■拝観後の関心は写真から
光明院は美しい庭園と落ち着く時間が禅寺の風情に共感を与えてくれるのですが、撮影しました写真とともにその歴史を調べますと専門家ではない故に限界を感じるところ。
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東福寺は京都最大の寺院となる事を願い嘉禎2年こと西暦1236年から19年間を要して造営された寺院です。東福寺の伽藍面、こう呼ばれますのは巨大な三門や法堂、創建当時には五重塔も並んだ、壮大伽藍故でしたが、塔頭寺院となりますと、そこには静けさが。
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摂政九條道家が東大寺と興福寺から一文字づつを用いて造営した寺院、これは当時最新の仏教である禅宗、武家と結びつき鎌倉時代に急成長を果たした禅宗の寺院を貴族が造営するという大きな意義がありました、九條道家は鎌倉幕府四代将軍藤原頼経の実父でもある。
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光明院はその東福寺に在って明徳2年こと西暦1391年、金山明昶を招き創建された塔頭です。東福寺造営が嘉禎2年こと西暦1236年ですので、広がりゆく東福寺の塔頭という一つでした。東福寺はいまをもって京都最大の寺院、こう呼ばれるのですが当時は更に広い。
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塔頭寺院は現存するものは25塔頭、しかし、幕末の頃の塔頭寺院は70に迫ったといいまして、廃仏毀釈により規模を徐々に縮小し、今に至ります。しかし、この東福寺の界隈を散策し巡りますと広さに驚かされるものでして、夕刻に門扉が閉まるのは寂しいものです。
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退耕庵、同聚院、芬陀院、永明院、龍吟庵、即宗院、南明院、正覚庵、桂昌院、荘厳院、天得院、一華院、霊雲院、大機院、善慧院、霊源院、栗棘庵、海蔵院、龍眠庵、盛光院、勝林寺、願成寺、東光寺、万寿寺、塔頭寺院はこう並びまして、今なおというひろまりが。
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同聚院と芬陀院、そしてここ光明院のように一般公開されている塔頭もありますが、一般公開されていない塔頭も多く、しかし秋の時期などに特別公開を行っています塔頭もあります。勝林寺さんなどは特別公開でも写真を自由に撮影できたりしまして、思い返せる。
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勝林寺さんは、これは改めて紹介したいところですが、良いところ。特別公開の寺院というものはこの少林寺壇の様に撮影出来る場所は逆に少数派で、見せてやっているのだから的な視線であるも、拝観料を奉納して後に撮影禁止を知らせる寺院などがあり、欲しいのはカネか、というところも名は出さないが、ある。
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勝林寺さんを見習ってほしい、拝観に来ているのであって物見遊山に来ているのではない、しかし写真を撮影できるものがあります寺院とそうでない寺院とでは、正直思い返して歴史や由来を調べる機会があるか、変な思い出だけ残るのかという違いがありまして、寺院側ももう少し考えてほしい。
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金山明昶さん。ここ光明院を創建されました開山の高僧ですが、なかなか調べようとしましても一筋縄では参りません、いや近くに龍谷大学があるのだから聞けよ、と思われるかもしれませんが、今はコロナの敷居もありますので、そのように一筋縄ではいかないのですよね。
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萬年山極楽寺、十年ほど前にこの寺院から明祖禅師六百年遠諱記念にあわせ金山明昶和尚語録という研究論文が発表されています。このお寺は兵庫県豊岡市城崎町湯島にあります臨済宗大徳寺派の仏教寺院でして、金山明昶が開山となり造営された歴史があるという。
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城崎まで歩み進めれば、もう少し金山明昶和尚の人となりや歴史とも巡り合えるのだろうなあ、こう思いつつ、しかし改めてコロナ対策とはいえ光明院の受付が門扉を閉ざしている現状を寂しく思うものです。歴史との出会い、なるほどこれも今は距離の時代なのだ。
