北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【検証:JR北海道危機08】急行が経営危機を救う!,鉄道廃線か大幅運賃値上げかの選択肢

2017-09-20 23:18:06 | コラム
■JR北海道,経営安定化試案
 JR北海道危機、かなり間が開いてしまいましたが、第八回は廃線を回避する選択肢についてです。運賃収入を増やさなければ、基本的に鉄道経営は安定化しません。

 JR北海道の経営危機、最大の背景には如何ともし難い過疎化による旅客輸送需要の激減があります。JR北海道には国鉄民営化にともない、経営安定化基金が設定、当初は一定の赤字であっても基金からの利子分をえることで補填できるとの考えもありましたが、ゼロ金利により基金そのものを切り崩すという文字通り最後の手段が講じられています。

 しかし、切り崩せば将来的に旅客需要増大の見通しはなく、先細りとなることは回避できません。経営安定化へ、旅客需要が増大しないのであれば収益を増やす最後の手段は運賃値上げしかありません。しかし、赤字路線だけを運賃に反映させることは現実的ではなく、特に一列車、単行列車であっても乗客が一名二名という状況では、運賃へ反映できない。

 運賃に反映させたならば大変な値上げとなってしまうでしょう。この意味を考えますと、例えば豪華寝台列車ななつ星などは一両あたり個室を二部屋程度に抑え、高品質なサービスを提供しています。しかし、乗客の専有面積だけで考えるならば、一両あたり数名の乗客で運行される列車は豪華列車ななつ星と同等の専有面積で運行されている、ということ。

 運賃値上げ、全路線で均等に二割、不採算路線の過度な過疎化地域では三割程度値上げし、また定期運賃も含め二割から三割値上げする。この施策により幾分かは現状を改善することができるでしょう。運賃値上げは競合する路線バスへの旅客需要流失の可能性を同時に高めてしまいますが、例えば定期券購入への北海道庁の補助金政策、等が求められます。

 これは北海道庁としての負担となりますが、敬老割引など道庁の福祉政策と併用し、JR北海道と乗客の最小限度の利便性を確保できる体制が求められます。実際、廃線か補助金か、という状況で沿線自治体とのバス路線転換の可否が話し合われている状況ですが、敢えて、廃線か運賃大幅値上げかバス転換か、と三択に切り替えることで交渉の余地は広まります。

 地元自治体との交渉に、廃止かバス移管かという鉄路廃止意外に線路を残ししかも上下分離方式経営と異なりJRが経営に加わり、幅を持たせる意味はあります。問題は運賃値上げは国土交通省の許可も必要であり、単純な命題ではないのですが廃線におい込まれるかバス転換か、どちらにせよ線路がなくなる以外の選択肢の持つ重みは大きいと考えるのです。

 急行列車、思い切った採算強化の施策に現在の普通列車を大きく削減し、特に日中の運行列車の大半を急行料金が必要な急行列車に置き換える、という選択肢があります。特に乗降客数の少ない普通列車停車駅施設を、国鉄時代に北海道内にかつて複数存在した仮停車場、扉一つ分のコンパクトな乗降用ホームまで縮小、逆に駐車場等の面積に敷地を充てる。

 もしくは最後の選択肢で一部駅舎についてホーム先端部分のみJRが管理する仮停車場として、駅管理業務を抜本的に簡略化し、これいじょうないほどまで切り詰めているJR北海道の最後の効率化が可能です。その上で、従来型のホームを維持する駅を急行停車駅とし、普通列車以外の列車の運行に重点を置く、という選択肢が考えられるでしょう。無論停車場へ旅客需要があれば臨時停車してもよい。

 日中の時間帯に運行される列車については近郊線の一部を除き急行料金を徴収する急行列車とし、収益拡大をはかるのです。もちろん、純粋な急行料金では一区間乗車するだけでもかなりの料金となりますので、5km未満急行料金、10km未満急行料金、25km未満急行料金、35km未満急行料金、50km未満急行料金、と旅客需要に応じ区分を細分化するなどの施策は必要です。

北大路機関:はるな くらま
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巨大災害,次の有事への備え 17:南海トラフ地震、ビッグレスキュー1991と自衛隊RMA

2017-09-19 22:41:28 | 防災・災害派遣
■ビッグレスキュー1991
 FC-Systemの救援物資最適給付応用について前回一視点を提示しましたが、所謂情報RMAという情報優位を戦域優位に直結させる電子技術全般応用の実験は、実は自衛隊では災害派遣対処演習において端緒についていました。

 ビッグレスキュー1991、北部方面隊が恵庭地区において大規模地震を想定し対処基盤の構築を演練した大規模演習ですが、実はこの26年前の災害派遣演習が、自衛隊における兵站情報共有演習の先駆けとなった事はご存知でしょうか。志方北部方面総監が主体となり、自衛隊の災害派遣能力強化を掲げた演習はネットワーク化の壮大な実験演習だったのです。

 自衛隊の情報共有に関する取組は、世界でも比較的早い時期から着手されていました。アメリカ軍やNATO軍と比較すればアメリカ軍よりもかなり遅れており、NATOの最先端諸国と比較したならば確かに先進的とは言えないものではありますが、これらは世界200カ国において例外的に先進的な諸国で、概ね自衛隊は其の最上位にほぼ、準じていた訳です。

 実感が無いかもしれませんが、陸上自衛隊での特科情報処理装置、1960年代より開発が進み1970年代には既に自動化されていた技術、対砲レーダ装置と電子通信標定装置と野戦特科部隊と連接させた、自衛隊では情報供給というよりは単なる砲兵システムと理解されている組織的な運用、これだけでも20年後の1990年代までに実用化できた国は僅かでした。

 航空自衛隊のバッジシステムや海上自衛隊の海幕指揮システム、ターターシステム艦導入に伴う艦隊ネットワーク構築は、1960年代に整備され、既に普及してから半世紀を経ている為、新しさを感じませんが実は2000年代を前に世界各国が躍起になって構築しようとしていた情報ネットワークの軍事利用方式の基盤は、自衛隊は半世紀前に有していた訳です。

