■ここは血天井の養源院
カメラを片手に拝観に参拝にと散策していまして撮影禁止だという寺院は意外と多いのですが外観だけでも撮影できる場所を巡った後にさて歴史とを出会うべく。
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養源院、有名な三十三間堂とは通り一つ向かい側に位置します天台宗の寺院、としての宗旨を冠しています新しい宗派の寺院です。京都市東山区三十三間堂廻り町、東山も広いものですが京都駅から散策するには、鴨川を超えて京阪の先、丁度よい位置にあります。
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南叡山養源院という山号のこの寺院は、創建年が文禄3年という、安土桃山時代末期の西暦1594年まで遡る寺院で開山は成伯、そして開基は淀殿、歴史のその先を知ってしまいますと、ちょっと感慨深く成る寺院です。その寺院は、血天井、というもので有名に。
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天台宗の宗旨、浄土真宗遣迎院派という宗派。この浄土真宗遣迎院派というのは、いわゆる浄土真宗との関係はなく、昭和中期に天台宗から独立した、天台宗系の宗派となっていまして、京都市と奈良市、あと第2戦車連隊で知られる上富良野にも寺院があります。
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阿弥陀如来をご本尊として奉じます寺院は、紅葉の朱色の椛が包む様子も本当にきれいだ、といわれるのですけれども、実のところここは血天井で有名になってしまうとともに、しかし血天井にまつわる話題が、ちょっとこの本堂創建の当時から離れてしまった。
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血天井、伏見城の戦い。慶長5年というつまり日本史の分岐点となった1600年戦役、関ケ原の戦いに至る一連の流れの中で城を護る鳥居元忠と松平家忠ら1500名に大阪城を追放された家康家臣ら500名が加わり、攻防戦が繰り広げられましたが戦力差は厳しい。
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宇喜多秀家と小早川秀秋ら4万1000名の兵力を相手に8月26日から9月8日に掛け防衛戦を展開し、全員が玉砕したという。鳥居元忠と松平家忠はじめ全員討ち死にし、その際に城内の櫓にご遺体が放置され、その血塗れの廊下をここ養源院の天井に用いている。
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スティーブンターンブル、イギリスの歴史家という方なのですがこの方の著書にはまって日本へ、という方と、いわゆる死生観について深く話し合ったことがあるのですが、その際に養源院が、ちょうどお話をした場所から3㎞程の場所でしたし、話題俎上に上がった。
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安土桃山時代の死生観と鎌倉時代の死生観と、ビルマ戦線の時代の死生観、当方の英語力の低さと先方の日本語力の低さから、余計話が拗れ、話半分の理解同士が逆に面白かったのですけれども、文化と価値観の相関関係と周辺情勢の影響があるのだろう、という。
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死生観、というよりも、ターンブルさんというのが豪州首相と同じ名前だなあと思いつつ、覚えやすかった歴史家の名前でしたのでこの話題は妙に記憶に残りました。軍事的に考えれば、伏見城を護った東軍兵士たちは西軍の東進に対し徹底的に兵力を拘束した。
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徹底抗戦により兵力を拘束し相手に行動の自由を与えない、恰も第32軍の沖縄戦と本土防衛準備や講和交渉の模索に重なる点があるのですが、結果的に西軍主力はここ伏見城とその先は大津城で拘束され、関ケ原含め決戦に参加させるのを遅滞させた意味がある。
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死守命令。ビルマ戦線-菊兵団という書籍を昔読んだ事がありますが、欧州には無い価値観だ、と。いやいや、フランス外人部隊がメキシコで繰り広げたカマロンの戦いなどはまさにこれだろう、と反論したのですが、この戦いでは最後、実質停戦交渉を行った、と。
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アラモの戦いを挙げれば分かりやすかったのだろうかと気づいたのは随分後の事なのですが、結局死生観はその場の士気と責任感と連帯感が醸成するものであり、その場にいなければわからない、と思うのです。ただ、血天井が現代、別の受け止め方をされている。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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カメラを片手に拝観に参拝にと散策していまして撮影禁止だという寺院は意外と多いのですが外観だけでも撮影できる場所を巡った後にさて歴史とを出会うべく。
