先日、結婚式場の近くだったこともあり、久しぶりに東京大学の構内に入ってみた。大学生にまじり、受験生と思しき若者もや父兄と思える方も・・・。私も、かつての青春時代をいろいろ思ったりもした(東大は残念ながら?受験もしなかったが)。
さて、こころの健康を最近考えているのだが、自分がなぜ心の病にもならず生き抜いてきたかを考えている。25歳のころだが、ややこころの適応不能の状態で運よく転勤となった。単身で地方に・・・今まで親元で生物学的には不自由のない環境であったが、一人で衣食住を考えないといけない生活に。もちろん、会社勤めで経済的には保証されていたが、親元とは激変した環境。
U先生の「生き甲斐の心理学」テキストの適応不能の項目(107P)には、適応不能の状態での「食べていく」ことを如何に真剣に考えるか・・・その大切さが書かれている。ちょっと考えにくいところがあるが、暇とお金の余裕がある患者さんはかえって長期に病床に伏す傾向があるという。ハングリーに生物的に息抜く意志がこころの健康には逆に良い結果をもたらすことが多いようだ。
私の場合は、精神的に問題なとき、運よく環境の激変(地方転勤)があり、初めての仕事を覚えたり、衣食住にこころを配ったりする中、心の健康度は著しく改善したように思う。おまけに、小学校の時の友達の交通事故死の経験も、車の運転も仕事のうちなので行動療法的に運転をしているうちに改善されていったようだ。まあ、自然にたくましくなっていったようだ。
古今東西、「可愛い子には旅をさせよ」といった言葉が残されている。こころの健康の面でもいろいろ考えさせられる。
人は何故悩むのだろうか? 8/10