イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

私の好きな新宿で愛を考える!(異文化と愛 ② 2/10)

2014-10-17 | 第九章「愛」

 今日は、青春時代まで育った新宿区で「生き甲斐の心理学」の勉強会。そして、勉強会終了後に西新宿の熊野神社や昔通った十二社の池跡の三省堂ビル周辺にも行く予定だ。

 この写真は、昔の十二社の池あたりから都庁ビルを撮った写真。

 しかし、勤めていた時は全く関心が無かった新宿の歴史だったが、この十二社あたりは新宿定礎伝説に関わる場所だった。角筈(ツノハズ)なるシャーマン的な言葉も残る土地だ。新宿は室町時代の鈴木九郎が元祖で発展した町のようで、それまでは全くの原野のようだった。ただ、定礎伝説には縄文の香りが漂っている。十二社の池に住む大蛇とか、熊野神社そのものもそうだ。そして、勿論、この新宿には縄文遺跡も出てきている。

 有名なのは、百人町三丁目から出た、12,000年前の隆起線文系土器で新宿歴史博物館でほぼ当初のかたちに復元された土器を観ることができる。私の住んでいた新宿区坂町からも縄文土器が発掘されていたのはつい最近知ったことだ。

 熊野神社の祭神はスサノウとイザナミ。どちらも私見では縄文系の神様で、地母神を彷彿させる。あるいは、スサノウと弥生系日本人との戦争など、いろいろ妄想してしまう。

 しかし、オオゲツヒメ、イザナミ、ウケモチノカミ、カグツチ・・・日本の女神は一癖はあるものの、神話世界では無償の愛を演じる尊い神様だ。自分の愛の原形を考えたり、日本人の愛の原形を考える上で眼をつけるべきポイントかもしれない。

 さて、愛の原形といえば、今朝のマッサンは愛の原形の具体的な話があり、はっとした。エリーさんが作ったごはんにマッサンが何も言ってくれない。「おいしい」と言って、自分の愛の原形に触れてほしいとエリーさんは言っているようであった。

 U先生の「生き甲斐の心理学」には愛の孤独を感じている時に、具体的にここに触れてほしいということは大切と書かれているが、教科書どおりであった。日本は何も言わないことを美風とするところがあるが、愛の原形に関してはきちっと伝える必要があるのだと思う。

異文化と愛 ② 2/10

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愛の原形は人それぞれ!(異文化と愛 ② 1/10)

2014-10-17 | 第九章「愛」

 マッサンでは、エリーとのやりとりが国際結婚ということもあり、愛し愛されの流儀の違いから、ちょっとした誤解が生じる場面が結構でてくる。そこが面白いのだが、この愛し愛されの流儀の違いは、実は人それぞれ生育史によりかなり違っていて、誰でも当てはまるところがありそうだ。それを私が学んだのは「生き甲斐の心理学」で私の人生後半のことであったが、とても大切な智恵になっている。

 例えばハグする表現が愛の流儀である人(例えばエリー)が、微妙な言葉かけだけを愛の流儀とする人(例えばマッサン)の愛に気が付かないことは簡単に想像できる。本当は愛されているのに愛の孤独に陥る。自分なりに愛の表現をしているはずなのに伝わらないで自己嫌悪に陥ることも。これは、夫婦や恋人でも、親子や仕事での関係など、なんでも当てはまるように思う。孤独や自己嫌悪の前に、愛の流儀=愛の原型の違いが原因かな?と思い出せば随分楽になる。

 さて、今縄文語の学説を「縄文語の発見」(小泉保著)で勉強しているが、縄文語も、いろいろ方言がでてきたようだ。縄文時代は一万年くらい続き、その後弥生時代に入ると、北九州方面から中国語系語彙が流入し裏日本縄文語、九州縄文語、琉球縄文語、そして弥生語に別れていくようだ。勿論、縄文時代でも縄文土器が地域により違いがあるように、方言もきっとあっただろう。まあ、同じ日本の中でも言語でさえ微妙に違い、マッサンとエリーのように、愛の流儀も結構違い混乱したことも。

 多摩ニュータウンNo72遺跡では普通は地域の土器が見つかるのだが、東海や東北の土器もまれに見つかっていて、多摩の住人の外に、奥さんが東海や東北からやって来ていたかもしれないと類推されている。そして、そこで祖先も同じように苦労したかも。

異文化と愛 ② 1/10

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