「一握の砂」は、感情の曼陀羅のカンズメのようだ。沢山感動を与えてくれるが、まだ自分にとって消化できない感情の動きを描いた詩も沢山ある。自己否定・他者否定スイッチもある。豊饒だが危険なジャングルのようである。豊かな恵みもあるが、毒虫もいる。
ただ、その中で 「一握の砂」の旅は、期せずして自分にいろいろな前向きな気づきをもたらしてくれた。それは、、優秀なガイド(生き甲斐の心理学)があったからだと思う。もしこのガイドなしで、例えばクールな分析でラッキョウの皮をむくように自分を剥いて還元して行ったら、病理の世界に向かう危険もあった。
さて、ちょうど、この一連のブログを書いていた只中で、昨年の11月13日に亡くなられたAさんの文集を読み想いを巡らす機会があった。Aさんに最後にお会いした時、「5万年前」を題材に楽しく話したことを覚えている。ただ、もう長くは生きられないだろうとポツリと言われたことが寂しかった。
福祉とは何か、生きるとは何か・・・いろいろ背中で教えてくれたAさん、天国で忘れないで待っていてほしい。
再開のときは、啄木の詩のようによろこびたい。
長く長く忘れし友に
会ふごとき
よろこびをもて水の音聴く
(一握の砂 16/16)
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