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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

何でそんな職業に(驚く前に傾向を掴もう)!(自分との和解 3/10)

2011-01-12 | 第五章「和解と平和」

 私の将来の夢は、幼いころから考えると、結構変わってきている。最も変わったのは13歳から22歳のころと49歳から53歳ごろであるが、そうでなくても日々刻々と少しずつ何かが変わり、夢も知らず知らず変わっているのだろう。

 さて、昨日は、鶴見に出かけて、初めて太極拳の教室に参加した。とても楽しい一時であり、この経験がこれからの自分にとってとても大事なもののように思えてならない。幼いころに単純に体育が好きであったことが、紆余曲折の時間の流れの中で、この年になって初めて萌芽がでてきたのだろう。自分の中にある一つの傾向は、一度封印されたとしても、何かの拍子で湧きでてくるのかもしれない。

 太極拳の後、夕方、鶴見の総持寺に初めて訪れた。月と宵の明星が輝き、境内は静かで落ち着いていた。大黒様を参拝し、金剛力士像の力強いお姿を拝見してお寺を後にした。

 太極拳は、自分にとって何だろう。始めて体験することで、確実に何か知覚が変わっているようである。夕暮れ時の総持寺の磨き抜かれた廊下や様々な御像を見ていると。身体は疲れていたが、なにか気迫が溢れてきたようだった。太極拳を学びはじめるということもあるが、良質の太極拳を同時に広めることも決して不自然ではないように思えてきた。やはり、何かの流れがあるようだ。

 さて、青春時代に話を戻そう。小学生のころの、建築家になりたいという夢は、10年もしない間で、コンピュータ関係の仕事と変わってしまった。今考えると、父親の影響、従兄弟の影響などを受けつつもで、意外と無難な仕事(好きなこと)、身の丈にあったことを選んだように感じる。

 祖父や父が建築家ということもあり、中学生のころに買って読んだ、少年向けの建築の本。ワクワクして読んだが、何かピントこなかった(考えてみれば、施工の話が中心であり、実際に働いている父の姿と重ねてみてもピントこなかった)。その反対に、大学生の時に薦められて読んだ、アクショーノフの≪星の切符≫という小説、コンピュータに憧れたのは自然であったように思う。そして、後にコンピュータ会社にたまたま入社したのだが、その経過もいくつかの偶然が重なっていて神秘的ですらある。

 勿論、志望の建築学科の入試に失敗したり、それなりの挫折体験はあった。しかし、今思えば、青春時代は、職業を実際に経験しているわけでもなく、自分の能力が何に向いているのか本当に判るわけではないので悲観するほどのものではなかったかもしれない(自分の場合は少なくとも)。不思議な出来事、出会いのなかでゆっくりと仕事が現れてくるというのが実感かもしれない。

 U先生が、今日のブログに書いておられたが(同じようなテーマで大変恐縮)、自分の傾向による<好きこそ物の上手なれ>が重要なのだろう。それは、自分でしか判らない。

自分との和解 3/10

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