イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

有為の奥山今日越えて!(旅と真善美③ 2/10)

2013-09-20 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 いろはにほへと・・・ いろは歌は、なかなか味のある歌なのである。調べてみると、元はお経のようで、次の意味である。なかなか本来の意味がわからなかったが、Wikipediaに次の意訳が紹介してあった。「諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある。」

 そして、この歌のポイントは、「有為の奥山今日越えて」であり、ある日、人生が全く変わってしまう。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず (中学教科書) 
     匂いたつような色の花も散ってしまう。
    この世で誰が不変でいられよう。
    いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい

  さて、この話を知って、私は自分の青春時代を思った。高校生、大学生を経て1976年に学生時代の友達と文集を作った。その時始めて(恐らく最後)の短編小説を書いた。今読むと、青春時代の夢や理想、そして挫折が書かれているなと思う。青春時代の理想や夢は、一見美しいものである。ただ、生き甲斐の心理学の学徒ではおなじみの、理想と現実のギャップはストレス曲線(ネガティブな感情)という理論どうり、理想が不健全というか無理があると、それゆえに時には人生を長期にわたり不健全にする。

 当時は、その小説で自分の理想を点検したつもりになっていたが、どうも沢山、その理想を持ちつつ、かなり長期間人生を歩んだようだ。

 この理想は今でもうまく言語化できないが、やはり有為の奥山今日超えてというような体験をしたのが印象的だ。中年のある日にカトリック教会での出来事だった。そして、その体験で、ありのままの自分を受容したと思う。逆に言えば、何か無理のある私の中の理想が消失したのだろう。大学時代の日記や作文など、今では殆ど亡くなってしまったが、唯一残った私の先の短編小説を今読むと、青春時代の不自然な理想(無意識的)が消失している。

 普通は、青春時代を懐かしみ、当時の夢や理想を再検討することなどないと思うが(私も生き甲斐の心理学に出会わなかったら、再検討することもなかっただろう)、夢や理想は時に人生を味気なくしたり、破壊することすらあることをちょっと覚えているべきだろう。

 なお、この文は「仏教・キリスト教 死に方・生き方」(PHP文庫 玄侑宗久/鈴木秀子著)で大きなヒントを得ました。感謝します。

 旅と真善美③ 2/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


コトダマの本質は球?(旅と真善美③ 1/10)

2013-09-19 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 ノーベル賞受賞者の南米の詩人、オクタピオ・パスによると、散文は直線なのに対し詩は円または球に例えられるのだそうだ。

 この考えを「弓と竪琴」の中で見出した時はハッとした。日本でも、歌とか俳句のような詩のイメージが強いが、言霊という言葉がある。霊的なものが言語に宿るというような不思議な意味あいがあるが、タマという言葉は、球とか円とか完結した世界がイメージされるのだ。何か、さきのオクタピオ・パスの考えに近いのかなと思う。

 私は、若い頃は理工科系で数学や創造工学に興味を持っていた。その創造理論の中に、湯川秀樹氏と良く対談をされた市川亀久弥氏という創造工学の専門家がいらした。等価変換理論というもので、現在でも、その理論はいろいろな分野に応用されている。生き甲斐の心理学の理論も、「体験の解釈が世界を変える」というストレス曲線を幸福曲線にする重要な考え方があるが、私は密かにこの等価変換理論と同じロジックなのかなと思ってしまう。

 それはそうと。等価変換理論を少しご説明しよう。例えば、自然界の中には完全変態をする生物がいる。青虫がアゲハ蝶が変わるのが一例だろう。そして、あの気持ち悪い青虫が空を軽やかに飛ぶアゲハ蝶になるとは、なかなか信じられないものだ。青虫は蛹になる。そして、青虫を構成していた要素はアミノ酸レベルにまで分解し、アゲハ蝶に再構成される。そして、生命体のふたつの相は何か本質的な言霊的なものでつながっていくようなのだ。例えば、子孫繁栄のために・・・と表現されるように。

 同じようなことは、様々な発明の中にもある。真空管は初めはフィラメントとその熱を遮断する真空技術で作られた。人から聴いた話なのだが、その真空技術を使って家庭で使われる魔法瓶ができたそうだ。このふたつの相は、言霊的に言うと。熱を遮断する真空技術・・・である。

 ふたつの相が何か本質的なものでつながる。そういえば、人間が亡くなる時に何gか体重が減る現象を研究している方がいるそうである。人間が魂という本質を残し、何gかの相対性原理でいえば、膨大なエネルギーで変換していくのではないか・・・それを研究しているようだ。こんな魂の科学的研究があることに驚くが、研究成果はどんなものなのだろうか。

 今日は、脈絡もなく、言葉や魂について記してしまったが、今晩は中秋の名月。月も円であり球である。

 旅と真善美③ 1/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


自分の、愛の原型コレクション!(旅と真善美② 10/10)

2013-09-18 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 人は生育史を歩む過程で、独自の愛の原型が形成されるという。そして、それは、その人の愛の感じ方の源泉になり、様々な人生の場面に影響を与えるという。例えば、昨日の、幼い頃に家族で庭先で見た満月と団欒。それは、私の愛の原型の一つだろう。

 そして、愛の原型が満たされていれば問題がないが、そうでないと愛の孤独を感じ、時には満たされないために心因性病理に陥るとも言われている(意外に愛の原型が凶器になったり)。それゆえ、生き甲斐の問題を考えたり、心の健康を考えたりする上では、愛の原型について自問自答することは意外に大切なようだ。

 このブログでも繰り返し述べているが、他者は判りにくい。まずは、自分の愛の原型をいろいろ思い浮かべ、あれが自分の愛の原型かな?これが、そうかな?そんなふうに過去の楽しい思い出を散歩することが大切だと思う。

