国有地、なのですからね。
防衛力整備法か、せめて政令により過度に人員削減されない保証が要る。ラジカルな改編を提案しましたが、これには理由があります。いままで幾度も画期的な防衛力整備の指針が示されても、財務当局に予算を削られる事で中途半端なものに、完成せず結局整備途上であり、その整備に要した防衛費が結果として活用できず終わった施策が多すぎるのです。
財務省は日本を経済破綻から防衛するべく増税する事が責務だ、と考えているのかもしれませんが所掌の違いに過ぎません。いや、防衛計画は閣議決定されているのですから、民主主義により選ばれた政治の決定を官僚がゆがめている構図です。だからこそ、事項要求とするか、財務官僚が更迭を覚悟で削減したならば、覚悟の更迭で応える必要があります、それが民主主義なのですから。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
連隊の「伝統」は大事にするのが良いと思います。一方で実戦部隊の編成はそうした「行政的な」視点ではなく、実戦的な視点で組んで欲しいですね。
例えばイギリスでは、連隊隷下に1個現役大隊しかない連隊も多いです(2個現役大隊+1個予備役大隊とかの連隊もありますが)。連隊はそれぞれの地方の顔であり、各地に連隊本部があります。現地で見たこともありますが、地元の老兵の方が大事に守ってました(笑)。でも、実戦部隊はそれと切り離して「大隊」として編成し、中佐が指揮しています(確かイタリア陸軍も同じ)。言い換えると、連隊と言いつつ、実質も指揮官も大隊規模の部隊にしているということですね。
一方で、北大路機関さんのおっしゃるように、昔の(いまは旅団で置き換えられた)大型連隊(一佐指揮)に、3個大隊(二佐指揮)を配置するのも良い考えと思います。
まず文科省も国交省も総務省も、計画通りの予算はあてがわれていません。防衛省だけではありません。
さらに、中期防などは閣議決定されていますが、毎年の予算案も閣議決定されており、国会審議もしているので、民主主義は完全に守られています。予算が削られているとすれば、それは内閣の責任です。安倍政権時代の防衛費の増大、今回の増大を見ればわかりますが、財務省は政府の意向に忠実に従っています。少なくとも財務省を批判するのは当たらないと思います。
また財務省の防衛問題に対する提言は、さすがであり一見の価値があります。1/3くらいは予算削減を意図しすぎていて防衛省がきちんと論破すれば良いネタですが、2/3くらいは、普通に見ていて防衛省がなぜそれをしないのか、誰が見ても不合理な問題を指摘しています。
ミサイル防衛予算導入による(主に)陸自の弱体化は、予算割り振りをまさに「シビリアンコントロールした結果」のものであって、財務省という「なんかの悪者」のせいではないと思います。防衛省がきちんと「この予算と人員では**はできませんので、削るしかありません。国会の皆さん、選んでください。」と言うべきなのです。
整備新幹線だって、予算超過となれば、工期を延期をしています。防衛費も同じだというだけだと思います。