今朝急に悟った(妄想した?)のだが、人はビジョンを描き行動に移すために意識化・言語化をするのだが、それはリズムを持った詩歌のような言語化ではないか・・・。それは、無味乾燥な事業計画書ではないと。
私たちの祖先は、数万年の歴史を持つ日本語で言語化の歴史を刻んできたと思うが、文字として記録に残されているものでは、残念ながら1300年前ごろの万葉集等が最古になりそうだ。特定の個人が記した万葉集を読むと、いろいろなことが脳裏をよぎる。特に、万葉集に登場する人物は、日本書紀等で生涯の記録がある程度残っていることが多いようだ。
そして、卑弥呼の詩歌は残っていないが、7世紀の大政治家でもある持統天皇の歌は残っている。持統天皇の言葉が詩歌でしか残っていないということも凄い。例えば、有名な・・・
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
この歌は、藤原京を作り、そこから天の香久山を望んでいる持統天皇を想像してしまうのだが、天武天皇なきあと本当にご自分のビジョンを抱きつつ、それをリズムを持ったイキイキとした言葉で言語化しているようだ。57577のリズムは爽やかで心地よい。私は、これは縄文時代からの伝統的なリズムだと妄想しているが、このリズムとは何であろうか?
先日紹介した、オクタピオ・パスの「弓と竪琴」によると、リズムは次それのように考えるらしい。
「リズムとはただ単に空疎な拍というだけではなく、ひとつの方向であり、意味なのである。リズムは拍ではなく、本源的時間である。」 (弓と竪琴 岩波文庫92P)
持統天皇は天武天皇の影響もあり易と五行の影響も強かったと思われているが、この歌は私には大津京の天智天皇が抱いていた思想をビジョン化し、さらに律令政治の完成への行動化のための言語化のように思えてならない。歌の解釈は人それぞれであるが、驚くべきほど多くの現代人に愛されているのも不思議だ。言語化の神秘とでもいえるのだろう。
リズムを持った詩歌に代表される言語で言語化する意味。それはロジャースの人格形成理論4の、人の個性についての達見、傾向と渇望という何かリズムそのもののようなものと結びつくのかもしれない。
言語化 9/10