北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】高雄山神護寺,空海と神護寺は最長と延暦寺-その出会いが生んだ寛容性という哲学と価値観

2024-12-11 20:24:19 | 写真
■最澄と空海
 寺院を拝観すると共に歴史をその都度すこしだけでも振り返り且つ調べる事は人生を豊かにしてくれます。

 空海と神護寺、和気清麻呂まで歴史を遡りますと、宇佐八幡宮神託事件を解決した後、じつはいろいろありまして和気清麻呂は配流されてしまうのですが、道鏡を重用していた称徳天皇が崩御しますと、和気清麻呂は流罪を解かれまして都へと戻ります。

 長岡京、この宇佐八幡宮神託事件は、和気清麻呂を祀る護王神社がいまの御所の隣にありますので、平安京遷都以後とおもわれるかもしれませんけれども、長岡京時代の出来事です。帰京叶った和気清麻呂は自分の氏寺造営を願い出、天皇の許しを得ました。

 長岡京か、こう歴史をいまの神護寺と結びつけますと、清滝川の谷間に和気清麻呂が寺院を造営したのは、水害に悩まされていた長岡京、実際平安遷都は毎年のように大堰川の水害に悩まされ、官庁が流失していたほどの深刻な水害がつづいていたのですが。

 清滝川に寺院を造営した和気清麻呂は、ここは僻地でも何でもない、要するに自らの氏寺をもって長岡京を水害から何とか守ることはできないか、とかんがえての造営だったのだなあ、といまの位置関係を当時の古地図に照らし合わせて、こう思うのですね。

 高雄山寺、和気清麻呂の時代は神話の時代、とまでは行かずとも歴史学と考古学の分水嶺に位置するような時代のことですので、残念ながら創建1200年という神護寺の今の姿から往時をしのぶことはもはや空想の世界であり、実際当時は高雄山寺といわれていた。

 高雄山寺、愛宕権現を愛宕山に遷座するなど、いわばこの一つの山系が大きな聖地であることを示しているとともに、しかし愛宕神社と高雄山寺も、かつては一つだったという説もあれば、これは一説に過ぎないという研究があるなど、まだ空白がおおい。

 空海は、高雄山寺と神護寺に至る歴史に大きな、確たる歴史の大河を記した転換点の人物です。そしてこの日本に、変革という伝統、こうしたものを穿った人物と言えるのかもしれません。いや、空海の時代は科学と信仰の曖昧模糊な時代所以の意味があった。

 空海が遣唐使を経て帰国したのは歴史上記されている出来事ですが、密教を大陸から持ち帰ったということで歴史上大きな意義があります、それは単に宗教上の出来事ではなく、陳腐化したものは中枢の象徴的なもの以外置き換えるという伝統を生んだこと。

 最澄と空海、天台宗と真言宗、日本の大きな歴史の分岐点は宗教に寛容性を示したことで、所謂一神教が陥りがちな二元論、二元論は考え方が明白に示せる羨ましさと共に、衝突を生みやすい敵味方の明白な区分という本質を有していますが、これを省いた。

 弘法大師空海、遠く土佐の室戸は御厨人窟に籠って空と海だけを見つめ修行した事で空海を名乗り、まあこれ、大安寺の戒明が求聞持法という自問自答の瞑想修行を伝えた故といわれているのですが和泉国槇尾山寺で出家し、東大寺戒壇院で得度受戒する。

 入唐求法、空海は20年の長期留学生として遣唐使に加わり、途中で難破して入国手続きの書類を白紙に一から記すなどの椿事を経て中国は長安の西明寺に寄宿しますと、蒼龍寺の恵果和尚と出会いを果たします。

 仏教、日本の価値観や哲学観を固める、非常に重要な時代に影響を及ぼした仏教は当時南都六宗と新しい天台宗の時代を迎えていましたが、仏教とは一つの哲学であり、哲学とは完成の概念が無い進化するもの、恵果和尚との出会いは、その転機となりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】高雄山神護寺,京都の紅葉は高雄から始まる-静謐な水墨画の世界に投じられた椛は紅色の原色

2024-12-11 20:00:52 | 写真
■高雄の神護寺
 この絶景この昂揚感はまさに一年に幾度かある季節の風物詩の一つとして欠かさず散策へいざなうもの。

 京都の紅葉は、高雄から始まる。こういう言葉があるのですが、ことしはこうようのはじまりがおそかった、ほんとうに。奥座敷、というにはもう少し手前があるかもしれませんこの高雄は、右京区梅ヶ畑高雄町、有名な神護寺の静謐な聖地が広がっています。

 高雄のバス停、丁度、やはりここも紅葉の名所というべきなのでしょうが御室御所の仁和寺の目を前を通過しまして、ざっと30分ほどバスに揺られていますと、そろそろ山奥という言葉があてはまるそんな風景の変容を愉しんだ先に、高雄のバス停があるのだ。

 清滝川、そう高雄といえば日本有数の聖地、和気清麻呂がひらき、かの空海が日本に密教の布教の地として定めた文字通りの聖地ですので、先ずバス停からじかに行く事は出来ず、清滝川の谷間へ階段を長く長く降りてゆくのですが、そこが椛の隧道となっていて。

