イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

歌と踊りとこころの健康!(時間と空間の旅 ⑦ 8/10)

2014-04-10 | 第三章「無意識の世界」

 写真は先日撮った、桜と月のツーショット。拡大すると月が小さく映っている。花見で一杯、月見で一杯、その二つが重なって最高の幸せの写真なのだろうが、その時の自分はどうだったか。

 U先生から、歌(鼻歌でも)や踊りができるならば健康だと聴いたことを想いだし、さて、その時はどうなのだろうと思索した。美しい桜や月を愛でたとき、踊りはともかく、いつもの上機嫌の鼻歌はあったか?かなり、うきうきしていたが、鼻歌までは・・・まだ、抑圧・抑制のレベルは高いかもしれない。

 こんどは、生き甲斐の心理学の理論で大事な、こころの健康度をはかるプロセススケールで考えてみる。まずは代表的な湧き起こる感情について考えてみた。ウキウキする感情は湧き起こり自覚していたので、まあまあなのだろう。

 因みに、最悪の時は今でも時折思い出すことがあるが、小学生のころのショッキングな事件(例えば、私が海水浴で波にのまれ海中の木材にひっかかり危うく溺れそうになった事件)などがある。恐怖感があるはずなのに感情が湧いてこないガラス越しの感覚。これは、感情の表出が低で抑圧がかなり高い状態だ。

 日常生活で、このように自分の感情が湧き起こらないときは、ちょっと健康度は問題があり。自分の判断力等は怪しいと考えるべきだ。しかし、怖いとか、憎らしいとか、そんな暗い感情でも気づけば健康度はまあまあ。

 さらに、その一時感情に呑み込まれず、理性を働かせ意味を自他肯定的に思索してみる。できれば、①何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、心、魂を大事にしているか?の自分の柱に触れると、その湧き起こる感情が素晴らしい人生のヒントを与えてくれることも。

 さて、昨日は自分の父の故郷の瀬戸内海にちなんだ小説「村上海賊の娘」(和田竜著)を買い、今読み進んでいるところだ。先にちょっと触れたが、小学生の時、海水浴で危うく溺れそうになったが、父が水泳が得意なので救われた。今考えると、父は瀬戸内海地方で育ったので、祖先の叡智も関係し救われたかもしれない。

 私の3代前(曽祖父)の本家は、村上水軍の本拠地の近くの伊予大島。「村上海賊の娘」は私のルーツ探しの妄想と楽しくつながり、思わず鼻歌が・・・

時間と空間の旅 ⑦ 8/10

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心が疲れたときは、自然の美を楽しもう!(時間と空間の旅 ⑦ 7/10)

2014-04-09 | 第三章「無意識の世界」

 昨日はDVDで、余り有名でない旧作「精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱」(英語タイトル:Shrink)というハリウッド映画を観た。精神科医というより高名なサイコセラピスト(心理療法家)の話である。妻の自死が原因でアルコール中毒になってしまうセラピストの再生の話であるが、その中で、自分の書いたベストセラーをテレビ番組で破り捨てるところは、実に迫力があり考えさせられた。

 「生き甲斐の心理学」を学んでいくと、人間の心のもろさというものをだんだん実感するようになる。身体のもろさは何となく実感できるが、心のもろさは実感しにくい。ただ、例えば自己分析をしていると、いつの間にか少しへんになったりする。特に抑圧の問題などを思索したりすると、途端に変な夢を見たり。こんな時は、限界なのでやめることにしている。心の問題を勉強するときはのんびりと無理せずとU先生に教えていただいたが、全くそのとおりだと思う。

 さて、ヘンになったときの私の特効薬は、次の3つの自問自答(生き甲斐の心理学で大切にしている)だ①自分は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、心、魂を大事にしているか?そして、訳の分からない将来の不安にうつつをぬかすより、他人の判りもしないこころの内をあれこれ考えるより、自分の真実を、そう、のんびりと思索する。

 昨日は、良く晴れ春爛漫。大栗川沿いを歩くと、桜の花びらが綺麗に散り、この世に天国の片りんが現れているようであった。

    

   

 

時間と空間の旅 ⑦ 7/10

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ひとの衣服と性について考える!(時間と空間の旅 ⑦ 6/10)

2014-04-08 | 第三章「無意識の世界」

 現世人類、ホモ・サピエンス・サピエンスが分化してきたのは20万年くらい前といわれている。そして、アフリカに10万年以上とどまり、5-6万年前に世界に散らばり、日本に到着したのが4万年前くらいといわれている。そんな拡散の歴史もあるが、7万年くらいまえの衣服の着用について今日は妄想している。

 現世人類が衣服を着用する時期が明確になってきたのは、実はシラミの遺伝子の研究からだ。人につくヒトシラミは二種類あるという、アタマジラミとコロモジラミである。そして、DNAの解析からコロモジラミがアタマジラミから分化したのが約7万年前ということが判り、それは、衣服を着用した時期に重なるのではという推論なのだ。考えてみれば地球の生命40億年の歴史の中ではごく最近である。

 なぜ、祖先は衣服の着用を始めたのだろうか?恐らく気候の変動の中で生き残るためという要素、ヴェルヌ氷期との関係もあるのだろう。ただ、動物園に行ってみて気づくのだが、同じような気候変動の中、人間以外の動物は衣服を着用するようなことはなかった。人間は何故衣服を着用したのだろう?