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養源院、有名な三十三間堂とは通り一つ向かい側に位置します天台宗の寺院、としての宗旨を冠しています新しい宗派の寺院です。京都市東山区三十三間堂廻り町、東山も広いものですが京都駅から散策するには、鴨川を超えて京阪の先、丁度よい位置にあります。
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南叡山養源院という山号のこの寺院は、創建年が文禄3年という、安土桃山時代末期の西暦1594年まで遡る寺院で開山は成伯、そして開基は淀殿、歴史のその先を知ってしまいますと、ちょっと感慨深く成る寺院です。その寺院は、血天井、というもので有名に。
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天台宗の宗旨、浄土真宗遣迎院派という宗派。この浄土真宗遣迎院派というのは、いわゆる浄土真宗との関係はなく、昭和中期に天台宗から独立した、天台宗系の宗派となっていまして、京都市と奈良市、あと第2戦車連隊で知られる上富良野にも寺院があります。
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阿弥陀如来をご本尊として奉じます寺院は、紅葉の朱色の椛が包む様子も本当にきれいだ、といわれるのですけれども、実のところここは血天井で有名になってしまうとともに、しかし血天井にまつわる話題が、ちょっとこの本堂創建の当時から離れてしまった。
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血天井、伏見城の戦い。慶長5年というつまり日本史の分岐点となった1600年戦役、関ケ原の戦いに至る一連の流れの中で城を護る鳥居元忠と松平家忠ら1500名に大阪城を追放された家康家臣ら500名が加わり、攻防戦が繰り広げられましたが戦力差は厳しい。
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宇喜多秀家と小早川秀秋ら4万1000名の兵力を相手に8月26日から9月8日に掛け防衛戦を展開し、全員が玉砕したという。鳥居元忠と松平家忠はじめ全員討ち死にし、その際に城内の櫓にご遺体が放置され、その血塗れの廊下をここ養源院の天井に用いている。
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スティーブンターンブル、イギリスの歴史家という方なのですがこの方の著書にはまって日本へ、という方と、いわゆる死生観について深く話し合ったことがあるのですが、その際に養源院が、ちょうどお話をした場所から3㎞程の場所でしたし、話題俎上に上がった。
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安土桃山時代の死生観と鎌倉時代の死生観と、ビルマ戦線の時代の死生観、当方の英語力の低さと先方の日本語力の低さから、余計話が拗れ、話半分の理解同士が逆に面白かったのですけれども、文化と価値観の相関関係と周辺情勢の影響があるのだろう、という。
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死生観、というよりも、ターンブルさんというのが豪州首相と同じ名前だなあと思いつつ、覚えやすかった歴史家の名前でしたのでこの話題は妙に記憶に残りました。軍事的に考えれば、伏見城を護った東軍兵士たちは西軍の東進に対し徹底的に兵力を拘束した。
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徹底抗戦により兵力を拘束し相手に行動の自由を与えない、恰も第32軍の沖縄戦と本土防衛準備や講和交渉の模索に重なる点があるのですが、結果的に西軍主力はここ伏見城とその先は大津城で拘束され、関ケ原含め決戦に参加させるのを遅滞させた意味がある。
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死守命令。ビルマ戦線-菊兵団という書籍を昔読んだ事がありますが、欧州には無い価値観だ、と。いやいや、フランス外人部隊がメキシコで繰り広げたカマロンの戦いなどはまさにこれだろう、と反論したのですが、この戦いでは最後、実質停戦交渉を行った、と。
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アラモの戦いを挙げれば分かりやすかったのだろうかと気づいたのは随分後の事なのですが、結局死生観はその場の士気と責任感と連帯感が醸成するものであり、その場にいなければわからない、と思うのです。ただ、血天井が現代、別の受け止め方をされている。
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