■水戸芸術館-内野聖陽主演舞台
映画講評と銘打ったからには映画の話題としたいところですが、今回は太平洋戦争の多大な犠牲に埋もれた小さなしかし巨大な悲劇を舞台化した話題から。
最貧前線、舞台化です。映画化を期待したかったのですが“知られざる太平洋戦争海戦史”として“特設監視艇”の奮闘と悲壮を描いた舞台です。主演は内野聖陽、大河ドラマ真田丸にて徳川家康を演じた内野氏に、風間俊介、溝端淳平、ベンガル、佐藤誓、加藤啓、蕨野友也を迎え脚本に井上桂、演出はNHKエンタープライズ出身の一色隆司があたる。
特設軍艦、太平洋戦争を観返しますと戦艦榛名と戦艦大和や空母加賀に駆逐艦雪風や巡洋艦摩耶、大きな軍艦に注視が集まるところではあるのですが、結局のところ多数が犠牲になりました戦争です、回顧されがたい隠れた戦史の中に散った方々も多い訳でして、特設監視艇への注目の話題は受難者への手向けとなりましょう。そこで特設監視艇について、見てみたい。
太平洋戦争中、今では信じられない事ですが日本本土への航空攻撃に備え防空警戒に当たるレーダーは首都圏や九州等の一部にしか配備されていませんでした。超短波警戒機甲として対空レーダー開発が本格化したのは1938年、太平洋戦争開戦3年前の事です。精度も地点間標定方式という、送信機と受信機を300km離隔し通過機を捕捉するものでした。
超短波警戒機乙、ラジオロケータと呼ばれたレーダーシステムが続いて開発されましたが、完成は1942年までずれ込むと同時にその探知能力も低く、生産数も350機程度と、陸軍の規模を考えれば日本本土に加え、環太平洋地域と大陸で先頭を展開するには一桁少なく。探知距離も双発機に対し100kmであり、爆撃機大編隊を300kmで探知できる程度です。
八丈島や野島崎と伊豆半島に配備されたレーダー等は東京大空襲の探知など、相応の威力を発揮しましたが、当時日本で製造できる真空管は銅精錬技術の限界もあり寿命が短く、アンテナ部分への強風など異常振動により度々異常信号を発する等、現代の技術大国たる日本からは想像できない程に低い水準でした。其処で威力を発揮したのが特設監視艇です。
宮崎駿原作、“最貧前線”です。宮崎駿氏は日本が世界に誇るアニメーション監督として著名ですが、東部戦線で過酷な状況に曝されるティーガー戦車の戦いを伝説の名戦車長オットーカリウスの視点から描いた“泥まみれの虎”や架空の商船改造空母によるインド洋通商破壊作戦を描く“特設空母安松丸物語” 、ドイツ零年を描く“ハンスの帰還”等も描く。
特設監視艇を描いた舞台、NHK報道にて知りました、NHK-News-Up““人間レーダー” ~舞台は問いかける~” として水戸放送局が水戸芸術館において上演される舞台とを合せ特設監視艇を紹介しました。特設監視艇は遠洋漁船等の外洋航行能力の高い民間船を徴用し外洋哨戒任務に充てるもので、世界を見ますと漁船に加えヨットが動員された事例もある。
最貧前線、観劇に赴きたいが水戸はちと遠い、十二月中旬まで上演ならばいっそのこと百里基地航空祭に併せてもう一泊して観劇したいところなのですが。DVD発売を待った方が良いのかな。そう思って調べてみますとNHKが報じたのは11月6日ですが水戸公演は9月12日から15日、東京世田谷パブリックシアターで10月5日から13日まで。情報遅い。
特設監視艇、そもそも特設監視艇とは何か、と思われるでしょうが、徴用漁船による哨戒艇です。日本海軍は海軍艦艇として駆潜特務艇や掃海特務艇と哨戒特務艇等を建造していますが、これらが新規に建造されたのに対し、特設監視艇は純然たる漁船、鮪鰹漁船を船員と共に徴用し海軍要員も便乗、通信設備と機銃を施し哨戒任務に充てているものです。
人間レーダーとNHKが特集した背景には、レーダーの限界から本土防空戦闘へ参加を強いられた漁船の悲劇、という部分が大きいのでしょう。戦況悪化と共に特設監視艇にも57mm艦砲や25mm連装機銃と救命艇等が追加される事となりましたが、相手が相手ですので歯が立たず、正確な資料が失われた現在は概数が分かる程度ですが300隻以上沈んでいます。
