大賀ハスは1951年に千葉の縄文遺跡から発見された蓮の種のうち、ひと粒が不思議なことに発芽したものだそうである。
2000年くらいの時間を経て咲く生命の力に驚く。ちょっとしたタイムマシンだ。
日本神話を最近勉強しているが、時間に関する神様はいるのかと、興味を持ち調べた。日本書記にはないが、古事記に時量師神(ときはかしかみ)という神様がイザナキが黄泉の国から帰り、禊をする場面の中でたくさん神様が現れる中でひょこっと現れる。調べると、どうも曖昧でそれ以上分からない。
ひょっとすると、時間はあまりに当たり前で、古代の人は神様の存在を感じない抽象的なものだったのかもしれない。
しかし、自分の人生を振り返ると、時間に関しては、いろいろな想いがある。
サラリーマン時代は、営業の生産性を上げるべく、タイムマネジメントをまじめに取り組んだし。様々な試験(入学試験、学期末試験、資格試験・・・)では、時間の配分を考えて問題を解く練習をした。必死にあくせく作業をする。
しかし、悠久の時から考えると、何か固執しすぎな感じもする。短い人生そんなに急いで何処に行く。ひょっとすると、現代の一般的な病かもしれない。追い立てられて何かをする・・・
追い立てられるように、日々携帯やパソコンをチェックし、メールを出したり、電話をしたりする。本当に大事なことなのだろうか?
ある著名な哲学者は、午前中の一番頭が冴えているときは、ひたすら考えることだけをしたそうだ。疲れた午後に、やっと読書をしたり他のことをしたそうである。
勿論、私が大哲学者の真似をしても意味はないと思うが、もう少し、時間を大切にしてもよい気がする。
時量師神の神様の記述はないようであるが、今日は一日その神様について妄想したい。
<旅は道連れ 3/8>
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