イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

月蝕を楽しみながら、古代の政治と世話を想う!(中年の危機と世話 10/10)

2011-12-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨晩は仕事で家に11時ごろ着いてから、月蝕を楽しんだ。ちょうどベランダの真上に見え、近くには冬の星座オリオン座。本当にきれいだった。

 11時過ぎの月蝕は実に神秘的。月蝕でつきの形も見えなくなるかと思っていたが、赤っぽく見え、なんとも美しい。私たちは、こうした宇宙の中に生きているのだなと実感できた。

 さて、私は古代史にも興味があるので、さっそく後で日本の月蝕に記録を調べた。

 最初の記載(実際に月蝕があったかは計算できるらしい)はどうも、日本書記の天武天皇の時のようだ。その個所を読んでみると、なんと天武9年11月16日だそうだ。前後を調べると、持統天皇が病気になり、天武天皇が薬師寺の建立をお早目になり、100名の僧を得度させたところ、病が平癒されたとのこと。

 月蝕の後には、3皇子(草壁、大津、高市?)を恵妙僧の弔問にお遣わしたとの記載もある。月蝕はどういう意味をもっていたのだろうか。

 昨日見たような月蝕を当時の為政者も見ていたのだと思う。なんとも不思議な感じである。

 天武天皇も持統天皇も当時の複雑な日本の創世記に努力されたスーパーな政治家である。考えてみれば、政治はダーティな側面もあるものの、見方を変えれば究極的な世話の世界でもある。ダーティな世界の中、彼らは、しっかりと生き抜くが、その背景にはエリクソンが言うところの世話が、自然な形であり、それゆえに生き抜くことができたのかもしれない。

 日本の現代の政治も、世話を柱に、健全な政治家ががんばってほしいものだ。過去には立派な政治家が存在したので、可能だとは思うが。

 中年の危機と世話 10/10

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<生き甲斐の心理学>を≪世話≫に役立てる!(中年の危機と世話 9/10)

2011-12-10 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 自分の人生を振り返ったときに、やはり気になるのは身近な友人や知人が不幸な死にかたをした時である。

 幼友達であったTさんも、そんな一人だ。ちょうど私が関西にいたころ、自殺されてしまった。幼いころは一緒に毎日遊んだが、それから先は余り共通点がなく、近くに住んでいて、ときどき見かけたりすることはあっても、生活が違って話したりすることもなかった。ただ、亡くなって、その状況をあとで知人から聴いて愕然とした。

 死生観とか人間観、いろいろあるが、やはり、わたしは奇跡のように今いることの重みを大切にしたい。そして、悲劇を生まないためにも心の知識はとても大切だと思う。心の知識を生きた知識として死ぬまで磨き身につける。それだけ労力に報いる価値はあると思う。

 生き甲斐の心理学と出会ったのは、本当に偶然であったが、その知識ゆえにどれだけ救われたり役立ったかは言い尽くしがたい。生き甲斐の心理学はU先生がまとめられたものであるが、U先生がシカゴ大学、オックスフォード大学(LICOXONの資格を得られた)で学ばれたエキス、世界の勉強会や臨床経験、日本での大学等での経験が146ページのテキストに詰め込まれている。

 たとえば、身近な人が心の病になるとき、なぜこんな風になってしまったのだろうか?という問いが生まれるが、次のように答えてくれる。

 (1)人それぞれが持つ<理想>と<現実>のギャップから悩みが生まれます。

 (2)その人の遺伝、老化、環境、

 (3)自律神経、免疫、内分泌

 上記の3つの組み合わせいかんで:

 1.正常

 2.神経症

 3.精神病

 4.人格障害

 の4つに診断されます。 (122ページ)

 シンプルな回答であるが、この知識あるか否かで、ずいぶん世話の仕方が変わるように思う(医療等へのネットワークも含め)。これは、一例であるが、こうした知識は何があるか判らない世間ではとても役にたつ。こうした知識を皆しっかり学べばどれだけ世の中が良くなるだろう。日々の精神的なストレス、人間関係・・・そういったものに対処するときに知っているか否かは決定的に違う。

