北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2024事前訓練.飛実団イーグル航空自衛隊70周年記念塗装(2024-11-07)

2024-12-01 20:24:38 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■F-15記念塗装
 第一回の日にちが間違っていまして(2022-09-05)ではなく(2024-11-07)でしたので訂正です。

 エシュロン編隊で大編隊予行に参加した機体が進入してきた、これ中編隊で、実際に航空祭では大編隊と中編隊と小編隊を組む予定であるというのを知ったのはだいぶん後の話であったりします、そして本番に分けたいような青空が背景にある。

 G3Xで撮影したので、頑張れば望遠はもう少し伸ばせるのだけれども、EOS-7Dと連結して撮影するという、ちょっとした曲技的手法で撮影しているので、フレームに収まるように敢えてこう、広角で撮影し、はみ出さないようにしてみました。

 F-2初号機が編隊を旋回へ。二台のカメラで撮影するというのは万一の際の保険という意味合いがある、レンズ接点不良とかで一瞬でも撮影できないときには、もう一台がバックアップに回るのだ。もちろんAF値とかTV値の錯誤にもバップアップが。

 70周年特別塗装機も編隊に並ぶ、実は二台のカメラを並べてボアサイト調整を行っているのだけれども、上下の調整が構造上できないので、望遠端を活かすのが難しい、でもこれ、もう少し望遠で撮影したかった、という角度で仕上がりました。

 C-1FTBの機動飛行、編隊飛行とともに今年の航空祭の主役はこのC-1FTB,岐阜基地航空祭の事前訓練はこの後に予行とそして総合予行となりまして、総合予行では無いのだけれども前日訓練となりまして、その後で本番になるという感じの流れ。

 銀ちゃんの愛称でも知られる、というか勝手に地元では親しまれているのかな、と思ったらば、このC-1FTBは入間基地航空祭にも展開してC-1輸送機2号機とともにならんだ際にも銀ちゃんと呼ばれていた。岐阜のほかに埼玉でも呼ばれていたならば。

 C-1輸送機の凄いところは、戦闘機として設計を勘違いしたのではないかというほどに機動性に優れているところ。後継機としてC-2輸送機が開発されているけれども、大きい分数はそこまで不要だろう、と飛行隊定数が減ってしまったのが残念だ。

 C-2輸送機、機体規模は大きくなったけれども、それ以上に世界地図に示す自衛隊の任務範囲も大幅に増大しているので、そう、飛行隊定数を8機とせず、C-1輸送機時代の12機を維持する必要があるように思う。即応機を確保しなければならないから。

 機動性、急降下して滑走路へ入ってゆく様子、本番でこの機動の意味がわかった、滑走路が塞がっている場合でもSTOL性能、短距離着陸出来る能力を発揮すると無事着陸できる、という、そんな展示が行われたのだが、このときは知るよしも無い。

 輸送機の任務は近年増大している、邦人救出任務は今年もレバノンで実施、自衛隊が任務を完了した後でベイルート国際空港周辺は事実上の戦闘地域になっている、昨年はガザ戦争勃発、アフリカ地域での邦人救出のための邦人輸送も行われている。

 C-1輸送機、実のところこの機体は航続距離の関係から邦人救出任務には実績が無い、設計された当時は沖縄返還前だったので、社会党に外国へ侵略用だと批判され航続距離がもの凄く短くなった、が、その分速度を強化して、時間あたりの輸送力を高めたが。

 沖縄返還後は、もともとC-1は8tの装備を輸送できるのだけれども、那覇まで飛べないでは話にならないので機内に燃料タンクを増設して航続距離を延伸した沖縄型、という改造型を開発した、けれどもその結果、搭載能力は6.5tまで減ってしまったのですが空輸の一翼を担いました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】春日井駐屯地創設57周年記念行事(6)戦車回収車-第10後方支援連隊で現役(2024-07-07)

