イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

囚われずに大木のように生きたい!(異文化と愛 ② 4/10)

2014-10-21 | 第九章「愛」

 先日の四ツ谷勉強会(新宿で行われたが)で、長い歴史をもつ木(キ)という言葉を萬葉集で味わった。キという言葉は、各方言等から類推して、縄文時代古くまでキと発音していたようである。そして、木は日本人にとって聖なる何かであったのだろう。いや、それはもっと古く現世人類の歴史深く刻み込まれているのかもしれない。

 エリアーデは聖所を次のように説明する中で聖木について語っている。ちょっと長いが引用してみよう。(豊穣と再生 エリアーデ著作集2 せりか書房)

 「聖所」の概念に、聖木は不可欠である。石はすぐれて実在を表現していた。すなわちその金剛不壊と持続である。樹木はその周期的再生によって、秩序と生命の中にある聖なる力を表明していた。こうした風景が水によって完全なものとなったところでは、水は潜在的形質、胚種、浄化を意味していた。「小宇宙的風景」は時がたつにつれて、その構成要素の中の唯一つのもっとも重要な要素に、すなわち聖木または聖柱に還元されてしまう。木はついにそれだけで、表面は静的な形をとって、宇宙の「力」、その生命、その周期的再生能力を抱合した「宇宙」を表現するようになる。 (184P)

 ちょうど、縄文に興味を持ち、身近な縄文遺跡を覗いたり味わったりしているが、私の住む多摩も縄文時代は富士眉月弧文化圏で諏訪湖周辺と繋がっていたようだ。そして、御柱で有名な諏訪大社も何回か行ったが、木の神聖さをしみじみ味わえ感激した。そんな中、有名な大津皇子と石川郎女の有名な相聞歌を思い出したのだ。

  あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに (大津皇子)

  吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを (石川郎女)

 草壁皇子との三角関係とも言われる中での名歌であるが、萬葉集であしびきという言葉は、「足日木」と書かれている。勿論この枕詞の解釈はいろいろあり定まってもいないと思うが、私は木という当てた言葉に深い意味があるのではと思った。立ちつくす大津皇子のイメージに聖なる木を重ねると、実に深いものになるのではないだろうか。

 さて、今日の「マッサン」は優子さんのお見合いが主なテーマであったようだ。家とか・・・何となく環境からくる自己概念の中に自分を位置づけるのが、私も含めて普通の人のパターンであるが、それが偽りの自己というか不自然に自分を縛ってしまうことがよくある。そして、ヘンになっていくことも。

 そんな中、しめ縄が張られているような神木は、何にもとらわれず自由にのびのびしているように見える。自己概念に囚われヘンにならず、ありのままに生きる。愛そのものの魂がのびのび生きる。今日の優子さんの問題は縄文から続く問題なのかもしれない。

 

異文化と愛 ② 4/10

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