 ビッグレスキュー1991では北海道大演習場を大規模災害現場とし、コンピュータによる偵察出動部隊の被災地現場に基づく自動選定、災害現場進出要領のコンピュータによる迅速な画定、被災地への輸送部隊の進出に伴う接近経路の最適経路選定へのコンピュータの採用、いわばコンピュータ元年というべき演習であった、不勉強な当方は最近知りました。

 ビッグレスキュー1991においては、負傷者の第一線救護へ被災者の負傷状況をコンピュータに入力し後方の病院施設と共有する電子カルテ作成、衛生物資の集積状況と補給要求まで、上級司令部から末端の第一線要員までが情報の即座の共有を演練したものだったといい、当時は湾岸戦争が展開されていたのと同時期で、自衛隊の先進性が垣間見えましょう。

 自衛隊はビッグレスキュー1991に必要とされるコンピュータプログラムを独自に立ち上げていまして、海上自衛隊のプログラム部隊程の能力を当時の北部方面隊は有していませんでしたが、北部方面総監の提唱に基づき、当時の表現を借りるならば陸士から陸将まで、コンピュータ知識を有する隊員を集成し、混成部隊で実際の演習へ漕ぎ着けたとのこと。

 情報セキュリティ分野についても、この混成部隊の演習を通じバグの発生への対処から端緒に付き1998年にアメリカ軍がユーゴスラビアのコソボ派遣に際し、通信部隊の要員が持ち込んだフロッピーディスク一枚からネットワーク全体にコンピュータウィルス被害が拡大した事例を受け、自衛隊のセキュリティ研究に進み、予算化される基盤を創ったという。

 災害派遣へ自衛隊の野戦通信基盤をさらに高度化し、被災者救出に関する新しい情報共有基盤を構築し、ビスケット一枚からシャツ一枚まで供された救援物資は必要とする被災地域と被災者を情報共有し、即座に被災者に確実にわたる体制を作る。大袈裟な表現ではありますが、必要性を提示したものの、実際には1991年に既に演習の実績があったのですね。

北大路機関:はるな くらま
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【EOS-M3特報】横田基地日米友好祭2017,台風接近下に日米C-130大集合(2017-09-16)

2017-09-18 20:12:40 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■日米フレンドシップデイ2017
 台風18号接近下の日米共同基地横田へ日米のC-130輸送機が結集しました。土曜日曜実施され、土曜日は若干小雨が舞う程度で開催できました。

 横田基地日米友好祭フレンドシップデイ2017、土曜日に長躯展開してまいりました。日米共用横田基地にはC-130H輸送機にC-130J輸送機、最新鋭のC-130J-30輸送機、MC-130特殊作戦輸送機、とKC-130空中給油輸送機と、日米のC-130輸送機シリーズが勢揃い。

 C-130輸送機、戦術輸送機の原型というべき傑作機で世界中に輸出された万能機ですがレーザー機体自衛装置が第374輸送航空団全機体に装備、アメリカの戦術輸送への本気度を垣間見たと共に、C-130J-30が34.36mとC-130Hの29.79mよりも長い胴体が印象的でした。文字通り極東に睨みを利かせている。

 F-15戦闘機やF-16戦闘機にA-10攻撃機という常連に加え、B-1B戦略爆撃機、RQ-4高高度無人偵察機、AH-1Z攻撃ヘリコプター、MH-60特殊作戦ヘリコプター、という今回の目玉航空機、台風18号接近と北朝鮮情勢緊迫化を受け、RQ-4以外軒並み中止となりました。

 RQ-4高高度無人偵察機、航空自衛隊が導入を開始する無人偵察機です。実に30時間以上の長時間滞空を行い最高高度19000m、通常15000mという高高度から監視飛行を行う航空機で、現在U-2戦略偵察機が行っているような高高度からの偵察任務を可能とします。巨大ですが、これも無人機なのですね。

 ORV-MRZR4特殊作戦車輛、USSOCOMや第82空挺師団が第一線輸送用に導入した軽輸送車等が展示され、目を引きました。本年にキャンプ富士で一般公開され、二度目の一般公開ですが当方は初見です。ジムニー並の小型車両で、防弾耐爆へと巨大化する一方の第一線車輛へ投げかけたこの種の小型車両の方向性の一つ。

 B-1B戦略爆撃機が、という横田基地日米友好祭フレンドシップデイ2017ですが、それよりもなによりも本命視していた小松基地航空祭2017が中止になりそうで、代替地という位置づけ。RQ-4は横田基地に長期展開している為、かなり撮影可否が有力で、本命でした。

 AH-1Z攻撃ヘリコプターは横田に進出した、と地元情報が前日に届いていたのですが、AH-1Z攻撃ヘリコプター、普天間飛行場へ配備された最新鋭機で、陸上自衛隊将来戦闘ヘリコプターの候補となり得る航空機だけに地上展示でじっくりと撮影したかったものの、残念ながら悪天候により不参加となった。

 小松基地航空祭2017、小松マジック、と呼ばれる晴天に恵まれる航空祭ですが、気象庁に在日米軍とどの予報を見ても確実に直撃し、特に前日展開しようにも北陸本線の運行が絶望的な状況となっていました。すると、現実週末に行けるところは横田基地、という流れ。

 台風18号に懸念があったのですが、当初は福井市内に一泊し、小松駅まで早朝の列車で移動するという計画で調整し、友人の中には横田小松連続展開、金沢小松連続展開、という壮大な予定を立てているお話もありましたが、台風18号の経路からかなり厳しい予報が。

 台風被害を回避する為に、近年のJR各社は予防的に列車運行を早めに切り上げる事が多く、金沢駐屯地祭に展開した場合、帰路のサンダーバードが運休となる可能性がありました。しかし、土曜日ならば可能性は残ります、始発新幹線のぞみ号にて新横浜へ行く計画です。

 新幹線のぞみ号で新横浜へ進出し、新横浜から横浜線にて八王子へ、八王子駅から立川駅経由で拝島駅、そこから徒歩にて横田基地へ、帰路は新幹線ぷらっとこだま各駅停車、驚く事に三連休初日ですが夕方の列車には余裕がありまして、当初はこの計画を考えていた。

