■本日は十二月八日
本日は十二月八日、ハワイ海戦記念日で真珠湾攻撃の日です。あの1941年12月8日の歴史だ。
日本海軍空母機動部隊はハワイのアメリカ海軍真珠湾軍港を奇襲、所在する戦艦の大半を撃沈もしくは大破に追い込みました。その僅か前にはマレー半島への上陸を開始、それは同時にシンガポールと当時アメリカ極東軍の拠点であったフィリピンへの攻撃も開始され、その瞬間、欧州において勃発していた大戦は地球全土を覆う第二次世界大戦となりました。
真珠湾攻撃、ここで学ぶべき点は、日本の戦後平和における総決算が未だ為されていないのではないか、ということです。もちろんアメリカ海軍が第1戦艦戦隊などをサンディエゴ軍港から真珠湾軍港へ前進させたことは、西太平洋における対日抑止力強化という視座はありましたが、同時にこれは当時のルーズベルト大統領の意思によるものでした。
サンディエゴとことなり、ハワイは太平洋の中央部にあることから奇襲を受ける懸念があったのですが、抑止力を強化した、逆に日本側からは恫喝であるとして対米強硬論が蒸し返す結果となっています。ただ、それならば真珠湾への前進がなければ、日米戦はおきなかったのか、ということまでは視座を広げられない方がいるようでして。
日米交渉は、ある段階から既に空母による奇襲という措置が決定されており、事実上引き返せない中での、もちろん制度上は外務省など外交当事者には伏せられており、当時の日本の政軍関係を考えるならば不自然では無いといいうるのかもしれませんけれども相手からした場合は欺瞞であった、信用できない政治制度をとっていたとうつる。
ここで学ぶべきは、外交によりすべてを解決できるという考え方そのものを日本で持ち続けることが逆に先の開戦に至る制度を理解していないというもので、もちろん日本以外すべての国は善であるという穿った見方、ロシアや北朝鮮やさきほどまでのシリアなどを含めて考えるような極端な見方をしないならば、合理的では無いということです。
総決算がまだではないか、と危惧する前述の論的背景には、戦後の日本は、一応1925年の普通選挙制度施行以降に続いて女性参政権という、実は日本の女性参政権実現は世界的に見ると意外と早い、その変革は実現しています。しかしそれが、投票には行く、以上の政治参加をおこなわず、また政治というものを一種日常から切り離している点が。
安全保障と防衛についても、結論や思考過程というよりも関心を持たなければならないものの、その社会生活においてこうしたものにさくことの出来る余裕、社会的な寛容度を低くしている実情があるのではないか。それが結果的に、考えないことが反対なのだ、という、なにか、先の大戦の原因、自由からの逃避と重なる部分があるよう思う。
現実主義と理想主義の結節点というものをもう少し考えるべきではないか、こう考えるのは結局平和という総論の元で各論が異なるのが我が国の安全保障にかんする問題であり、これは憲法と政府、つまり統治行為論での自衛隊法との関係のような、一種矛盾を合理的なもののように理解しなければならない、憲法上の問題があるということです。
歴史と向き合う、現実主義も理想主義も双方に万能では無い仕組みを有していると、率直に見ていて感じるのです。こうしたなかにおいて、思い切って考えを共有できないかもがいてみる、無理なような代替案を実現する方策を考えてみる、こうした必要性を、考えてしまうのが十二月八日であったりするのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
本日は十二月八日、ハワイ海戦記念日で真珠湾攻撃の日です。あの1941年12月8日の歴史だ。
日本海軍空母機動部隊はハワイのアメリカ海軍真珠湾軍港を奇襲、所在する戦艦の大半を撃沈もしくは大破に追い込みました。その僅か前にはマレー半島への上陸を開始、それは同時にシンガポールと当時アメリカ極東軍の拠点であったフィリピンへの攻撃も開始され、その瞬間、欧州において勃発していた大戦は地球全土を覆う第二次世界大戦となりました。
真珠湾攻撃、ここで学ぶべき点は、日本の戦後平和における総決算が未だ為されていないのではないか、ということです。もちろんアメリカ海軍が第1戦艦戦隊などをサンディエゴ軍港から真珠湾軍港へ前進させたことは、西太平洋における対日抑止力強化という視座はありましたが、同時にこれは当時のルーズベルト大統領の意思によるものでした。
サンディエゴとことなり、ハワイは太平洋の中央部にあることから奇襲を受ける懸念があったのですが、抑止力を強化した、逆に日本側からは恫喝であるとして対米強硬論が蒸し返す結果となっています。ただ、それならば真珠湾への前進がなければ、日米戦はおきなかったのか、ということまでは視座を広げられない方がいるようでして。
日米交渉は、ある段階から既に空母による奇襲という措置が決定されており、事実上引き返せない中での、もちろん制度上は外務省など外交当事者には伏せられており、当時の日本の政軍関係を考えるならば不自然では無いといいうるのかもしれませんけれども相手からした場合は欺瞞であった、信用できない政治制度をとっていたとうつる。
ここで学ぶべきは、外交によりすべてを解決できるという考え方そのものを日本で持ち続けることが逆に先の開戦に至る制度を理解していないというもので、もちろん日本以外すべての国は善であるという穿った見方、ロシアや北朝鮮やさきほどまでのシリアなどを含めて考えるような極端な見方をしないならば、合理的では無いということです。
総決算がまだではないか、と危惧する前述の論的背景には、戦後の日本は、一応1925年の普通選挙制度施行以降に続いて女性参政権という、実は日本の女性参政権実現は世界的に見ると意外と早い、その変革は実現しています。しかしそれが、投票には行く、以上の政治参加をおこなわず、また政治というものを一種日常から切り離している点が。
安全保障と防衛についても、結論や思考過程というよりも関心を持たなければならないものの、その社会生活においてこうしたものにさくことの出来る余裕、社会的な寛容度を低くしている実情があるのではないか。それが結果的に、考えないことが反対なのだ、という、なにか、先の大戦の原因、自由からの逃避と重なる部分があるよう思う。
現実主義と理想主義の結節点というものをもう少し考えるべきではないか、こう考えるのは結局平和という総論の元で各論が異なるのが我が国の安全保障にかんする問題であり、これは憲法と政府、つまり統治行為論での自衛隊法との関係のような、一種矛盾を合理的なもののように理解しなければならない、憲法上の問題があるということです。
歴史と向き合う、現実主義も理想主義も双方に万能では無い仕組みを有していると、率直に見ていて感じるのです。こうしたなかにおいて、思い切って考えを共有できないかもがいてみる、無理なような代替案を実現する方策を考えてみる、こうした必要性を、考えてしまうのが十二月八日であったりするのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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