 とはいえ、心理学の知識は、実際に勉強会等で学ばないとなかなか身に付かない。しかも、安心して参加できる心理学の勉強会かどうかは、賭けのようなところがあり、参加に二の足を踏まれる方も多いようだ。

 今回、八王子市生涯学習センターで私の所属するNPOの理事代表 植村高雄先生が<目標達成の心理学>を来月1月21日に講演される。是非応募されたらと思う。

 中年の危機と世話 9/10

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たおれたままでいるのがお得意?(中年の危機と世話 8/10)

2011-12-09 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、NPOの仕事で印刷作業をしたりしたあと、都心に出かけ本屋さんに立ち寄った。内田樹氏の≪呪いの時代≫を薦める方がいて、ちょっとどんなものか見たかったこともある。その目的は達成できたが、その時に目に入った本があった。

 ≪絶望名人カフカの人生論≫ (飛鳥新書 フランツ・カフカ 頭木弘樹翻訳)

 その中の一節・・・

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来にむかってつまずくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

 この一節を読んで、思わず衝動買いしてしまった。実は、わたしにとってのカフカは次のようなところで接点があるのだ。自分の成育史の中で大学3年のとき、大学紛争も終結の方向であったし、自分の勉強や興味範囲も定まりつつあった。ただ、なにか中途半端でネガティブな気分がいっぱいで、自然とカフカの小説をたくさん読んだのだ。

 時にはカフカの演劇も見に行った記憶がある。その延長線上に、以前述べたが友達を誘っての工学部学生中心のはじめての小説文集の作成があった。

 私も、気合いをいれてその小説を書いた。カフカに凝っていたので当然未完の小説であった。そして、書いたあと卒論を書き、サラリーマンとなった。サラリーマンになってからは今にいたるまで、カフカをまじめに読み返したことはなかった。

 ただ、私のその小説は、心理療法や生き甲斐の心理学を勉強しつつ読むと、不思議に成育史上の問題が隠れているようで、ある日、自分の最大の謎を解決できたのも、その小説がヒントであった。30年くらい前の自分への呪いの言葉。それが、どうも6歳の時の出来事と関連していたことを発見したからだ。無意識の表現とカフカの小説はどのようにかかわっているのだろう。

 カフカは小説家になりたいのに、完結した小説が殆どない。しかも、亡くなるときに焼却してほしいとのメッセージがあったという。ハプスブルグ家からの官僚組織で朝から、午後2時ごろまで働き、そのあとに小説を書いていたという。何か今の時代を先取りしているような生き方かもしれない。

 ≪生き甲斐の心理学≫では、ネガティブな感情をとても大切にする。底の浅いポジティブ志向ではなく、その中から真実の何かが表れてくることが多いからだ。

 今日は勉強会、カフカをとりあげようかな?カフカを心理療法に使うという事例はあるのだろうか?

中年の危機と世話 8/10

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介護のお仕事と≪世話≫!(中年の危機と世話 7/10)

2011-12-08 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

  会社を8年前に辞めてから、≪生き甲斐の心理学≫というこころの学問を応用しようと、一時グループリビング立ち上げの仕事をしようと修行をはじめた。実際にフルで介護・福祉の仕事をしたのは二年程度で残り二年はパートタイマー的な仕事をし続けた。

  その中でバリバリの障がい者の当事者団体のNPOで働いたり、有料老人ホームで認知症の方のケアを行うなど、さまざまな経験をさせていただいた。

  素晴らしい人との出会いもあり、一時はずっと働きたかったが、途中で今の≪生き甲斐の心理学≫普及の道に的を絞ったため、残念ながらボランティアを除き、福祉・介護の仕事を辞めざるを得なかった。