 高速道路で深夜に進発し一挙に早朝の東京へ進出、車両を高尾駅付近に待機させ、続き中央本線を立川へ進出、という壮大な高速道路での展開をいつもお世話になっている方が提示して下さり、それならば一緒に、と意気投合し横田基地へ進出した訳でした。感謝です。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010【3】伊勢湾上の単縦陣(2010-08-21)

2017-09-17 20:02:14 | 海上自衛隊 催事
■あゝ堂々の伊勢湾上単縦陣
 名古屋や四日市と松阪を出航した艦隊は順次伊勢湾上に単縦陣を組んでゆきます。

 伊勢湾展示訓練、護衛艦4隻、潜水艦1隻、掃海母艦1隻、掃海艦1隻、掃海艇2隻、輸送艇1隻、試験艦1隻、多用途支援艦1隻、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、等13隻が伊勢湾に集う大規模な訓練です。

 ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、イージス艦こんごう、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、この参加護衛艦の名を挙げるだけでも熱くなりそうですが、それ以上に熱かった、そう、2010年の夏は暑かったのです、この日は最高気温35度、猛暑日のさなかの展示訓練です。

 猛暑日35度という最高気温、伊勢湾洋上ならばさぞ涼しいかと問われれば、待機は循環しているのですから熱いものは厚い、直射日光に加え甲板からの照り返しがありますし、ステルス性を重視した最新艦艇は日影が実は少なかったりします、そして撮影は是非したい。

 伊勢湾にて熱中症とならないよう、厳重に給水と必要な塩分摂取を考慮しつつ、しかし撮影します乗艦は多用途支援艦えんしゅう、ひうち型多用途支援艦の一隻ですので、様々な作業へ充てる多目的区画が充分配置されていまして、日影が多い事で有難かったですね。

 伊勢湾は海上自衛隊とも様々なつながりあります、伊勢へは鳥羽沖に艦艇を停泊させ、指揮官が航海と日本の安全を祈念することもありますし、伊勢湾は名古屋へ繋がる重要航路の一つです、しかし、船舶が狭水道に多数集中するため、海上交通安全法が適用されます。

 この海上交通安全法は日本の国内法ですが、そのなかでも日本の海上交通が多い三海域において適用される特殊な法律です。そしてその三海域といいますのが、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海、というもので、伊勢湾が含まれています、難所瀬戸内海並に難しいという事だ。

 基本的に海上衝突予防法に準拠するのですが、速力に関しては最高速力12ノットと指定された区間では越えてはならない速力が厳しく明示されています。衝突の危惧があったさいには海上衝突予防法が適用されますし、見張り等でも海上衝突予防法が適用されます。

 巡航については海上衝突予防法よりも海上交通安全法は厳しく、追い越し禁止海域が海峡屈曲部分など明確に禁止されています。行会い船関係ではこの行会い船を避ける観点から一方通行が指定される海域があります。行会い船、海上で出会う他の船、という意味です。

 中央部を避けて航行する海域が明確されているのも特色で出来る限り伊良湖航路では禁止され狭水道となれば中央部分を航行したくなる中に明確に避けるよう示されている。このほか様々な規制がありますので、これだけ規制されている通り非常に交通が難しい訳です。

 海上自衛隊と伊勢湾の関係ですが、伊勢湾展示訓練として横須賀地方隊が主催する海上交通行事を行い、中京地域の国民へ海上自衛隊の能力と海上防衛の意義やその努力と練度を広報する訓練を実施していますが、重ねて伊勢湾機雷戦訓練という訓練も行われます。

 伊勢湾機雷戦訓練、掃海艦艇の大規模な訓練が実施されています。これは二月に行われ、四日市や松阪と津に海上自衛隊機雷戦艦艇が集結し、実際に伊勢湾へ機雷が敷設されたとの想定から掃海艇を展開させ機雷を掃討するという訓練です。訓練機雷が実際に使われる。

 伊勢湾は世界地図では狭い海域かもしれませんが、世界中の船舶が集まる良港です。交通難所であると伊良湖水道の解説に見てわかるところですが、日本列島は環太平洋弧状列島として、太平洋の高い波の影響を受ける海域にありながら、しかも台風の通り道です。

 台風有り荒波ありの凄い地形にあります日本列島、その立地に港を構築するには波の穏やかな場所が必要、このため、志摩半島と渥美半島により太平洋の高波からまもられている地形は港湾として理想的ですし、実際、台風が近づく荒天でも湾内はかなり穏やかという。

 さらに台風の際には伊勢湾に位置する知多半島は突風から船舶を守る停泊地として最適な地形となっています、このため重要港湾ですが、日本の海上交通を遮断しようとする勢力からは、この海域に潜水艦などを用いて機雷を敷設することは非常に効果的で、可能です。

 日本にとってはこの海域へ機雷敷設されることは、実に痛い。そこで伊勢湾機雷戦訓練を行うわけです、模擬機雷ですが掃海艇が不用意に掃討せず航行しますと感知し浮上し掃海艇へ撃破判定を突きつけます、海底にはいろいろ落ちていて機雷発見難易度は高いという。

 海上自衛隊の機雷掃討技術は世界的にかなり高度な水準にあります、これは第二次世界大戦以降、日米が日本は防御用にアメリカは港湾航路閉塞用に敷設した大量の機雷を処理し続けてきたためなのですが、ただ、冷戦終結直後に実は意外な弱点が見つかりました。

 1991年の湾岸戦争を契機に平和憲法の観点から戦闘部隊は派遣できないしそもそも戦闘地域には後方支援部隊を派遣できないし、さらに原則として気合い外派遣が当時の国内法では出来なかったのですが、法整備の上で戦後のペルシャ湾機雷掃海へと向かいました。

 ペルシャ湾、この海域は日本へ向かう石油タンカーが多数航行する海域ですので日本は、無関係とは言い難い状況という事で掃海艇を派遣したものの、日本が戦後、向き合ってきました大量の機雷は当然ながら戦時中の旧式機雷ばかりで時代遅れの機雷が相手でした。

