■第二世代戦車の奮闘
第二世代戦車という第二次大戦後の主力戦車という概念を固めた区分に類別されるのが自衛隊に僅かに残る74式戦車という。
74式戦車、いよいよ最終段階です、第3戦車大隊の74式戦車は第3師団祭において特別展示を行うと発表されていますので、これは陸上自衛隊でもっとも古い戦車部隊の一つである第3戦車大隊の偵察戦闘大隊への改編が迫っている、ということを示すのでしょう。
第3戦車大隊、61式戦車に74式戦車と続き、前の防衛大綱改定前までは10式戦車の配備が予定され、年度まで決定しており第3戦車大隊の駐屯する今津駐屯地、ここに隣接していました饗庭野演習場も10式戦車に対応する戦車射撃場の造成工事が計画されていました。
10式戦車はスラローム射撃を可能としていますので饗庭野演習場の戦車射撃場もスラローム射撃に対応した造成とする計画であったのですが、戦車大隊が戦車定数削減により廃止される方針を受け、この造成工事も中止することとなったと。これには疑問符も感じます。
偵察戦闘大隊、この編成は16式機動戦闘車を配備する戦闘中隊と偵察中隊を大隊隷下に置くというもので、戦闘中隊は事実上戦車の代わりとなる訳ですが、なにしろ数が10両ですのでいまの戦車大隊、縮小編成とはいえ2個中隊30両ある訳ですので三分の一という。
16式機動戦闘車、優れた装備ではあると確信するのですが戦車の代替になるかととわれますと、おそらく高初速の徹甲弾に対する防御は要求仕様として盛り込まれていません、論拠は、その開発時期は87式偵察警戒車の後継車両開発と明らかに重なっているためです。
74式戦車も戦車は戦車だという反論があるかもしれません、しかし、この戦車が設計されたのは1970年代であり戦車の交戦距離は1000m内外から2kmの大台に乗り、なんとしても2km先の戦車に初弾命中率50%を叩き出して勝利しよう、という要求仕様がありました。
第三世代戦車、つまり90式戦車や10式戦車の現代ですが、戦車の交戦距離は4kmまで延伸しており、初弾命中率は95%が要求されています。設計の時点で、言い換えれば0系新幹線を改造して300km/h叩き出し東京大阪間を二時間で踏破を目指せという発想に近い。
90式戦車はじめ、第三世代戦車は基本的に戦車弾薬は誘爆するという前提で、車内の弾薬庫は誘爆をもっとも回避する位置に配置されています、ここからして第2世代戦車は車内各所に弾薬を分散する発想ですので、全部一度に誘爆はしないが配置からして発想が違う。
1990年代ならば、74式戦車の照準器を熱線暗視装置として砲塔システムも一新し、砲塔に爆発反応装甲を装着する事で対応できたのでしょう、2000年代でもなんとかなったかもしれない、しかし2010年代となりますと、砲塔を16式機動戦闘車のものとでもしないと。
戦車なのですから機動戦闘車の砲塔を移植したとしても戦車とはなりません、なにしろ機動戦闘車は105mm砲弾を含む徹甲弾に耐えるという要求仕様が元々なかったものですので、戦車駆逐車とするのが精いっぱい、その上で機動力も足回りを一新しなければならぬ。
10式戦車に置換えれば、とも思うのですが、なにか政治には出来ない理由があるのでしょう。一方で戦車、各国戦車を取り巻く情勢を見ますと、2020年のナゴルノカラバフ紛争、いまのウクライナ戦争、シリア内戦にリビア内戦、決め手となるのはやはり戦車でした。
ラインメタルリンクス120として、50tクラスの重装甲を備えた装甲戦闘車に全自動の120mm砲塔を搭載した機動砲が提案され、あのくらいならば戦車を置換え得る機動砲となるようにも思えるのですが、こうしたのも開発される事無く、戦車は日本で消えています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
第二世代戦車という第二次大戦後の主力戦車という概念を固めた区分に類別されるのが自衛隊に僅かに残る74式戦車という。
74式戦車、いよいよ最終段階です、第3戦車大隊の74式戦車は第3師団祭において特別展示を行うと発表されていますので、これは陸上自衛隊でもっとも古い戦車部隊の一つである第3戦車大隊の偵察戦闘大隊への改編が迫っている、ということを示すのでしょう。
第3戦車大隊、61式戦車に74式戦車と続き、前の防衛大綱改定前までは10式戦車の配備が予定され、年度まで決定しており第3戦車大隊の駐屯する今津駐屯地、ここに隣接していました饗庭野演習場も10式戦車に対応する戦車射撃場の造成工事が計画されていました。
10式戦車はスラローム射撃を可能としていますので饗庭野演習場の戦車射撃場もスラローム射撃に対応した造成とする計画であったのですが、戦車大隊が戦車定数削減により廃止される方針を受け、この造成工事も中止することとなったと。これには疑問符も感じます。
偵察戦闘大隊、この編成は16式機動戦闘車を配備する戦闘中隊と偵察中隊を大隊隷下に置くというもので、戦闘中隊は事実上戦車の代わりとなる訳ですが、なにしろ数が10両ですのでいまの戦車大隊、縮小編成とはいえ2個中隊30両ある訳ですので三分の一という。
16式機動戦闘車、優れた装備ではあると確信するのですが戦車の代替になるかととわれますと、おそらく高初速の徹甲弾に対する防御は要求仕様として盛り込まれていません、論拠は、その開発時期は87式偵察警戒車の後継車両開発と明らかに重なっているためです。
74式戦車も戦車は戦車だという反論があるかもしれません、しかし、この戦車が設計されたのは1970年代であり戦車の交戦距離は1000m内外から2kmの大台に乗り、なんとしても2km先の戦車に初弾命中率50%を叩き出して勝利しよう、という要求仕様がありました。
第三世代戦車、つまり90式戦車や10式戦車の現代ですが、戦車の交戦距離は4kmまで延伸しており、初弾命中率は95%が要求されています。設計の時点で、言い換えれば0系新幹線を改造して300km/h叩き出し東京大阪間を二時間で踏破を目指せという発想に近い。
90式戦車はじめ、第三世代戦車は基本的に戦車弾薬は誘爆するという前提で、車内の弾薬庫は誘爆をもっとも回避する位置に配置されています、ここからして第2世代戦車は車内各所に弾薬を分散する発想ですので、全部一度に誘爆はしないが配置からして発想が違う。
1990年代ならば、74式戦車の照準器を熱線暗視装置として砲塔システムも一新し、砲塔に爆発反応装甲を装着する事で対応できたのでしょう、2000年代でもなんとかなったかもしれない、しかし2010年代となりますと、砲塔を16式機動戦闘車のものとでもしないと。
戦車なのですから機動戦闘車の砲塔を移植したとしても戦車とはなりません、なにしろ機動戦闘車は105mm砲弾を含む徹甲弾に耐えるという要求仕様が元々なかったものですので、戦車駆逐車とするのが精いっぱい、その上で機動力も足回りを一新しなければならぬ。
10式戦車に置換えれば、とも思うのですが、なにか政治には出来ない理由があるのでしょう。一方で戦車、各国戦車を取り巻く情勢を見ますと、2020年のナゴルノカラバフ紛争、いまのウクライナ戦争、シリア内戦にリビア内戦、決め手となるのはやはり戦車でした。
ラインメタルリンクス120として、50tクラスの重装甲を備えた装甲戦闘車に全自動の120mm砲塔を搭載した機動砲が提案され、あのくらいならば戦車を置換え得る機動砲となるようにも思えるのですが、こうしたのも開発される事無く、戦車は日本で消えています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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