鮪鰹漁船は航続距離も大きく、特に漁民は焼玉エンジンや石炭蒸気帆走併用方式等多種多様な機関と天測はじめ航法に長けており、徴用漁船に大型双眼鏡と若干の機銃を搭載し運用していたにすぎません。相手が爆撃機の場合は高高度を通過する様子を報告するのみですが、どの海域にどの方向へ飛行しているかは、日本本土防空に特に重要性を有しました。
特設監視艇。この名を聞いた方は意外と多いのではないでしょうか、と思う。太平洋戦争を描いた映画にも出てきますし、似たようなものは海外にも多くありました。多分に危険な任務ではあるのですが、しかしあまり映画の主役とは成り得ません。舞台でも正面から描かれるのは、高等学校や大学の演劇部上演を除けば、恐らく本邦初ではないでしょうか。
映画では描かれているのです。悪評多い映画“パールハーバー”にも出ています。ただほぼ非武装の特設監視艇を嬲り殺し同然に攻撃した史実は“パールハーバー”制作者には気に入らなかったようで映画では偵察用巡洋艦であった古鷹型重巡へと史実改ざん、いや、古鷹型に捕捉されたらばアメリカ空母部隊逆に全滅しているぞ、と劇場で突っ込んだもの。
日本のいちばん長い日、岡本喜八監督が東宝映画創設35周年記念として制作した。我が国太平洋戦争末期におけるポツダム宣言受諾に至るまでの混乱の24時間を描いた作品ですが、連合国側が我が国にポツダム宣言受諾による終戦を迫る中、交戦継続か無条件降伏かを激論を交わし、陸海軍では本土決戦準備を進める最中に特設監視艇は一瞬登場していました。
東部軍管区司令部作戦指揮所に放送が流れ“第十七並びに第二十二洋上監視艇よりの報告-房総方面に近づきつつある敵空母機動部隊は-エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻-尚此れに巡洋艦七隻-駆逐艦十九隻を帯同し北上中なり”と巨大地図上に敵空母機動部隊の動静が記されてゆき、続いて海軍航空隊厚木基地から児玉基地へ迎撃命令が下る。
エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻、日本のいちばん長い日、その劇中では無条件降伏が受け入れられなければ日本本土への更なる苛烈な攻撃が加えられる象徴的な描写と、間もなく無条件降伏が発表される中で体当たりへ出撃を命令しなければならない児玉基地の陸海混成第二〇七攻撃集団の野中団司令苦悩が描かれる象徴的な描写でした。
洋上監視艇即ち特設監視艇は、その重苦しい場面に洋上監視艇よりの報告、と台詞にのみ登場するものですが、言い換えれば海軍は七月末、つまり二週間前の空襲で呉軍港残存艦艇が大打撃を受け、大半の空母と戦艦が喪失若しくは行動不能という状況下で、特設監視艇は最後まで敵空母機動部隊の動静を伝え続けていた、もう一つの象徴的な場面といえるかもしれません。
本来ならばレーダーを搭載した駆逐艦を太平洋上にレーダーピケット艦として遊弋させる事が理想なのですが、日本海軍には太平洋戦争に投入できた艦隊駆逐艦は175隻、海防艦も174隻のみ、これらの艦艇は対水上戦闘や船団護衛に輸送任務と酷使されており、余裕はありませんでした。また日本本土周辺にはアメリカ潜水艦が張り付き此の掃討も必要だ。
鮪鰹漁船転用の特設監視艇であれば、数が多く、特にアメリカ潜水艦も魚雷攻撃するには目標が小さく浮上砲撃を加えれば位置が報告される為に必要に応じた運用といえました。ただ、日本本土空襲が本格化した際には爆撃機の座標等を通知される事は即座に情報優位を喪失する事から、航続距離の大きなPBYカタリナ飛行艇等により掃討を本格化します。
特設監視艇の受難は、相手がPBY飛行艇であった場合は捕捉された場合に回避が難しかった点です。ただ、海軍はこれら特設監視艇支援に零式水上偵察機を搭載した特設巡洋艦を充てており、救援にわずかな望みを繋ぐ実情があった。他方、相手が爆撃機ではなく空母機動部隊の場合は、艦載機により特設巡洋艦も攻撃が加わる。厳しい戦場といえました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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映画講評と銘打ったからには映画の話題としたいところですが、今回は太平洋戦争の多大な犠牲に埋もれた小さなしかし巨大な悲劇を舞台化した話題から。