2024-12-01 20:00:59 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■再会!78式戦車回収車
 74式戦車が全廃された際に戦車回収車も無くなったのだと思いましたが春日井の火器車両直接支援中隊にて運用されていました。

 78式戦車回収車が未だ現役だったのか、今年の春日井駐屯地祭は、今頃の季節となると、あの夏の暑さが懐かしい、とか言いまわる方がいるようですが、冗談じゃアない、できれば夏も温度計が35度くらいまでにしてほしい、とおもいつつ、熱い中行った。

 41度と気温が凄いことになっていて、41というと空母ミッドウェーの艦番号だが護衛艦はるな艦番号下二桁も41で縁起がいいなあ、と考えるころには熱中症一歩手前だったと考えるべきなのでしょうが、そんななかで78式戦車回収車が残っていたのを観れたのは。

 戦車回収車、てっきり74式戦車とともに廃止されたものと思っていましたが、重装輪回収車の不足を補うためなのか、そもそも重装輪回収車は14.5tの96式装輪装甲車を改修する事が目的の装備ですので、26tの機動戦闘車を回収できるのか、と思わないでもない。

 オランダ軍は戦車を全廃したあと、1000両以上あった戦車を全廃した後でも戦車回収車は維持していたという話を思い出しまして、装甲回収車の有用性というものが一定程度あるのだろうと思いつつ、思えば装輪装甲車が各国で増える中、回収車は新型があまり。

 16式機動戦闘車、しかし、結局回収車として78式を維持しているのだし、現在のロシアウクライナ戦争を見ればカタい車両の重要性、あと何より92式地雷原処理車が障害除去した後の不整地を機動戦闘車は踏破できないのだから、野戦で使うには限界がある。

 74式戦車の車体に16式機動戦闘車の車体を載せれば、もう74式戦車の車体は目いっぱい使っているのでガタがきて思う存分走ることは無理だと分かるのだけれども、例えば共通装軌式車両、89式装甲戦闘車後継の車体に16式の砲塔を載せてみては、とは思う。

 M-10ブッカー、アメリカ陸軍はとうとう、TOWミサイル搭載のハンヴィーでは任務が対応できないとして、ASCOD装甲戦闘車の車体に105mm砲塔を載せたM-10ブッカー装甲機動砲を正式採用した、歩兵旅団戦闘団の標準装備になるという装備の重さは38tだ。

 春日井駐屯地祭は熱かったけれども、78式戦車回収車がまだ第10後方支援連隊に配備されているということが分かっただけでも、これは熱いのを乗り越えてやってきた甲斐があった、というものなのかもしれない、けれども来年は熱くない季節にやってほしい。

 トラックの車列、駐屯地祭は何処の駐屯地も規模縮小が凄いという話を聞きまして、特に北海道では顕著らしい、駐屯地を空けずに市街パレードで終わるところもあれば、特科中隊は2個あるのに中隊旗だけは2振り参加したものの自走榴弾砲は1両のみ、とか。

 モータープールにずらりと並ぶトラック、単なる3-1/2tトラックなのだけれど、観閲行進に参加した車両を考えるとこの並んでいるトラックの数は凄い、改めて、式典に参加している車両というのは全体の本のほんの一部なのだなあ、ということを実感して。

 3-1/2tトラック、サントンハントラック、と読むのだけれども、どうしても私の世代は73式大型トラックという旧称で呼んでしまう、が、これ昔は普通科の機械化が進まない時代は24名を後ろに載せられるこの車両は普通科連隊機械化を支えていた車両だ。

 高機動車に軽装甲機動車が配備され、3-1/2tトラックは純粋な輸送装備となったのだけれども、現在の陸上戦闘を考えれば普通科部隊の装甲化は必須、有事を直視する体制を目指すならば、後方支援連隊の活躍がますます重要に、と思いつつ駐屯地を後にしました。

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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-横須賀,ニューヨークベイクドチーズケーキのホンモノはネイビーの街で

