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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

白鳳時代の大地震!(愛の問題 9/10)

2016-03-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日は3.11.大震災から5年経過した。写真はちょうど3.11のころに撮ったムスカリの花。今も我が家のベランダで咲き始めているが、今年は寒かったのかまだ独特の甘い香りはいまひとつだ。

 さて、頭のなかは白鳳時代・持統天皇なのだが、「歴史のなかの大地動乱」(保立道久著 岩波新書)を読んで気が付いたことがいくつか。ひとつは、白村江の戦いで新羅・唐に敗れ、筑紫に唐から2000人の部隊が派遣されるなどのなか、敗戦後の日本の水城づくりなどの対応。その功があったのかどうかわからないが、その後武力による介入はなかった。なぜなのか・・・直接の回答にはならないが、白村江の戦いのあとに、新羅慶州大地震で新羅が甚大な被害を受けたことがある。こうした自然災害の影響も政治に大きな影響を与えたのではと思う。

 白鳳時代の最大の地震といえば、684年の南海地震。マグニチュード8.25といわれ、日本は全国的に前代未聞の大被害を受けた。この影響は当時の政権にもいろいろな意味で影響を与えたのは当然だと思う。

 ちょうど、当時は天武天皇政権の末期であったが、直ぐに伊予の調を半分に減らすなどの対応がされた。心労もあっただろう大地震の2年後には天武天皇が病から崩御される。天武天皇のもがりも3年と念入りだ。難波京の火災、大津皇子の変など大政変も。不比等が頭角をあらわしてくるのも5年後ころ。持統天皇は、この危機の時代を前向きに生き抜いてきたようだ。

 大災害というストレスの極致のなか、それにどう対応していくか。ストレス曲線は生きる上でむしろ貴重という、生き甲斐の心理学の理論があるが、政治にもあてはまるかもしれない。

 そして、大震災から10年後。持統天皇は藤原京遷都をする。

春過ぎて・・・の有名な歌をつくるのも10年後くらいなのであろうか。

愛の問題 9/10

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