 イラク軍が敷設したイタリア製やイギリス製とソ連製の機雷を掃海した際、海上自衛隊の器材は最新型の機雷には十分対応できないという厳しい現実を突きつけられたことがありました。結局、機雷処分器具に代え水中処分員が実際に潜り直接機雷処分しましたが、ね。

 しかし、この現実を突きつけられたのが平時であり、日本本土が戦争に巻き込まれる前であって本当に良かった、まず、国産機雷処理機材の能力不足を現実的に受け入れ、国産装備優位主義にこだわることなく最新のフランス製機雷処理器具の輸入を決断しました。

 機雷処分器具、これは水中ロボットの一種なのですが国産の水中ロボットは湾岸戦争後の機雷処理に十分な能力を発揮できていなかったわけです。そのうえでフランス最新装備を調達しつつ、同時並行で世界の機雷情報を冷静に収集し、機雷掃討情報を再構築します。

 国産器材は、フランス製を用いつつ、その上で時間はかかりましたが国産機雷処分器具を開発し、能力的に世界最高度に戻ることが実現しました、掃海艇そのものは海上自衛隊が多数を元々装備していますので、掃海隊群始めそれを扱える高度な乗員もそろっています。

 そこに世界に通用する掃海器具が配備され機雷戦情報処理装置や機雷戦ソナーも再構築、世界的に質と量を誇れるものとなっています。この訓練、伊勢湾でやっています。伊勢湾展示訓練よりも、実は集まる艦艇が多い一方、実は伊勢湾展示訓練程有名ではありません。

 しかし報道公開は行われているものの、文字通り実戦勝負ですので一般には公開されていません、けれども入港中には一部艦艇が公開されまして、掃海母艦、掃海艇や掃海艦が岸壁一杯に何隻もめざし係留され端から端までと並ぶ、その迫力もものすごいのですよね。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第二四回》HSS-2対潜ヘリコプターとヘリコプター搭載護衛艦

2017-09-16 20:01:08 | 先端軍事テクノロジー
■ヘリコプター搭載護衛艦への道
 対潜空母建造計画や中古空母計画という困難な計画への検討の一方で着実な防衛力整備は抜かりありません。

 海上自衛隊はHSS-2対潜ヘリコプターの運用実績を着実に高めてゆきました。1970年の時点で館山航空基地の第21航空群は航空集団唯一の対潜ヘリコプター部隊であり、隷下の第101航空隊にHSS-2対潜ヘリコプター9機が配備されただけでしたが、地方隊では航空対潜哨戒任務の主力として小松島航空隊と大湊航空隊や大村航空隊へも配備されています。

 HSS-2は1973年までに実に55機が発注されます。現行のSH-60J/Kよりも機体規模は大きく、重量も空虚重量6.2tあり、これは超音速戦闘機F-104の空虚重量6.35tに迫るものでした。全備重量9.5t、全長16.7mと回転翼直径18.9m、上昇限度は4500mあり富士山を遥かに超える他、機内燃料は3180ℓを搭載し航続距離は約1000kmに達し、巡航速度219km/hという大型ながら当時として充分な機動力があります。

 三菱重工がライセンス生産基盤を整備した事も海上自衛隊のHSS-2への強い期待が見て取れます。HSS-2はアメリカ海軍が1961年に初飛行させ、1962年に新機種呼称のSH-3として海軍での運用が決定しました。この新鋭機を海上自衛隊が導入したのは1963年で、アメリカ海軍での運用が開始されて直後の導入で、新装備供与へのアメリカの姿勢が覗える。

 HSS-2対潜ヘリコプターは対潜ヘリコプターとしては特筆して高性能でした。三菱重工においてライセンス生産されたHSS-2は石川島播磨重工製の強力なCT58-IHI-110-2エンジンを採用し、1000kmという長大な航続距離を有するとともに対潜機材として当時最新のAN/AQS-10ディッピングソナーとAN/APN-130ドップラーレーダーを搭載していました。

 AN/AQS-10ディッピングソナーは7km以内の潜水艦の捕捉し、海面下で潜水艦を隠す海水変温層や塩分濃度層を越えてソナーを展開させる事が出来ます。また、AN/APN-130ドップラーレーダーは潜水艦が潜望鏡により襲撃行動に移る瞬間を見逃しません。更に夜間や濃霧等でも自動安定装置付自動操縦装置と電波高度計を用い対潜哨戒が可能でした。

 HSS-2の運用は、潜水艦に対する護衛艦の対潜訓練を大きく変容させるものとなりました。こう言いますのも、潜水艦の潜航水域へ直接飛行し、ホバーリングしつつ任意の深度へソナーを降ろし聴音します。潜水艦のソナーは護衛艦を追尾できますがヘリコプターは勝手が違う。この為、潜水艦は航行一つとってもヘリコプターを最大限警戒せねばなりません。

 三菱重工においてライセンス生産を開始したHSS-2はその後、順調に改良型が生産されてゆく事となります。国内に予備部品供給の基盤が構築されるのですから、稼働率を高め、更に近代化改修や改良型の開発等へも自由度が高くなる事を意味します。HSS-2は三菱重工にて実に185機もの多数が量産、HSS-2はHSS-2改良型で置き換えられてゆきます。

 HSS-2はその後、HSS-2A,さらにその改良型であるHSS-2Bへと発展してゆき、HSS-2には無かったソノブイ運用能力も改良型から付与されてゆく事となります。これは同時に、航空集団の他、地方隊航空隊へも配備が進められ海上自衛隊全般の航空対潜哨戒能力向上へも大きく寄与すると共に、大型ヘリコプター運用基盤を構築する事ともなりました。

 しかし、海上自衛隊はシーレーン防衛を強化し、海上交通を維持する観点から日本列島を遥かに超えて太平洋上に航空対潜哨戒の第一線を想定しなければなりません。特に1969年の小笠原返還、1972年の沖縄返還と共に海上自衛隊が対潜哨戒を行う範囲は必然的に長大化する為、ヘリコプター艦上運用、との視点が必然的となる時代が到来しつつありました。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.09.16/09.17/09.18)

2017-09-15 20:00:55 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 北朝鮮ミサイル発射と台風18号が接近する最中ではありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。三連休となる今週末行事の紹介です。横田、金沢、小松、を連続展開される方はいますでしょうか。

