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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

斉明天皇のビジョンと琵琶湖 (ビジョン 6/10)

2016-04-08 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 天智天皇は、従来の飛鳥方面の倭京から、大津京に遷都するのだが、なぜ大津京なのかちょっとした謎があるようだ。白村江の戦いで唐.新羅に敗戦し、国防の危機に陥ったと感じた天智天皇が、水陸交通の要の大津京を戦略的拠点として選んだとされているが、私のように当時の東アジアの政治状況に疎いものには、ピンと来なかった。
 そんなことで、最近、いろいろ本を読むと、斉明天皇の時代は白村江で敗戦したものの、東北、北海道においては北方から北海道を支配しつつあったオホーツクの異民族を蝦夷と手を組んで奪還した戦いがあったことを知り驚いた。阿倍比羅夫は日本書紀に出てくるが、その意味など深く考えたことはなかった。琵琶湖、越の国、東北、北海道、こうした世界を意識しないと大津京の意味はよくわからない。そして、斉明天皇のビジョンを引き継いて天智天皇が大津京を造営し遷都する。しかし、時代は信じられないほど大きく変わっていく。

 その後、天智天皇は亡くなり、壬申の乱があり、天武天皇も亡くなり持統天皇の治世になる。持統天皇が上皇で文武天皇の699年に、斉明天皇の越智山陵と天智天皇の山科山陵が造営される。山科山陵は天武天皇、持統天皇の陵の真北、この線上には藤原京の大極殿もある。そして、西には斉明天皇。持統天皇は明らかに天智天皇と斉明天皇を強く意識していたようだ。ちなみに斉明天皇は祖母、天智天皇は父である。

 今日は、三井寺を訪れる予定だが、三井とは天智天皇、持統天皇、天武天皇の産湯に使った井戸との言い伝えがあるそうだ。三人の天皇のビジョンは、恐らく微妙に違っていたのだと思うが、それでも何か一致しているところがあるようにも。

ビジョン 6/10

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