 愛宕山系の高雄、清滝川も清水をそれほど大きな流れではないのですが、その分透き通った清冽な流れを陽光に反射させて静かに流れていまして、しかしそのながれは水墨画のような風情ではなく、紅葉、というものが原色の天然色という鮮やかさを印象に放つ。

 神護寺はその清滝川からもう一度、高みに臨んだ石階段の先に在ります。その高みですが、石階段は思いの外遠く、もっとも鞍馬のケーブルカーを使わない参道ほどではないし、伏見稲荷大社の一ヶ峰までの階段ほどではないのだけれども、やはり急に感じる。

 茶店が幾つも、実際に暖簾を掲げていて暖かそうな湯気たつ饂飩や善哉、いや焼き鳥まで出していて、いいのかなここはもう山内と思うところの隣を石段が続いていますから、やはりここは、登山ではないものの寺社仏閣拝観には石段が遠く感じるのです。

 和気清麻呂、この神護寺は天長元年こと824年に和気清麻呂が開いた寺院であり、ことしは開山1200年となります、この和気清麻呂というひとは、奈良時代の生まれ、日本の分岐点において皇統を守護したということで歴史上の立ち位置が高く評価されていまして。

 護王大明神という、本人がきいたらどう思うかという和気清麻呂は宇佐八幡宮神託事件、日本産悪人と言われる僧侶道鏡による、皇統乗っ取り未遂事件があり、これは宇佐八幡宮に道鏡を天皇にするよう神託があったという、要するにウソついたという事が。

 平将門、足利尊氏、道鏡、日本産大悪人と言われているのですがどのかたもひとかどの人物と哲学をお持ちの方ですので道鏡を再評価する声もあるのですけれど、和気清麻呂は実際に九州の宇佐八幡宮まで赴き、そんな神託は無かったと確認したのですね。

 護王神社という、御所西側の神社がありまして、ここに何故か重巡高雄の巨大な絵馬、いや絵馬の由来を考えると絵艦というべきか、掲げられているのですが、その護王神社に祀られているのが和気清麻呂で、明治時代にこの神護寺から遷座した歴史があります。

 金堂への階段、実際のところこの神護寺はそうした歴史も中々緩解深いところがあり、此処を起点に日本の、ニッポン、という曖昧模糊としていながら説明しにくいが確たる形作られたものがあるという事を理解するうえで重要なものが形成されたその場ですが。

 石階段、金堂への石階段はにほんの原風景の一つではないかと思います、こういいますのも、ここは時代劇の有名な舞台となっているところでして、おそらく時代劇、大衆時代劇から歴史映画まで、それなりにこの階段は出てくることに気づかされるでしょう。

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スタンドオフミサイル/反撃能力の配備に関する政治的課題,SSM地対艦ミサイルとの明白な分水嶺

2024-12-11 07:00:37 | 先端軍事テクノロジー
■スタンドオフミサイル
 今回も12式地対艦誘導弾システム射程延伸型の話題を昨日とは少し角度を変えて考えてみましょう。

 スタンドオフミサイル、反撃能力整備について、陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾射程延伸型の実験成功を昨日紹介しましたが、スタンドオフミサイルの水化しさについて、今回は少し考えてみたいと思います。持論として、過去に特集しましたが、反撃能力は日本としては潜水艦など海上プラットフォームからの運用が最適であると考えていました。

 老朽潜水艦にトマホークミサイル運用能力を、潜水艦あさしおAIP区間追加のように、船体延長により20発程度搭載能力を付与し、普段は小笠原近海など、日本の聖域、つまり第三国潜水艦が接近しにくい海域に遊弋させるという持論を過去掲載しました。今考えてみると、必要な反撃能力は数千発から一万数千発ですので、とても数が足りないのですが。

 航空自衛隊が反撃能力整備を行った際には、輸送機からのミサイル運用というものを真剣に検討し、戦闘機の搭載能力の限界というものを輸送機からの数の投射能力で補う持論を展開しましたが、自際防衛装備庁が同様の研究を行っていたと知った際には、なるほどアメリカが実施している方法は王道なのだなあ、と実感したものでした。

 重要なのは、スタンドオフミサイルは相手にとり脅威なので、逆に最優先目標となる、ということです。潜水艦であれば、最優先目標であっても簡単に位置が暴露しませんし、なにより、相手が強引な手段を用いた場合でも、目標が海洋であれば、少なくとも周辺住民への付随被害はありません。航空基地ならば基地防空とミサイル防衛がこれを阻止しえる。

 けれども、地対艦ミサイルの延長線上として、仮に離島に配備する場合はこの限りではありません、離島が航空攻撃を受けた場合は付随被害が大きくなります、なにしろ掩砲所さえ構築するのに制限がある地域なのですから。離島には純粋な地対艦ミサイル、ミサイル艇に装備しているような装備を超えるものは、逆に住民の不安をあおるのではないか、と。

 防衛用、といえば聞こえはいいのかもしれませんが、北朝鮮の核ミサイルも自称は防衛用であり、中国の空母も自称は防衛用です。問題は相手がどのように受け止めるかで、まあたとえばスタンダードSM-6のように対空ミサイルが照準によっては対艦用に使えるというものは純粋に防衛用と云い得るのでしょうが、スタンドオフミサイルは配備に配慮が必要なのです。

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