  ただ、4年たって不思議なことに、今度は自分の問題として介護を考えざるを得ないようになってきた。

  最近同年齢の人とも話すが、やはり両親の介護などの話題が多い。どうも、私だけでなく多くの日本人の問題だとつくづく思う。

  ただ、受け止め方が結構人によって違うようだ。介護や介助を果てしなく暗い苦役と考える人がいる一方、一時的な通過儀礼のように考えていて楽観的な人もいる(大変は大変でも明るい)。私は、後者のほうだが、このあたりの受け止め方は心理学的に考えるとどうなのだろうか。

 自分の場合は、カトリックの死生観に負うところだと思う。ただ、恐らく他の伝統宗教等でも共通のところがある(比較宗教学をベースにした心理学の研究で、信じて見える世界と見えない世界の研究がある。神仏を信じる人は、どうも基本的にどんな場合でも楽観的なようだ)。

 人間は自分を含め極めて弱いと思う。ある日、身体にハンディキャップを背負ったり、精神を病んだり、そういうことは世の中に満ち溢いて、いつ自分の身に降りかかってきてもおかしくないと思う。

 その中で、身の丈にあった、介護をしたり、時にはされたり。これは、本質的に決してネガティブなことではない。なぜなら、この世ですべては終るのではなくあの世の存在(天国・・・めでたいかな?)を信じているからである(もちろん、あの世を信じないというスタンスがあることを知ってはいる。ただ、あの世については、残念ながら科学等も含め、真理は誰も解明されていない。)

 エリクソンではないが、世話をすることによって得られる精神的な平安は大きい(停滞感など、何処かに飛ぶような)。上から目線の話では決してなく、世話することで、人はどこからか世話されるようだ(信じて見える世界かもしれない)。

 先日は、奈良で新薬師寺に行ったが、日本の福祉の原点のような光明皇后のやさしさをほうふつするような薬師如来が鎮座していた。古代から日本人の中にも脈々として≪世話≫の伝統が流れているようだ。

中年の危機と世話 7/10

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自信喪失のときに自信を持てと言われてもね!(中年の危機と世話 6/10)

2011-12-07 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 中年とは限らないが、大きな失敗や挫折でボロボロになることがある。思いだしても高校から浪人時代、中年のある時期などかなり辛い自信喪失の時期があった。

 ただ、後で考えると、そういう時期は自分にとって宝のような意義深い時期ではないかと思う。なぜ、そんな時期を生き延びることができたか。なぜ、悪いほうにどんどん流れたのか。

 想像を絶する神仏との出会いも、自信のない時期に多いらしい。私の身に起こったことも驚きであるが、意外とポピュラーな現象のようだ(心理学者のW.ジェイムズの「宗教的経験の諸相」(岩波文庫)や、有名人・小林秀雄、東山魁夷の自伝なども参考になる。周りの人も親しくなると、そういった経験を語ってくれるかもしれない)。

 今日は、そのうち自信を無くし、それが自己混乱感となり、どんどん悪い方向に向かっていったことを心理的に考えてみたい。

 やはり、悪いほうに流れるのは、自分の意識できない傾向が遠因のように思う。エリクソンの人格形成理論が役立つが、私の場合は、6歳のころの友人の交通事故死体験からくる、病的な感情の抑圧(罪悪感)が大きかったのではと思う。幼いころの幼い解釈が変な抑圧につながったようだ。そして、それに気づけば人生はずいぶん楽になる。再度、困難なことに遭遇しても、恐らく耐性が高まって、負のスパイラルに入りにくくなるだろう。

 カウンセリングや心理療法を受けて、そういう発見をすることもあると思うが、私の場合は欧米で学び、国内でもたくさんの臨床経験を積んだU先生に本格的に学んだことが大きい(学友にも沢山学ばせていただいてもいる)。「生き甲斐の心理学」は、そのエッセンスであり、勉強会で長く学んでいく(数年、10年・・・)とこうした発見をいろいろする。

 自信を持てば良いと判っていても、意識された世界の外に無意識の世界もある。簡単ではない。そういった悩みを持つ方の解決の一助に「生き甲斐の心理学」の学びがあると思う。

中年の危機と世話 6/10

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