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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

現実的な計画にまとめる力!(言語化 4/10)

2016-04-18 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 言葉の凄さは確かにあると思うが、現実的にビジョンを言語化し計画化するには、やはり現実に生きているコミュニティーや文化のことを熟慮する必要があるようだ。何かを始めようとするときは、他者と相談したり周りのことに思いを巡らしたほうが良い結果を生むことが多い。生き甲斐の心理学では現実吟味力と呼んでいるものである。

 ロジャースも指摘しているが、人の経験には二通りある。自分で五感・体感をもって直接経験したもの。それから、家族の文化、地方の文化などで常識となっているような間接的に経験したこと。後者は間接的にもかかわらず、あたかも直接的経験と同じように自分の中に根付く特長もある。そして、その二つの経験を踏まえて言語化や計画化がすすめられることが多い。

 この二つの経験。その卑近な例として、九州地震で川内原発の停止すべきか否かという問題を考えてみよう。私などは東日本大地震の経験者であり被災者である(東京に住んでいたので広い意味で)。そして4年後の現在、いろいろな情報を検討すると東日本大震災での福島原発の崩壊は実に危機的で、場合によれば東京に住んでいた私も退去しなければならない事態も実にあったかもしれない。身震いするほどである。

 福島原発のメルトダウンの時に放射能を含む雨の都心を歩いたときの体感・・・そんな経験からすると、熊本の近くの川内原発にも活断層が走っているそうで恐ろしい、止めてほしいと感じてしまう。

 一方、今でも大きな影響のある日米協定などの現実から、ある立場の人が川内原発運転を容認しようというスタンスも分らないでもない。

 こんな二つの経験のなかで、どう現実吟味力を発揮し、うまく言語化し行動につなげていくか・・・これは、政権トップの現実吟味力に負うところがあると思うが、私たち自身の問題でもある。現代人のこうした危機のイメージ。鬼界カルデラの爆発を前に危機に瀕した西日本の縄文時代の祖先の危機のイメージ。やはり現実吟味力の問題は今も昔も同じだと思う(生き残るために)。

 原発は大きな問題で誰もが関係ある問題だが、こうした直接的経験と間接的経験の戦いは、日々いたるところに発生している。家庭や職場いろいろ。二つの経験を理解することで・・・まあ、うまくやりましょう。

言語化 4/10

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