先日、ある地方都市に行き、その晩食事をしに行った。どこにでもあるチェーン店の居酒屋はそれなりに人が入っていたが、あとは寂しいシャッター通り化。しかたがないと、あきらめ始めていたとき、若い人が集団で入っていくレストランを見つけた。外見はパッとしないが中は満員。長年の動物的直観でその店に入った。
結果は、素晴らしいシェフの料理。このような場所でも生き残る店。実に不思議で幸せな晩であった。
シャッター通りではないが、人は苦難に遭遇すると、こころを病むプロセスに陥ってくる。教科書風に言うと。自力で解決不能な事にぶつかる(発病契機)。そして、時間がたつと環境に適応不能となり病んでいく(症状形成)。もちろん、解決不能と思われる事を、乗り越えて健康の生きる人もいるが(某レストランのように)、病み、神経症、精神病、人格障害に陥っていくことも多い。
昨日の私の24歳の例では、危うく神経症的になりそうであったが、環境がその後変わったことで事なきを得た。しかし、発病契機があれば、誰でも病む可能性はあるのだと思う。人間のこころは意外にもろい。
しかし、私は何度もいろいろな解決不可能と思えるようなことに遭遇したが、こころが病んでくるようなケースはこの例くらいだ。これはなぜか?逆に、病むようなケースはどうして生まれるのか?この辺りをいろいろ比較検討すると、自分の生育史、人格形成過程に関係があることがわかってくる。生き甲斐の心理学を学んでそのあたりがよくわかる。
フロイトやユング、エリクソン、ロジャース・・・いろいろなこの100年くらいの間に先達により研究が進んだ。その知識は、こころの健康にとても役に立つ。そして、自分の生育史をいろいろ検討していく中で、自分のへんな傾向を是正していくことも可能なようだ。
自分は不信感が強いか、疑惑感か、罪悪感か、劣等感か、自己混乱感か、孤立感か、停滞感か、絶望感か・・・エリクソンは教育の場でよく出てくるが、生育史を分析する上でもとても役に立つ。U先生に教えてもらったが、本当である。
人は何故悩むのだろうか? 5/10