 小松基地航空祭、毎回降雨予報や台風接近の中で緊張感を以て開催されるのですが、晴天に恵まれ、豪雨予報が曇天で飛行展示が出来る事で知られる航空祭、小松マジック!、と航空機ファンに呼ばれます。白山の女神くくり姫に愛される航空祭ではないか、と考えてしまう僥倖が続く航空祭なのですが、本縁の台風18号接近状況下ではどうなのでしょうか。

 日本海側唯一の戦闘機部隊基地として知られる小松基地には、第6航空団のF-15要撃飛行隊2個が展開している他、昨年には南九州新田原基地より飛行教導群のF-15部隊が小松基地へ移駐しており、千歳基地や那覇基地を越える自衛隊最大のF-15戦闘機部隊基地となっています。F-15総数ではアメリカ空軍嘉手納基地と同等、イーグル大編隊の迫力は物凄い。

 横田基地日米友好祭、土曜日と日曜日に実施されます。在日米軍司令部、アメリカ第五空軍司令部、航空自衛隊航空総隊司令部、日米指揮調整所、日本と極東地域防空司令部機能の中枢というべき基地です。また、広大な飛行場には空軍第374輸送航空団のC-130J-30輸送機が配備されており、航空自衛隊のC-130Hよりも長大な機体が特色となっています。

 日米フレンドシップデイ、飛行展示はありません、地上展示主体の行事なのですが、F-15戦闘機やF-16戦闘機にA-10攻撃機という常連に加え、B-1B戦略爆撃機、RQ-4高高度無人偵察機、AH-1Z攻撃ヘリコプター、MH-60特殊作戦ヘリコプターと、物凄い展示航空機が展示予定として広報されています。ただ、今朝の時点で台風接近とミサイル事案があり、変更の可能性があります。

 金沢駐屯地創設67周年記念行事、第14普通科連隊の駐屯地です。石川県、富山県、福井県、を防衛警備管区とする第14普通科連隊は別名北陸方面隊と呼ばれるほど広大な地域を防衛する普通科連隊で、日露戦争二〇三高地攻略で知られる陸軍第9師団の伝統受け継ぐ精鋭部隊、戦闘訓練展示では野戦と市街戦展示を統合した迫力の展示が繰り広げられます。

 秋田駐屯地創設65周年記念行事、第9師団隷下の第21普通科連隊と第11施設群隷下の第357施設中隊が駐屯しています。元々第21普通科連隊は1999年まで第6師団隷下にありましたが、第9師団へ管理替えされました。師団は青函地区防衛の重装備型師団でしたが、2010年に即応近代化師団へ改編、連隊も精鋭ゲリラコマンド対処型連隊へ改編されました。

 三軒屋駐屯地創設62周年記念行事、関西補給処三軒屋弾薬支処と第4施設団隷下の第305施設隊の駐屯地で、岡山市北区に位置し岡山駅から5kmほどの立地、津山線沿線の岡山理科大学に隣接する弾薬庫です。弾薬庫の駐屯地で行事内容が気になりますが、地区施設隊を改編した第305施設隊と第13旅団隷下部隊の協力した訓練展示などが行われるとのこと。

 白山分屯基地開庁記念行事、残念ながら中止です。第14高射隊のペトリオットミサイル部隊が展開し、映画ガメラⅢで紀伊半島沖から京阪神地区へ向かうガメラを撃墜した描写で知られる部隊ですが、現在、四国へ北朝鮮弾道ミサイル警戒へ派遣中です。北朝鮮はグアムへ発射を宣言、中部航空方面隊隷下部隊は現在、中国四国地方へ迎撃部隊を展開中です。

 ブルーインパルス八王子市市制100周年記念祝賀飛行、ブルーインパルスが八王子にやってきます、土曜日に東京都八王子市の市制100周年を記念し、富士森公園上空をブルーインパルスが祝賀飛行を行います。午前中に飛行展示が行われるとの事で、近傍の横田基地日米友好祭と掛け持ちで展開してみる試みも楽しい土日の序幕とする事も出来るでしょう。

 さて撮影の話題、自衛隊関連行事へ公共交通機関にて足を運ぶ場合、自衛隊前バス停という単語に反射的に降車ボタンを押していそいそと出かけてしまうのは一つの習性といいますか条件反射ですが、数ある駐屯地にはかならずしも自衛隊前バス停というバス停の位置が式典会場の最寄りとは限らない場合があります。そして歩く距離も凄い事になりますがこの点について。

 相馬原自衛隊前バス停などは旅団司令部に所用がある場合には最適の位置にあるバス停ですが、式典会場は遠く相馬原飛行場ですので徒歩30分近く上り坂を延々上ることになりまして、それよりは榛東温泉バス停という終点バス停が近かったりします。伊丹駐屯地などは自衛隊前よりは少し離れた路線の方が本数が多く所要時間を短くできる場合も、ある。

 バス停と少なすぎるバスの本数と直面した場合には、最寄りのバス路線で、駐屯地から若干離れているもののプランBとなりうるほかの路線をあらかじめ探し、身を運びますと、混雑を回避し、快適に撮影する環境に到達できます。バス路線というものは線路のように見えない為検索が難しいですが地図と照らし合わせバス路線を眺めることが肝要でしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・9月17日:秋田駐屯地創設65周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/akitasta/
・9月16日・17日:横田基地日米友好祭2017…http://www.airliftmagazine.com/
・9月17日:金沢駐屯地創設67周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/sta/kanazawa/
・9月18日:小松基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/komatsu/
・9月17日:白山分屯基地開庁記念行事(中止)…http://www.mod.go.jp/asdf/
・9月17日:三軒屋駐屯地創設62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/sangenya/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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イージスアショア導入へ疑問(5):国家防衛システムは核恫喝への日本核武装核抑止論を牽制

2017-09-14 20:38:21 | 先端軍事テクノロジー
■国家防衛システムの信頼性
 イージスアショア導入へ疑問、その最初にして最大の一手はミサイル防衛を行う上で中間段階迎撃を主とするシステムを陸上へ配備する事への疑義でした。