 さらに、人は時間とともに変わっていくことを意識し、時々愛の原型を見直していると、自分の愛の原型に変化があることに気付く。ある出来事や経験も、視点が変わることで全く別のものに見えてくる。先の庭先の満月も。数十年前は単なる昔の思い出に過ぎなかったが、今は祖母の愛とか、祖先の愛とか、月の暖かさを感じてしまう。

 この生き甲斐の心理学の勉強を始めた頃、これが愛の原型だと思ったことも、十年以上経つと随分変わった。これしかない!と思っていた場面が、ちょっと変なところもあったな(Aさんの打算に過ぎなかったところもあるので、ちょっと価値が・・・)とか。逆に庭先の月のように、祖母の愛が伝わるようになってコレクションの上位にくることも。

 好きだった人も、当時はちょっと嫌いだったかなと思える人も、今健在な方も、もう亡くなってしまった方も、愛の原型のコレクションの中でイキイキと登場する・・・

 愛の原型コレクション。時々思索することにより、散歩?を楽しむことにより、愛の原型のコレクションは豊かになり、日々の感情生活も豊かになるようだ。

 旅と真善美② 10/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


台風一過の月夜に感動!(旅と真善美② 9/10)

2013-09-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は午前中はひどい台風であったが、午後になると次第に晴れてきて、夜には月が! しばらく見ていなかったので感動。

 最近タブレットでGoogle skyマップをダウンロードしたものの、調整がうまくできず困っていたが、昨晩は綺麗に調整でき、現実の月とタブレットで確認しつつ夜空を楽しむことができた。月のそばに冥王星や海王星があるらしかったが、残念ながらよくわからなかった。

 今は夜空が明るくなりすぎ、また、わたしなどは近眼・老眼で視力が減退しているが、昔の人は随分クリアに夜空を眺めていたらしい。写真機でとった写真で、月の詳細を確認できるが、古代人は、微妙な光の具合を読み取り、遠くの世界を想像以上にリアルに見据えていたかもしれない。

 月に関する神話についても、最近縄文土器の文様から読み取れるようで、八ヶ岳縄文文化再現(田枝幹宏著 とんぼの本)から沢山学んだ。

 どうも日本だけでなく、遠く中国などでも同じような神話があったようだが、例えば月の兎は有名だが、ヒキガエルも登場する。何故ヒキガエルかだが、月のでこぼこのクレーターが目の良い古代人には分かり、それがヒキガエルを類推させたという説があるようだ。このヒキガエルは兎と反対に暗いがわの月に住み、ちょうど陽と陰の関係だ。そして、そこから不老不死の伝説が生まれたりしたのだろう。

 古代人が、月に関心が高く神話も豊かなのは、直接生活につながっていたからだろう。夜のあかりもあるが、縄文時代には定住し雑穀栽培が最近は定説となっている。さらに中国の長江文化は水稲文化が一万年前以上からあったとされている。月の満ち欠けは暦そのもので、農耕生活には無くてはならないのだから、太陰暦はひょっとすると、一万年以上の歴史があるかもしれない。

 さて、月をみていると何か落ち着く。幼い頃、家族で庭先で月を眺めた愛の原型と重なるのかもしれない。

 私たちの祖先も、同じように月にあたたかいものを感じ、死と再生の物語を楽しんだのかもしれない。

 旅と真善美② 9/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 

 


リズムと旅!(旅と真善美② 8/10)

2013-09-15 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 旅を研究していると、リズムの問題が不思議に出てくる。立花隆氏の思索紀行で印象的だったのは、アラビア語のことであった。氏によるとアラビア語は世界共通の文語(コーランに代表される)があり、地域ごとの口語があり、何と文語は七世紀の古代の形式を継承しているとのことであった。

 そして、文語としてのアラビア語は独特のリズムを宿し、表面の意味以上の意味を表現し、今でも世界中で公式の場で毎日使われているイスラム社会の中核文化なのである。

 たまたま、世界的詩人のオクタビオ・パスの詩論「弓と竪琴」(岩波文庫)を読んでいたが、その中にもリズムに対する素晴らしい卓見が書かれている。詳しくは直接読んでいただきたいのだが、日常的な時間(リズム)と非日常的な時間(リズム)の話もあった。聖なる期間、儀式、そして祝祭は非日常的なリズムの世界で、恐らく私たちの旅もそうした一面が本来あるべきなのだろう。

 宗教の世界とは一線を画する西欧の臨床心理学の世界の系譜をもった、U先生の生き甲斐の心理学も、リズムに特別な関心を持っている。24節気は日本で伝統的に用いられている季節感であるが、これを意識化するだけで、人は不思議に健康を取り戻す一面がある。そんなこともあるのだ。

 7-8世紀の日本の原型研究の中でも、U先生は万葉集を特別に注目されている。人麻呂や額田王のような天才詩人の背景にもある五七五のリズムは、先のアラビア語文語ではないが、日本の非日常的なリズムであり、日本人の原型に深く関わるのではないだろうか。

 そして、敬愛する理論の一つカールロジャースの理論の要の19の命題も、原文で読むと美しくリズミカルだ。 次の命題1は、それを理解するだけで心の平安が得られるという最も有名な命題だが、心地よくリズミカルだ。誰か日本人版の五七五で作り替えてみたらどうだろうか。

  1. All individuals (organisms) exist in a continually changing world of experience (phenomenal field) of which they are the center. (英語版wikipediaより)

    個人(有機体)はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(現象的場)に存在する。

 写真は、遠野で見た満月。この月も日本人のリズムを教えてくれるようだが。 

 旅と真善美② 8/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o