イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

玉虫色の生命体!

2009-06-17 | 第八章「魂と聖霊」

  男と女から子供はできるが、神話の世界では、そうでない場合もいろいろあるようである。例えば日本神話のアマテラス、スサノウ、ツキヨミは男の神イザナキから生まれ、ギリシャ神話のアテナもゼウスから生まれる。そして、中には親が居ない独身の神様もふっと登場する。

 へえ~という感じであるが、良く考えてみれば、様々な生物の生殖方法は、男女(オス・メス)が無くても可能なケースも多い。生命は人間やチンパンジーなどの動物もいるが、昆虫や植物もいる。そして地球上のすべての生命は驚くなかれ、すべて2重らせんのDNA構造が共通である。

 神話の作者は、そうした多様な生命の森羅万象を良く理解していたのかもしれない。そして、偏った倫理道徳を振りかざすことをせず、淡々と物語っている。

 男女、親子という白黒明確な関係も良いが、時に、玉虫色の生命のありようを考えることも大切な気がする。そして、そうした視点をもつことで、硬直化した関係を見直すと、新たな気づきがあるかもしれない。

<親子 4/4>

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グレート・マザー!

2009-06-16 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、ついに孫が誕生し、慌ただしく一日が過ぎ去った。2-3日落ち着かない日々であったがやっと落ち着ける(心配は減っても、変に今でも落ち着かないが)。

 さて、最近ユングのグレートマザーのことを考えている。U先生やTERESAさんがグレートマザーについてブログや会報に卓見を書かれており、実に為になったこともある。

 また、7月10日からのU先生の勉強会の準備で、日本神話を勉強していたが、イザナミのことが頭の中で一杯になってきている。

 ちょっと、考えてみればイザナミはイザナキと結婚をし、子供を産むが、世界の神話に比類がない大きな子供を産む。大八島なる日本列島(本州、四国など)まで産んでしまう、文字通り、グレートマザーである。そして、火の神ヒノカグツチを産んで亡くなり、冥界に旅立つ。冥界に追ってきた、イザナキとの物語は、「生き甲斐の心理学」を学んでいる私にとって、興味が尽きない。イザナミとイザナキの心理はどうか、興味深々である。

 ユングのグレート・マザーについて想いを深める、良いきっかけになったようである。

 私は男であるので、良く分からないが、自分の中に子供がいるという体感。あるいは、出産の体感。幼い子供を育てるという五感・体感。母の体感や知覚は、自他混合というか、不思議なものなのだろう。

 こころの世界では、女だけでなく男も含め、防衛機制として、摂取、同一化、感情転移、投影などがあるが、そういう機制と母性は、どう関係しているのか。

 時に母・母性とは何であるか、変に深刻にならず、日本神話を読みながら考えてみることは、人生を変に暗くしないためにも、大切なことのようだ。今日も楽しみたい。

<親子 3/4>

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父と息子の微妙な関係!

2009-06-14 | 第八章「魂と聖霊」

 父と息子の関係は、古今東西で様々に描かれている。父と息子に関する沢山の名作もある。ギリシャ神話や日本神話でも父と子の話はいろいろ出てくる。最近はギリシャ神話を読みながら、子供を次々飲み込むクロノスをだまし、助かってあとでクロノスに仕返しをするゼウスに、いろいろ考えさせられた。

 私の父は、18年前に亡くなったが、やはり父の影響は自分の一生を左右するほど大きかったと思う。

 父が亡くなってから、生き甲斐の心理学も勉強したこともあるが、父に関する新たな気づきが沢山あった。父が生きている時は、気付きにくいことというのもあるようだ。親ごころでいろいろしてくれたことに、もっと素直に感謝すればよかったと思うことも。

 また、こころの防衛機制のひとつか、特に青春時代は父と同じようになりたいという深層のこころの流れや変な反発もあり、今から考えると人生の選択でいくつか誤ったかなと思えることもある。その時は見えず、今になって見えることもある。

 五感で体感した真善美を大切にすることは、悔いのない人生を歩むために重要だと思う。より統合された思考・感情・行動は、より良い気づきを導き、悔いのない人生に導くと思う。このことは、父と息子の関係の中でもきっと当てはまるのだろう。

 写真は、銀座の一角。父は建築会社に勤めていたので、こんな都会の風景を見るとなにか、父を感じる。

<親子 2/4>

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親子!