 THAADは終末のterminalを意味するTを冠している通り、最終段階での迎撃を主任務とするミサイル防衛システムです。このために自衛隊、というよりも日本国家が必要とするミサイル防衛システムには中間段階の迎撃能力を持ち、終末段階については将来的に開発の余地があるという、中途半端な能力となっているイージスアショアよりも利点がある。イージスアショア採用の中欧に配備し西欧を護る欧州ミサイル防衛とは根本的に違う。

 ミサイル防衛を確実に行う意義は、日本国内において書く攻撃というリスクへの通常兵器による抑止手段を確保することを通じ、日本国内で生じる核武装論などを抑制する意味があります。核武装論には既に自民党の石破代議士が提示した米軍核兵器持込容認再検討余地、という発言も含め、核抑止構造を実体ある核戦力へ転じる牽制を大きな意味とします。

 日本核武装論、仮に国民総意に至ったならば、これをすべて否定するつもりはありませんが、大変な覚悟が必要です。北朝鮮に対して行われている制裁の規模を日本に当てはめた場合という視点も重要ですが、何より”日本から平壌へ届く核戦力”は”日本からロシア沿海州に届く核戦力”と同義です。ロシア側は日本の核戦力が極東地区へ到達する重大な脅威と見なさざるを得ません。

 ここに新しい対立構造が生まれることを忘れてはなりません。ミサイル防衛を充分に機能させることができれば、即ち数字の上ではなく、国民世論として自衛隊のミサイル防衛能力を信頼できる体制をいじできれば、核攻撃されたならば核兵器を撃ち返す世論、これを、核攻撃されたならば迎撃し撃ち落とすべきとの世論、が圧倒させることができるでしょう。

 信頼性、国民がミサイル防衛を信頼できる体制を構築する事がこの命題の肝要です。ミサイル防衛という概念は従来、相互確証破壊という互いに相手を確実に殲滅できる能力を持つ事で牽制しあう恐怖の均衡を破綻させるものとされていましたが、これはミサイル防衛の精度を確実とするには当時核弾頭迎撃ミサイルが必要とされた為でした。即ちこの懸念はミサイル防衛に核兵器が必要であった時代のもので、今日とは少々事情が違います。

 イージスアショアかTHAADか、この双方は弾頭に核兵器を必要としません。核兵器の恫喝に通常戦力で対応することができる、これは核兵器体系と核拡散防止への新しい軍縮体系構築への大きな一歩でしょう。その上で、国民がミサイル防衛について一般論として万全と自信を持つためには、イージスアショアかTHAADか、という視点が必要と考えます。

 新しい安保理決議が可決され、原油輸入制限や一部工業製品取引禁止と労働者渡航制限が含まれました。北朝鮮への現在以上に厳しい制裁措置となりますと、原油完全禁輸、中朝国境の閉鎖とロシアからの禁制品輸入監視の為の海上封鎖という最終手段が考えられます。海上封鎖は、機雷敷設や海上保安庁巡視船による臨検の実施などが考えられるでしょう。

 機雷封鎖は憲法上禁じられた武力行使であるかについては議論の余地がありますが、憲法上の武力行使は国際法上の武力行使に当たる経済制裁や外交関係の断絶等を含めておらず、国際法上の武力行使や武力攻撃と憲法上の武力行使は別の定義である事がわかります、その上で機雷敷設や臨検強化の憲法上位置づけでは、一概に許されないとは言い切れません。

 イージスアショアかTHAAD、どちらかが国民の信頼を得て整備維持されるならば、ここまで行かずとも長期的に核廃絶実現まで日本国家も核脅威とミサイル脅威へ忍耐という選択肢が生まれます。その上での比較ですが、イージスアショアのSM-3が現状で終末段階迎撃能力を有していない事は国民のミサイル防衛への信頼を勝ち取る点で大丈夫でしょうか。

 北朝鮮は核開発とミサイル開発を完成の領域へと進めつつあります。これは通常弾頭ミサイルとは別次元の脅威であり、核攻撃から国家を防衛するという以上、イージスアショアは日本にとり“国家防衛システム”そのものです。そして従来は“核恫喝へは核抑止”により対抗していた核体系へ通常戦力により挑む世界史上新しい試みです。この為には、着弾直前の終末段階防衛に適さない装備よりも、終末段階防衛適した装備が理想、と考える訳です。終末段階防衛を撃ち漏らしたその直下には、我が国の平和な営みがあります、これを核の業火から守らねばなりません。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】名古屋城,1959年落成復興天守閣の木造天守閣化に伴う文化財破壊危機

2017-09-13 22:36:54 | 旅行記
■名古屋,戦災復興文化財の軽視
 名古屋城は1959年落成の復興天守閣が、尾張名古屋は城でもつ、との言葉を体現するほどの威容を誇っています。

 名古屋城、木造天守閣立替に付き年内にも取り壊しへ立ち入り制限が始まる、衝撃の方に接し、急遽足を運ぶこととました。名古屋城の木造天守閣復元という施策ですが、戦災からの復興天守閣という歴史上の史跡を理解しない非文化的な愚行といわざるを得ません。

 復興天守閣はバブル期に乱立した復元天守閣とは根本的に意味が異なる第二次世界大戦からの復興を祈念したまだまだ日本が貧しい時代の国家再興を念じた、それ自体が史跡であるのです。そして現状では鉄筋コンクリートの耐震補強という選択肢もあったということ。

 復興天守閣を経済的に余裕があるとの理由から安易に木造天守閣に建て替えることは、あたかも古刹の伽藍を近代的な建物に建て替え満足するような見識不足を後世に残すこととなるでしょう。ただ、名古屋にはよい意味含め浅い文化的価値観があるのかもしれません。

 万松寺、一例として織田家菩提寺として名古屋市内に歴史を誇る寺院で1540年に建立されました、那古野城に隣接し造営された寺院で移転を経て現在位置に遷座しましたが、この本堂建て替えのさい、驚くべきことに近代的鉄筋コンクリートビルに建て変わったのです、檀家一同がこの建て替えを認めたのはちょっと文化財の多い街では考えられない。

