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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

どのように心の橋をかけていくか?(愛の問題 3/10)

2016-03-02 | 第九章「愛」

 昨日行った腰越海岸。一昨年か腰越漁港のそばを流れる河の護岸工事のせいか、殆ど水鳥が姿が見えず、もう戻らないのかと思っていたが、汽水域に水鳥が戻ってきているようだった。なにやら温かい気持ちになった。

 一昨日の私と愛犬ノコちゃんの例ではないが、言葉も交わせない間柄は難しい。そして、桃太郎体操で簡単に橋が落とされたりもする。犬は最初の家畜だそうだが、人類がはじめて犬を家畜化に成功したとき。どのようなコミュニケーションが行われ、関係が育ってきたのだろうか。今日は何故か気になる。

 人との間でも、言葉が通じないとき(誰でも幼児のころがあるので、覚えていないが経験はあるはずだ)、どのように心を通わせるか、大変な問題だと思う。

 言葉の通じない部族間の交易の場合、沈黙貿易というものがあるらしい。お互いが知っている土地に、こちらから交易の品を黙って置く。すると、相手の部族がそれを見て、その品を引き取ったかわりに、交易の品をおいて帰る。それをこちらが引き取り沈黙貿易がなりたつ。

 このような貿易は、日本書記に記載されている阿部比羅夫が粛慎(あしはせ、オホーツク海の異民族)とコンタクトしたときに行われたそうだ。このことは「アイヌと縄文」(瀬川拓郎著 ちくま新書)で知ったのだが、この本は7世紀の朝鮮半島の動きはある程度は知っていた私だが、北の蝦夷や言葉も通じない異民族との関係に無知だった私の眼を開かせてくれた。比羅夫が向かい合っていた問題は、蝦夷と大和朝廷が一緒になって粛慎を北海道から追い出すことで、これは白村江では大敗したものの、外交的には成功したようだ。蝦夷と大和朝廷の関係は、どちらかというと内輪で、大和朝廷にとっては、縄文文化の祖先は内輪だったということにつながる。

 さて、話を戻そう(楽しい話題なのだが)。私の心の架け橋で忘れがたいことは、小学校の時の先生のことだ。恩人といってもよい先生なのだが、一週間くらいで分かれる事態になり、先生の名前すら覚えておらず残念である。

 その先生は、7歳の時にアラスカで暮らし始めた時、英語がまったく分からない私が初めて小学校に行ったときに出会った先生だ。言葉が分からないので、極端な例で申し訳ないが、ヘレンケラーが家庭教師に水を教えてもらったように、色紙を見せてコミュニケーションを図られた。そして、優しい眼差しを受けつつ、英語を知らないので日本語をしゃべることからコミュニケーションが始まった。

 心の橋を架けていくにはどうしたらよいか、いろいろあると思うが(生き甲斐の心理学で考えられる)、最大のポイントは相手の中に愛そのものの魂があると信じることではないだろうか。

愛の問題 3/10

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