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波心の庭を眺めつつ、そして幾度もこの情景を季節とともに時間を過ごしつつ、そんな御寺も知っているようで何も歴史を知らないのだなあ、と改めて思う次第です。Webでいつでもわかりそうな時代、インターネットでも限界、そんな事をふと心地よくも感じますね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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光明院は美しい庭園と落ち着く時間が禅寺の風情に共感を与えてくれるのですが、撮影しました写真とともにその歴史を調べますと専門家ではない故に限界を感じるところ。
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東福寺は京都最大の寺院となる事を願い嘉禎2年こと西暦1236年から19年間を要して造営された寺院です。東福寺の伽藍面、こう呼ばれますのは巨大な三門や法堂、創建当時には五重塔も並んだ、壮大伽藍故でしたが、塔頭寺院となりますと、そこには静けさが。
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光明院はその東福寺に在って明徳2年こと西暦1391年、金山明昶を招き創建された塔頭です。東福寺造営が嘉禎2年こと西暦1236年ですので、広がりゆく東福寺の塔頭という一つでした。東福寺はいまをもって京都最大の寺院、こう呼ばれるのですが当時は更に広い。
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塔頭寺院は現存するものは25塔頭、しかし、幕末の頃の塔頭寺院は70に迫ったといいまして、廃仏毀釈により規模を徐々に縮小し、今に至ります。しかし、この東福寺の界隈を散策し巡りますと広さに驚かされるものでして、夕刻に門扉が閉まるのは寂しいものです。
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退耕庵、同聚院、芬陀院、永明院、龍吟庵、即宗院、南明院、正覚庵、桂昌院、荘厳院、天得院、一華院、霊雲院、大機院、善慧院、霊源院、栗棘庵、海蔵院、龍眠庵、盛光院、勝林寺、願成寺、東光寺、万寿寺、塔頭寺院はこう並びまして、今なおというひろまりが。
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同聚院と芬陀院、そしてここ光明院のように一般公開されている塔頭もありますが、一般公開されていない塔頭も多く、しかし秋の時期などに特別公開を行っています塔頭もあります。勝林寺さんなどは特別公開でも写真を自由に撮影できたりしまして、思い返せる。
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勝林寺さんは、これは改めて紹介したいところですが、良いところ。特別公開の寺院というものはこの少林寺壇の様に撮影出来る場所は逆に少数派で、見せてやっているのだから的な視線であるも、拝観料を奉納して後に撮影禁止を知らせる寺院などがあり、欲しいのはカネか、というところも名は出さないが、ある。
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勝林寺さんを見習ってほしい、拝観に来ているのであって物見遊山に来ているのではない、しかし写真を撮影できるものがあります寺院とそうでない寺院とでは、正直思い返して歴史や由来を調べる機会があるか、変な思い出だけ残るのかという違いがありまして、寺院側ももう少し考えてほしい。
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金山明昶さん。ここ光明院を創建されました開山の高僧ですが、なかなか調べようとしましても一筋縄では参りません、いや近くに龍谷大学があるのだから聞けよ、と思われるかもしれませんが、今はコロナの敷居もありますので、そのように一筋縄ではいかないのですよね。
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萬年山極楽寺、十年ほど前にこの寺院から明祖禅師六百年遠諱記念にあわせ金山明昶和尚語録という研究論文が発表されています。このお寺は兵庫県豊岡市城崎町湯島にあります臨済宗大徳寺派の仏教寺院でして、金山明昶が開山となり造営された歴史があるという。
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城崎まで歩み進めれば、もう少し金山明昶和尚の人となりや歴史とも巡り合えるのだろうなあ、こう思いつつ、しかし改めてコロナ対策とはいえ光明院の受付が門扉を閉ざしている現状を寂しく思うものです。歴史との出会い、なるほどこれも今は距離の時代なのだ。
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波心の庭を眺めつつ、そして幾度もこの情景を季節とともに時間を過ごしつつ、そんな御寺も知っているようで何も歴史を知らないのだなあ、と改めて思う次第です。Webでいつでもわかりそうな時代、インターネットでも限界、そんな事をふと心地よくも感じますね。
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