 名古屋城については確かに木造復元という大義名分を理解する余地はあるのでしょうが、現状天守閣が第二次世界大戦の戦災により焼失した天守閣を復興の象徴として、市民の献金、今では考えられぬ程に日本が復興途上の最中、献金で再建された天守閣である訳です。

 鉄筋コンクリートの天守閣こそが再建ではなく、始祖の復興天守閣であることを忘れて、取り壊されようとしているのは非常に悲しい事です。そして名古屋市もこの視点については、より古い1936年落成の市役所施設等は建て替えを行わず維持する方針を示しています、しかし1959年落成の天守閣は、と。

 名古屋城だけ何故取り壊すのか、歴史的価値では戦災復興への復興天守閣の地位は低くは無く、名古屋市役所や愛知県庁、帝冠様式の建築物を老朽化したさいには耐震工事と補強工事を実施しているのに対し、安易に古くなったので天守閣再建、は二重基準でしょう。

 木造天守閣を再建したとして維持できるかという事も大いに疑問です。二条城や大阪城の美麗な石垣をみた上で名古屋城の石垣をみますと、草に覆われ、郭と櫓の一部には老朽化の破損さえ散見できます。石垣の除草は費用と労力が大きいだけに美観への姿勢が表れる。

 石垣は江戸時代の造営時を遺構として今に伝え、明治維新や陸軍進駐に戦災からも生き延びた文化財ですが、名古屋城石垣はどうか、言い方は悪いですが、熊本地震被災から一年を経た熊本城の石垣の方が、手入れという部分では良好な環境を保っているとさえいえる。

 名古屋市は石垣さえ維持できない状況下で木造天守閣を新造しようとしている訳ですが、これで天守閣を維持できるのかという視点が残ります。逆説的に木造天守閣よりも石垣の保全にまず予算を投入し、城郭の基礎というべき今ある石垣と櫓保全の方が優先度は高い。

 城郭は基礎工事が重要です、逆に熊本城等は徹底したおかげで熊本地震に耐えましたが、名古屋市はどうか。こうして初めて、これから新しい天守閣を再建するというものがせめてもの順番であり、木造天守閣だけを求める姿はある種、非文化的で滑稽とさえいえます。

 現状は差し迫った納期前に設備新調を行い生産性向上に着手しようとしている斜陽工場と違いがありません。復興天守閣という歴史的財産の位置を明確に理解し、同時に今必要な石垣と櫓や郭の補修を先行、その上で復興天守閣を壊すのかを問うべき、順番が違います。

北大路機関:はるな くらま
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【EOS-M3特報】第45回木更津航空祭・木更津駐屯地49周年,CH-47大編隊(2017-09-10)

2017-09-12 23:30:44 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■秋空快晴第45回木更津航空祭
 秋空が広がる先週末は三沢基地航空祭はじめ、木更津に函館や竹松と小郡など、全国で自衛隊行事が活況でした。

 日曜日に東方は木更津駐屯地祭へ行ってまいりました、第45回木更津駐屯地祭は今年二月の駐屯地祭の行事に続き本年二度目となる航空祭です。木更津駐屯地は中央即応集団隷下の第1ヘリコプター団、東部方面航空隊隷下の第4対戦車ヘリコプター隊等が駐屯しています。

 EOS-7DにEF28-300mmISレンズを装着し機動力を以て撮影に活用していますが、今回は速報記事という事で同軸に連装し撮影したEOS-M3に15-45mmレンズを装着し撮影した写真で、最大45mmでは相当画角に無理があるのですが、行事の様子をお伝えしましょう。

 木更津駐屯地は千葉県木更津市にあり、神奈川県横須賀基地とは総武線直通君津行快速により結ばれています。この為、今回は横須賀基地に一寸立ち寄り、その上で千葉市に展開し市内観光と名物のモノレールを堪能し一泊、その上での木更津駐屯地展開となりました。

 二月に行われました木更津駐屯地祭は所用にて展開する事が出来ず、しかし、友人からの情報ではEC-225が要人輸送ヘリコプターとは思えぬほどの機動飛行を披露し、模擬戦の迫力は訓練都合が響いたと思われるものの、物珍しさで中々の迫力であったとのことです。

 三度目となる木更津駐屯地祭、木更津駅からシャトルバスを見ますと長蛇の列、それもそのはず発車時刻が少し後に設定されており、それならばとタクシーを利用する事としました。偶然名古屋の方と一緒になり、加えて同好の志の合計4名で乗合、駐屯地へ展開です。

 快速電車で飛ばして早めの到着となり、しかもタクシー乗合により割勘定で一人あたりはシャトルバスとほぼ同額に収まりまして、意気揚々快晴の駐屯地前で開門を待ちました。早めの展開で手荷物検査も短時間で通過でき、入りました駐屯地面持ちは若干違うところ。

 CH-47にUH-60とAH-1Sが大量に列線を構成するというものが木更津駐屯地の印象ですが、今回は既に飛行展示参加の航空機は滑走路上に並び、離陸前の勇壮な地上の列機を撮影する事は叶いませんでした。そしてこの位置は編隊飛行の向きが気になってしまいます。

 編隊飛行の経路などを班長さんや指揮官さんにさり気なく聞きますと、この編隊の向きが判明しないならば撮影位置を何処に画定するかが大きく変わるのですが、これまでの飛行展示とは、天候次第といわれつつ、逆方向の千葉市方面を館山市方面へ飛行するとのこと。

 首都圏の友人は車両にて展開するとの事で、早めに進出したものの駐車場からの式典会場への手荷物検査がかなりの混雑との事で入場まで時間を要していました。これを見ますと当方選択肢とした鉄道利用は正解でしたが、合流できないと、撮影位置の相談も出来ない。

 UH-60により駐屯地司令が式典会場に入り、部隊整列を行わずに式典へ、部隊は航空機へ整備と搭乗員共々既に展開しているようでした。指揮官訓示と来賓祝辞を拝聴しつつ、撮影位置選定、編隊飛行と訓練展示の撮影には適所からの陣地変換を多用する事としました。