2009-06-13 | 第八章「魂と聖霊」

 先日、世田谷美術館で「日本の自画像」という写真の展示会に行った。時間が余りなかったので、じっくり見られなかったものの、ハッとする印象の写真が何枚もあった。

 主に1950年台ころの写真で、幼い頃の様々な場面を思い出したりした。

 感動した写真の中で、長野重一氏の「戦死した息子の遺影と巡礼する老夫婦」という題の写真があった。息子さんを亡くし、供養の為の、四国での巡礼の旅(お遍路というのでしょうか)なのであろうか。母は遺影を抱き、父は息子のお骨を首に掛けている。

 胸が熱くなった。

 さて、私は、祖父母と、父方の曽祖母は知っているが、それより昔の祖先達のことを殆ど知らない。最近DNAでいろいろなことが判ってきたので、父方の系譜や母方の系譜など、自分が死ぬまでに、もう少し判るかもしれないが、個々の個人史までは恐らく辿ることは絶望的であろう。

 日本に現世人類が辿りついたのを40000年前と仮定すると、私が日本人としての祖先は1600世代位ある。その祖先達の一人が掛けても自分が誕生できなかったということ。そして、今より多くの生きる上での危険性を考えると、呆然とする。いろいろな祖先があったとしても、親は子を、熱く愛してきたのだろう。

 勿論、宇宙は137億年という歴史があるので、自分が今生きているということは、確率論で考えても、本当に稀有なことであるに違いない。

 老夫婦の子供への祈り。同じような祈りが私という存在を果てしない世代を通して、繰り返されたのだろう。

<親子 1/4>

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ひとりぼっちではない!

2009-06-12 | 第八章「魂と聖霊」

  娘が臨月を迎え、出産準備に大わらわである。少子化の今の世の中、死亡通知を受ける機会は多いが、誕生の連絡は少ない。何となく落ち着かない。

 サラリーマンを辞めたこともあり、娘に付き合って車で産婦人科にいったりしているが、人の生について考えさせられる。

 また、ちょうど、生き甲斐の心理学の勉強に関連して日本神話の勉強をしているが、神々の誕生の話が、とても身近に感じられる。

 さて、質問であるが、古事記や日本書紀に宇宙創成期に、一番はじめに登場する神様はどなたでしょう?イザナミ・イザナギ、アマテラスオオミカミ・・・  違います。

 御存じの方も多いと思いますが、答えは、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)です。この神様は、とても重要な神様のようですが、古事記の冒頭に出てくるだけで、その後の話が記載のない、不思議な神様です。近世になって、北極星と習合して妙見菩薩になったという話もあり、興味がわくところであるが。

 さて、良く考えると、最初の神様はとにかく、次の神様以降は、この世に何か存在する訳で、生まれて来たときは、ひとりぼっちではない。神様もそうであるから、現代の子供達も、出産時には、当然誰かが居る。

 この世に生まれた時に、自分以外に誰もいない・・・これは本当に怖い話であるが、少なくとも、世界の神話では、自分が誕生するとき(今の時代)に自分以外に誰かいるのがあたりまえである(神様も当然存在する)。

 We are not alone. というメッセージで有名な映画もあるが、私たちが生まれた時も、きっと誰かがいる。そして、その誰かの中には、愛そのものの存在があるかもしれない。

 この世の中に、愛そのものの存在がある。そう信じてみると、いろいろなことが見えてくる。この章では、日々の困難(場合により危機も)の中で生き抜く私たちの存在を考えてみたい。

 現代よりも、もっと過酷な時代もあっただろう古代。私たちの祖先は、愛そのものの存在を信じていたのだろうか?(私はそう思うが)

<総論 1/1>

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