2024-12-01 18:11:22 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 横須賀地方総監部から徒歩圏内のスイーツの話題だよ。

 横須賀にはホンモノがある。とまあこんな書き出しにしますと、漸く総監部グルメ日誌というタイトルが、実際には総監部を出て徒歩十五分と特急で二時間、とか新幹線で一時間半とかパチモノぐるめ特集だったのを自白するのか、といわれるかもしれませんが、違う。

 ニューヨークベイクドチーズケーキ。ホンモノだ。なにしろここは対岸が西海岸なので東海岸のニューヨークは地球の裏側に近い場所だけれども、しかしまあ、これだけ米艦が前方展開している横須賀なのだから、多少はニューヨーカーの来店という方もいるだろう。

 チーズケーキのしっとり感とともに、これも甘酸っぱい、アメリカ本土ならばもっと甘さを中心にしたスイーツ、文字通りの甘さがあふれる中で抑え目なのだろうか、ここにバニラアイスクリームがそっと、というには大振りだけれど、添えられて甘みに冷たさを。

 ホンモノ、と書きましたのはとある基地のある街の小さなレストランで待ち合わせをした際、小腹を満たすと共に知っているメニューがニューヨークベイクドチーズケーキだけだったので、注文してみると、これはもう、変な、無理に合せようとしたような怪物が。

 イソカゼチーズケーキとかヒエイチーズケーイというようなケーキもどき的な名前でも関しているならば兎も角、変に小腹が減っている時に出てきたら調子が悪くなってしまった、名古屋のマウンテンのように変なメニューが出てくると最初から知っているならば別だが。

 横須賀のどぶ板商店街、海軍時代から伝統ある街並みにペリーさん食堂、開国シテクダサイヨー、という感じの店内には海軍カレーも横須賀ネイビーバーガーも並ぶお店、もちろん夜にはスコッチもバーボンもある、そしてそれはどれもホンモノ志向の逸品なのですね。

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【京都発幕間旅情】東日本旅客鉄道E-653系電車国鉄塗装,こだま色は485系時代ひたち号の思い出

2024-12-01 07:00:22 | コラム
■こだま色のE-653系
 特急こだま号とは東京から大阪までその日の内に往復できる事から木霊のように帰ってくる高速度を誇示するべく名づけられたもの。

 E-653系電車国鉄塗装、国鉄塗装というよりもこの塗装は、こだま色、こだま号といえば東海道新幹線を思い浮かべる方も多く1950年代の東海道本線沿線生まれの人でも特急こだま号は知らないという事が増えていて、これはちょっと驚いている。

 151系電車が特急こだま号の車両となっていて、これはボンネット型の特急電車、E-653と何となく形状が似ていて、この車両がそのまま485系という、京阪神だとL特急雷鳥で有名な車両が使われていました、そしてこのE-653系電車の特急ひたち号も。

 ひたち号、E-653系が導入されたのは1998年なのですけれども、E-653は485系の代替という位置づけでもあり、こだま色が採用された、ということ。そしてこの塗装は東海道本線電化という重要な転換点を象徴する塗装でもあったのですね。

 東海道本線電化完了は1956年です。戦前は電化していなかった、というのも陸軍省が軍需輸送を想定し、電化した場合は空襲などにより架線破損が輸送を妨げる可能性があるとして反対したためで、それまで蒸気機関車や戦後はディーゼル機関車、気動車が。

 こだま色は、先ず電化していない区間ではブルートレインや、客車方式では、ぶどう2色という塗装が用いられ、これは蒸気機関車からの煤やばい煙で汚れる為で、気動車も同様に煤が目立たない色が求められた、が、電車特急はその心配がないということ。

 E-231系、現在では気動車さえも少数派となり、線路や架線からの錆のほうが車体を汚す原因となるのですが、これらを含めて汚れが目立たない色、というのが、こだま色だったのですね。なお、新幹線が白いのは旅客用気動車が皆無である為でもあったりするのですね。

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