 編隊飛行は規模が2013年に撮影したものよりもかなり縮小されている印象でしたが、LR-2の急患輸送任務途上の墜落事故を受け追悼飛行より航空祭は開始、沈鬱な面持ちと共に、しかし陸上自衛隊航空の将来を期待し、EC-225の機動飛行や訓練展示を撮影してゆきます。

 観閲飛行と併せ驚いたのは観閲行進として整備器材や消防車両の展示が行われた点で、また、実施されないのではないかと考えた訓練展示模擬戦についても実施されました。体験飛行と地上滑走のCH-47編隊が醸す迫力もなかなかのもの、成果と共に帰路につきました。

北大路機関:はるな くらま
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鎮魂:9.11/アメリカ本土同時多発テロから十六年,テロ脅威の継続と新しい大国間対立の醸成

2017-09-11 20:17:09 | 北大路機関特別企画
■米本土同時多発テロから16年
 本日は9月11日、アメリカ本土同時多発テロの日です。世界史の転換点となったあのテロの発生日です。

 アメリカ本土同時多発テロから本日で16年となりました。ニューヨークの象徴である世界貿易センタービル北棟南棟、アメリカ国防総省、乗客の文字通り死闘経て墜落したユナイテッド航空93便、旅客機4機をテロリストが奪取し、そのまま人口密集地へ体当たり攻撃を行い、死者は3000名を越える惨事となり、その後の国際公序を大きく転換させました。

 国防総省本省舎は第二次大戦中の要塞工学に基づく永久築城構造の為に倒壊は免れ損傷を一部に留めましたが、世界貿易センタービル北棟南棟に直撃した2機の旅客機は構造物を火災高熱により変形破損させ、倒壊崩落に繋がった事で大被害を生じさせました。この惨事は、攻撃を実行したアルカイダ筆頭に世界を“テロとの戦い”へ投じることになります。

 2001年より始まる“テロとの戦い”とは、文明の衝突と識者に論じさせた世界情勢の一つの問題の顕在化であり、ロングピースと識者が論じた冷戦構造の崩壊が転じた不安定要素顕在化の際たる事例であったのでしょう。しかし、“テロとの戦い”のアフガニスタン介入、イラク戦争等、これらは膨大な戦費を“テロとの戦い”に臨む有志連合諸国に強いました。

 アルカイダとの戦いを戦端とした長期間の“テロとの戦い”ですが、現在はフィリピンミンダナオ島においてISIL騒擾が現在進行形で進展しています。フィリピンでは2002年より米比バリカタン共同演習としてアルカイダ武装勢力への戦闘が展開され、ISIL騒擾の潜在的要素はありましたが、我が国の南の隣国で続く騒擾は懸念が杞憂でなかった事を示す。

 大量破壊兵器拡散という懸念が、特に我が国にて発生した1995年地下鉄サリン事件を端緒としてテロ組織による大量破壊兵器の大都市での使用という深刻な懸念を各国間で共有させる事となり、これがイラク戦争へ、アルカイダのイスラム原理主義とイラクフセイン政権の社会主義思想との根本的相違を無視したものの、繋げた事は今日へ影響を残しました。

 北朝鮮核開発と大陸間弾道弾開発は、しかしこのイラク戦争、大量破壊兵器拡散阻止を念頭とした開戦とその後の政権崩壊への行動が、北朝鮮に核兵器の死活的重要性を痛感させる事となり、核拡散を招くと共に次の脅威を世界に突き付ける事となりましたが、根底を辿るならば、やはり“テロとの戦い”と、同時多発テロへ至るのは皮肉と云えましょう。

 テロとの戦い、しかしテロの要因を“人間の安全保障”として自己実現を阻む抑圧的政治体制と人権抑圧文化観にあると理解する有志連合は、民主主義制度の定着によりこの要因の解消を望み、この為に治安作戦による民主主義制度定着支援という行動を通じ、敵国政府や敵対勢力中枢という軍事目標不在の“非対称の戦い”へと未知の戦いへ転じた訳です。

 冷戦型の大国間の対立は、しかし“テロとの戦い”の最中にも要因は解消されていなかった事が判明し、そもそも冷戦の勝利という認識そのものが、自由主義と社会主義という対立軸ではなく、双方が単なる地政学上の対立構造が寛容不寛容の対立と併存したのではという程根深く、ソ連崩壊後も対立は続き、一時停滞していたのみだったのかもしれません。

 ロシアとアメリカの対立、中国とアメリカの対立、この二つの超大国と大国に地域大国間の対立軸は、しかし“テロとの戦い”が大きな影響を及ぼしています。民主主義実現への軍事的手段行使の実例は、危機感を煽ると共に民主主義制度の多様性への認識の欠如が有志連合へ同床異夢の状況を現出させる事となり、多極化時代を逆に進めてしまいました。

 テロとの戦い、このもう一つの影響は“テロとの戦い”に投じた膨大な戦費、治安作戦用の大量の部隊派遣維持費と耐爆車両や個人用防護器材、これらの短期間且つ膨大な更新が、冷戦型装備の世代交代という極めて重要な、次世代の従来型戦争に備える各種装備体系の開発費用を、有志連合諸国から根こそぎ奪う事なりました。この中止影響は非常に大きい。

 アメリカ一国でも、陸軍装甲車両体系を共通車輛派生で一手置き換えるFCS計画、次世代砲兵火力戦闘実現するクルセイダー計画、将来ステルス偵察ヘリコプターRAH-66計画、海軍の将来巡洋艦構想、思いつくだけでこれだけ軒並み中止、F-22戦闘機生産大幅削減、将来駆逐艦ズムウォルト級量産の実質中止、統合打撃戦闘機JSF計画実現の大幅遅滞、など。

 米軍再編として、世界の米軍前方展開を戦略拠点に集約、軽量装備と緊急展開能力重視へ転換する構想が、これを支える次世代装備の中止の最中、配置構想だけを急ぎ実現した事もアメリカの影響力低下を招き、現在の中東や南シナ海と朝鮮半島、アフリカ地域への新しい対立構造へ昇華しました。9.11の鎮魂を祈ると共に次の戦争回避の措置を切望したいところです。

北大路機関:はるな くらま
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