最貧前線、舞台化です。映画化を期待したかったのですが“知られざる太平洋戦争海戦史”として“特設監視艇”の奮闘と悲壮を描いた舞台です。主演は内野聖陽、大河ドラマ真田丸にて徳川家康を演じた内野氏に、風間俊介、溝端淳平、ベンガル、佐藤誓、加藤啓、蕨野友也を迎え脚本に井上桂、演出はNHKエンタープライズ出身の一色隆司があたる。
特設軍艦、太平洋戦争を観返しますと戦艦榛名と戦艦大和や空母加賀に駆逐艦雪風や巡洋艦摩耶、大きな軍艦に注視が集まるところではあるのですが、結局のところ多数が犠牲になりました戦争です、回顧されがたい隠れた戦史の中に散った方々も多い訳でして、特設監視艇への注目の話題は受難者への手向けとなりましょう。そこで特設監視艇について、見てみたい。
太平洋戦争中、今では信じられない事ですが日本本土への航空攻撃に備え防空警戒に当たるレーダーは首都圏や九州等の一部にしか配備されていませんでした。超短波警戒機甲として対空レーダー開発が本格化したのは1938年、太平洋戦争開戦3年前の事です。精度も地点間標定方式という、送信機と受信機を300km離隔し通過機を捕捉するものでした。
超短波警戒機乙、ラジオロケータと呼ばれたレーダーシステムが続いて開発されましたが、完成は1942年までずれ込むと同時にその探知能力も低く、生産数も350機程度と、陸軍の規模を考えれば日本本土に加え、環太平洋地域と大陸で先頭を展開するには一桁少なく。探知距離も双発機に対し100kmであり、爆撃機大編隊を300kmで探知できる程度です。
八丈島や野島崎と伊豆半島に配備されたレーダー等は東京大空襲の探知など、相応の威力を発揮しましたが、当時日本で製造できる真空管は銅精錬技術の限界もあり寿命が短く、アンテナ部分への強風など異常振動により度々異常信号を発する等、現代の技術大国たる日本からは想像できない程に低い水準でした。其処で威力を発揮したのが特設監視艇です。
宮崎駿原作、“最貧前線”です。宮崎駿氏は日本が世界に誇るアニメーション監督として著名ですが、東部戦線で過酷な状況に曝されるティーガー戦車の戦いを伝説の名戦車長オットーカリウスの視点から描いた“泥まみれの虎”や架空の商船改造空母によるインド洋通商破壊作戦を描く“特設空母安松丸物語” 、ドイツ零年を描く“ハンスの帰還”等も描く。
特設監視艇を描いた舞台、NHK報道にて知りました、NHK-News-Up““人間レーダー” ~舞台は問いかける~” として水戸放送局が水戸芸術館において上演される舞台とを合せ特設監視艇を紹介しました。特設監視艇は遠洋漁船等の外洋航行能力の高い民間船を徴用し外洋哨戒任務に充てるもので、世界を見ますと漁船に加えヨットが動員された事例もある。
最貧前線、観劇に赴きたいが水戸はちと遠い、十二月中旬まで上演ならばいっそのこと百里基地航空祭に併せてもう一泊して観劇したいところなのですが。DVD発売を待った方が良いのかな。そう思って調べてみますとNHKが報じたのは11月6日ですが水戸公演は9月12日から15日、東京世田谷パブリックシアターで10月5日から13日まで。情報遅い。
特設監視艇、そもそも特設監視艇とは何か、と思われるでしょうが、徴用漁船による哨戒艇です。日本海軍は海軍艦艇として駆潜特務艇や掃海特務艇と哨戒特務艇等を建造していますが、これらが新規に建造されたのに対し、特設監視艇は純然たる漁船、鮪鰹漁船を船員と共に徴用し海軍要員も便乗、通信設備と機銃を施し哨戒任務に充てているものです。
人間レーダーとNHKが特集した背景には、レーダーの限界から本土防空戦闘へ参加を強いられた漁船の悲劇、という部分が大きいのでしょう。戦況悪化と共に特設監視艇にも57mm艦砲や25mm連装機銃と救命艇等が追加される事となりましたが、相手が相手ですので歯が立たず、正確な資料が失われた現在は概数が分かる程度ですが300隻以上沈んでいます。
