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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

石とたましいの関係を宗教学ではどう考えるのだろうか?(私とあなた ③ 9/10)

2014-10-05 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は、東京都埋蔵文化財センターの催し「縄文人の観た風景と祈りの場探索ーストーンサークルを見に田端遺跡に行こう!ー」を受講した。日本の大湯遺跡くらいしか知らなかった私であったが、日本だけでなくヨーロッパの事例を30近く紹介いただき、また、田端環状積石遺跡の現地での親切なご説明までいただき、E先生をはじめ大変感謝している。

ちょうど、ミルチャ・エリアーデの「豊穣と再生」の6章(聖なる石)を読んでいたところで、今まで何気なく見ていた、日常に溢れている墓石、道端のお地蔵さん、道祖神、・・・そして、この2-3年訪れた史跡ので観た石(遠野のドルメン、宮島の弥山など)など、日本の石文化への理解が一挙に進んだようだった。

    八王子市市内の様々な石や石像

丹沢山系が眺望できる、この最高峰の蛭ガ岳の頂上付近に冬至の日が沈む。それをちょうど見上げる位置が環状積石遺跡の場所で実によく考えられている

  田端遺跡は京王線、多摩境駅から5分。全国沢山あるストーンサークルの中で、交通の便が良い遺跡はないとのこと。

 結構大きな石で、石棒?立石?近くの境川では採れそうにないので、かなりの距離を大変な労力をかけて持ってきたようだ。 珍しい積石になっている。なお、これはレプリカであるが、発掘当初の3D計測を元に丁寧に再現されたとのことで馬鹿にできない。

 

今回訪問した田端遺跡については、以前このブログでも書いたこともあるので、敢えて書かないが、こうしたストーンサークルは中期以降のものではなく、縄文早期から存在し、当時の宗教や死者の埋葬などとも深く関わっているようだった。

この遺跡の解釈は、いろいろされているが、ちょっと離れて、先のミルチャ・エリアーデの本に興味ある記述があったので紹介したい。中央インドで葬礼の巨石というところだが、のドラヴィダ種族のゴント族の巨石建設についての次の八ットンの見解を好意的に引用している。

「このような葬礼のための巨石記念碑の目的を次の、ように考えている。すなわち、それが建てられるのは、死者の魂を「定着させ」、魂のために刈りの宿をつくってやることである。その宿りは、死者の魂を生者の近くに住ませることになり、それにより、魂がその霊的な性質によって付与されている力をもって、畑の地味に好影響を与えるようにし、他方、魂が徘徊したり、害を及ぼしたりするのを防止するようにする。…」(豊穣と再生 P103~104)

この見解にストーンサークルが当てはまるかどうかは学者の先生に任せたいと思うが、石と魂のふしぎな関係が日本でも少なくとも8000年以上からめんめんと引き継がれているようなのだ。因みにE先生の解説の中で、例えば輪廻転生のような死生観が縄文時代からあったということも興味深々だった。

 さて、こころの問題を思索する上での昨日の方程式 A=B(X+Y)についてたましいの話がでたついでに再考してみよう。

 A=B(X+Y) 

 A: ある特定の人そのもの

 B: ある人の魂(愛そのもので、死んだときに身体から離脱する生命体、宗教の対象)

 X: ある人の生育史(臨床心理学の対象)

 Y: ある人の身体(医学の対象)

 たましいはBに相当し、この定義はカトリック神学者のJ/ドージャの「神のめぐみとは」をもとに、考えられたそうだが、なかなか味がある。神学や哲学などで、こうした定義にたいする反論はあると思うが、心の健康や悔いのない人生を考えるにあたって、Bを愛そのものと考えないとうまく対処できないように思うが如何だろうか。そして、この式はお墓ではなく、実際の人間と向かい合う時に沢山のヒントを得ることができると思う。

 そして、日本人のたましい観も考えてみると、何処かこのBに似ているようにも思う。皆様はどう思われるだろうか?

私とあなた ③ 9/10

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