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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

もう一度、感情そのものに戻ってみる!(人は何故悩むのだろうか?10/10)

2015-12-19 | 第二章「五感と体感」

 書店のカウンセリングとか心理療法のコーナーに行くと、必ずフォーカシング関係の本が並んでいる。どうも日本人はフォーカシングがお好きのようである。フォーカシングは悩みを感情の視点から分析し解いていく技術のように、私は思っている。しかし、なぜ日本人と相性がよいのか?たぶん、それは1万年以上続いた縄文時代の影響ではないかと推察している。

 そうでないとの反論もあるが、縄文時代は中国の長江文化(黄河文明より前)と同様に文字を持たなかった文化のようだ。そして、文字を持たないことにより社会的には階層がフラットになり(平和)、また人間の持つ本来的な感受性が言葉を通して花開いたのではと感じている。一時的に発する言葉。それがそれを発する人の感情(魂の世界に通じるような真実の世界)と密接なことは言うまでもない。

 日本文化が縄文時代から、さらにハイブリッド化して文字を持つ文化と変化してきた8世紀。驚くべく4500首の歌集、万葉集が誕生する。そのほか懐風藻も誕生する。それを読むと、人間のもつ感受性とは何か・・・そんなことを深く考えさせてくれる。そして、日本がすでに1万年以上育んできた言の葉の文化に陶然としてしまう。

 さて、感受性豊かな人というと、何か傷つきやすい人・・・そんなイメージを持つ人が多いように思う。私もかつてはそういうイメージを持った。しかし、傷つきやすいことは自己否定的な価値観を内蔵し、本来の感受性とはちょっと違うように思う。感情は本来おのずと湧くものであり、それ自体の意味とは別のものである。意味は感情を持つ人によってなされ、その解釈は千差万別である。

 俳句は575の短い短詩である。和歌は57577ともう少し長い。俳句は外界に自分の感情を投影する芸術のように思う。そこには、ほとんど個人的な意味付けとか解釈を繰り広げる余地がない。一方和歌は、もう少しどろどろとした情念というか解釈が入りこむ。感情とその意味付け。そのあたりの違いを両者は表しているように思う。

 そして、感受性の豊かな人というと、何か和歌より俳句的かなと思う。

 しかし、世の中を生き抜くには感情・感受性だけではすまない。湧き上がる感情を巧みにキャッチする。それは第一歩であるが、次にそれをどう解釈していくか、そのあたりのノウハウも必要なのだろう。

 例えば、生命に対する危機。危機管理の問題がある。危ない・・・と感じることは貴重な第一歩だが、次は思考・行動の問題になっていく。手元に、少し前に話題になった都民に配布された「東京防災」の本がある。そして、U先生から教えてもらったスイスの「民間防衛」(原書房)の本がある。

 これを読むと危機というものに対する国民性というか文化がわかる。日本は自然災害がほとんど主役である。一方スイスは人災というか戦争が主役である。実に興味深い。今や日本も人災についても欧米型に近づきつつある(ある意味、超えている部分もあったりする)、よいか悪いかの問題は別にして、電車でいねむりは危ないかもしれない。と、思いつつも昨晩、帰宅するときの暖かい電車の居眠り気持ちがよかった。

人は何故悩むのだろうか? 10/10

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