鮪鰹漁船は航続距離も大きく、特に漁民は焼玉エンジンや石炭蒸気帆走併用方式等多種多様な機関と天測はじめ航法に長けており、徴用漁船に大型双眼鏡と若干の機銃を搭載し運用していたにすぎません。相手が爆撃機の場合は高高度を通過する様子を報告するのみですが、どの海域にどの方向へ飛行しているかは、日本本土防空に特に重要性を有しました。
特設監視艇。この名を聞いた方は意外と多いのではないでしょうか、と思う。太平洋戦争を描いた映画にも出てきますし、似たようなものは海外にも多くありました。多分に危険な任務ではあるのですが、しかしあまり映画の主役とは成り得ません。舞台でも正面から描かれるのは、高等学校や大学の演劇部上演を除けば、恐らく本邦初ではないでしょうか。
映画では描かれているのです。悪評多い映画“パールハーバー”にも出ています。ただほぼ非武装の特設監視艇を嬲り殺し同然に攻撃した史実は“パールハーバー”制作者には気に入らなかったようで映画では偵察用巡洋艦であった古鷹型重巡へと史実改ざん、いや、古鷹型に捕捉されたらばアメリカ空母部隊逆に全滅しているぞ、と劇場で突っ込んだもの。
日本のいちばん長い日、岡本喜八監督が東宝映画創設35周年記念として制作した。我が国太平洋戦争末期におけるポツダム宣言受諾に至るまでの混乱の24時間を描いた作品ですが、連合国側が我が国にポツダム宣言受諾による終戦を迫る中、交戦継続か無条件降伏かを激論を交わし、陸海軍では本土決戦準備を進める最中に特設監視艇は一瞬登場していました。
東部軍管区司令部作戦指揮所に放送が流れ“第十七並びに第二十二洋上監視艇よりの報告-房総方面に近づきつつある敵空母機動部隊は-エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻-尚此れに巡洋艦七隻-駆逐艦十九隻を帯同し北上中なり”と巨大地図上に敵空母機動部隊の動静が記されてゆき、続いて海軍航空隊厚木基地から児玉基地へ迎撃命令が下る。
エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻、日本のいちばん長い日、その劇中では無条件降伏が受け入れられなければ日本本土への更なる苛烈な攻撃が加えられる象徴的な描写と、間もなく無条件降伏が発表される中で体当たりへ出撃を命令しなければならない児玉基地の陸海混成第二〇七攻撃集団の野中団司令苦悩が描かれる象徴的な描写でした。
洋上監視艇即ち特設監視艇は、その重苦しい場面に洋上監視艇よりの報告、と台詞にのみ登場するものですが、言い換えれば海軍は七月末、つまり二週間前の空襲で呉軍港残存艦艇が大打撃を受け、大半の空母と戦艦が喪失若しくは行動不能という状況下で、特設監視艇は最後まで敵空母機動部隊の動静を伝え続けていた、もう一つの象徴的な場面といえるかもしれません。
本来ならばレーダーを搭載した駆逐艦を太平洋上にレーダーピケット艦として遊弋させる事が理想なのですが、日本海軍には太平洋戦争に投入できた艦隊駆逐艦は175隻、海防艦も174隻のみ、これらの艦艇は対水上戦闘や船団護衛に輸送任務と酷使されており、余裕はありませんでした。また日本本土周辺にはアメリカ潜水艦が張り付き此の掃討も必要だ。
鮪鰹漁船転用の特設監視艇であれば、数が多く、特にアメリカ潜水艦も魚雷攻撃するには目標が小さく浮上砲撃を加えれば位置が報告される為に必要に応じた運用といえました。ただ、日本本土空襲が本格化した際には爆撃機の座標等を通知される事は即座に情報優位を喪失する事から、航続距離の大きなPBYカタリナ飛行艇等により掃討を本格化します。
特設監視艇の受難は、相手がPBY飛行艇であった場合は捕捉された場合に回避が難しかった点です。ただ、海軍はこれら特設監視艇支援に零式水上偵察機を搭載した特設巡洋艦を充てており、救援にわずかな望みを繋ぐ実情があった。他方、相手が爆撃機ではなく空母機動部隊の場合は、艦載機により特設巡洋艦も攻撃が加わる。厳しい戦場といえました。
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