イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

・・・初恋・・・

2009-11-08 | 第一章「意識と知覚」

 当初は、啄木の「一握の砂」を読んで、沸き起こる自分の感情から、このブログを書き連ねて行こうと思っていた。しかし、毎日眺めたりしていると、啄木に対する興味がどんどん沸き起こり、今は石田六郎著「初恋人の魂追った啄木の生涯 啄木の精神分析」の分厚い本を丹念に読むようになってしまった。

 自分が気になることは、意外にその時の自分にとって必要な何かを含んでいることが多い。啄木に関心を持つこと自体、意識の世界の奥の無意識の世界と連関しているのだろう。

 啄木の「一握の砂」は、子の死と繋がっているが、その深層にどうも初恋の思い出があるようである。6歳のころの初恋人サタ。そのサタの思い出がベースとなって、短編「二筋の血」が書かれたようである。サタは8歳のころにジフテリアで急死し、その辛い経験が啄木の生涯に大きな影響を与えているようだ。

砂山の砂に腹這ひ

初恋の

いたみを遠くおもひ出づる日

 

大形の被布の模様の赤き花

今も目に見ゆ

六歳(ムツ)の日の恋

 啄木のこころの内は所詮他人で判らないが、この詩を読んで自分の幼いころの思い出を振り返る。私の場合は、今はアラスカの7歳の時の隣のBさんかな。一年もたたず帰国したため、それ以降消息は不明である。そういった経験が自分の人生に密かに影響を与えている。そういうこともあるかもしれない。

 初恋は甘い思い出ばかりでなく、創造活動の源泉になったり、凶器になったりもする。

(一握の砂 9/16)

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