 さて、防衛機制の抑圧や抑制をずっと考えているが、特にこの2日は、どちらかというとネガティブな要素を思索してきた。しかし、人が平和に暮らす上では、防衛機制の抑圧・抑制も、大事な面をたくさん担っているのだと思う。例えば性の問題である。平安時代のトップ・レディの道綱母の蜻蛉日記を読んだり、最近は鎌倉時代の御深草院二条の「とわずがたり」を読んでいるが、本音と建て前の使い分けなど抑圧・抑制がマイナス面でも働いているものの、プラスの面でも働いていることも判る。社会性は、抑圧・抑制と実に関係が深く、それゆえ平和に暮らすこともできるのだろう。

 性の問題は、キリスト教聖書の雅歌を読んだりして思索すると、人間の本来持つ性の性質についても理解が深まってくる。当然ながらキリスト教は性を否定していない。仏教でも理趣経があると聴いているが、人間のもつ性をどう肯定的に位置づけるかは宗教や哲学上大事なことで、誰も真面目に勉強する必要があると思う。

 湧き起こる感情の原因を、生き甲斐の心理学では3つに分けて思索することを学ぶ。身体が原因としての感情、心(生育史)が原因としての感情、魂(宗教的領域)が原因としての感情。そのいずれでも、自由な意志力を本来もつ人間の対応方法は、まずは、湧き起こる感情を一次情報として倫理道徳は別にして把握する。その後に、状況に応じて防衛機制(抑圧、抑制も含めた)をうまく使って対応するというのが正解なのだろう。性の問題でも同じである。

 なお、生き甲斐の心理学では、魂を愛そのもので、死んで身体から離脱する生命体と位置付けている。自分を含め、人間の尊厳の理由が魂にあるのだということを身近に感じることは大事だと思う。

 人が衣服を着始めたとき、私たちの祖先たちは、難しい自由意志と防衛機制の使い方に挑戦をはじめたのではないだろうか?

時間と空間の旅 ⑦ 6/10

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湧き起こる明るい感情を抑圧してもヘンになる!(時間と空間の旅 ⑦ 5/10)

2014-04-07 | 第三章「無意識の世界」

 生き甲斐の心理学を学ぶ中で、フロイトやエリクソンの理論を学び生育史を学びつつ、幼いころのこころの傷を自ら癒していくことは、かけがいのない体験であった。今日は不思議なタイトルであるが、特に様々な心の傷を負った人や支援する人に役にたてばいいかなと願い記した。

 さて、抑圧はこころの健康で諸悪の根源の一つであるが、その抑圧の意味はU先生の「生き甲斐の心理学」に次のように説明されている。

 「人からの非難、嘲笑等を恐れて意識・無意識に、何かの感情、自己主張を我慢すること」

 この中の何かの感情とは何か、劣等感や罪悪感などの暗い感情をイメージする方も多いと思う。私も、勉強を始めたころはそんな印象であった。しかし、これは説明どうり湧き起こる感情、何でもである。

 それを身をもって理解したのは、私が6歳のころの体験の思索からであった。小学生1年のときに近くの友達二人と登校中に一人の友達がオートバイにはねられ亡くなった事件での心の傷だ。特に、車に乗るのがこわくなったりする以外は生活面で支障はなかったものの、後から考えると大きな影響を残していたと思う。

 当時はスクールカウンセラーなど全く周りにいない時代だったので、しかたがなかったのであるが、次のような経過で自分はちょっとへんになったようだ。 A君が事故にあったとき、実は私は何か喜びというか明るい感情が湧き起こったのである。それは、その登校中A君が私を苛めていたこともあり、救われた感情が起こったのだ。その感情は大人の常識から考えても当然のことだと思うが、少年であった私は、自分の真実の感情や本音を語ることを抑圧してしまったのだ。それは、人の死を喜ぶへんな自分という、自己嫌悪感をどこかに背負うことになる。

 A君に対する私の感情は好悪いろいろだったと思うが、それが整理されず抑圧され、そのためにへんな自己嫌悪に悩まされるようになったようだ。人は死ねば愛そのものの純霊になったりするのだろうが、その突然の死で残された人は、異常な自己嫌悪感をこころのどこかに残したりする。

 欧米では、心のケアは精神科医師と心理療法家(カウンセラー)の二本立てで、心理療法家(カウンセラー)には国家資格が与えられる。ところが日本ではこの心理療法家に対する国家資格をはじめ様々な制度が無い状態が続いている。それが何故かは文化的な根深い問題もあるのだと思うが、こころのケアを必要とする人は多い。私の生き甲斐の心理学の普及活動も、微力ながら世の為人の為になればと願う。

時間と空間の旅 ⑦ 5/10

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自分の抑圧の生育史を明るくする!(時間と空間の旅 ⑦ 4/10)

2014-04-06 | 第三章「無意識の世界」

 自分の生育史が実に素晴らしかったという人に会ったことはない。何か鬱屈としたものをどこか持っているのが普通のようだ。私も、客観的に考えると幸せな幼年時代を送り、成人し今となっているのだが、主観的には、結構引っかかることも多い。現実に、こころの健康で問題になりがちな、逃避、抑圧、感情転移を起すような、嫌な出来事もいくつかあるようだ。

 そして、普通はそんな過去の傷に触れるようなことはしない。幸か不幸か(私の場合は幸せだが)、私は臨床心理学、「生き甲斐の心理学」に出会い、さらに、それを教育普及しようという大それた夢を持っているため、自分の生育史を真面目に思索し続けてきた。そして、いつの間にか自分の生育史が、随分明るく解釈できるようになり、さらに感謝の気持ちが湧き起こるようになってきた。

 さて、今日は、その鬱屈とした過去の解釈について触れてみたい。抑圧(非難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、何かの感情、自己主張を我慢すること)の原形(幼いころの代表的な体験)を考えてみた。

 私の、幼いころはサザエさんの家に似て、同居ではなかったが、母方の祖父母の家がすぐ隣にあって、祖父母、親戚(しょっちゅう祖父母の家に来る、伯母さんの印象も強い)、父母が入り混じる中で育った。現在の核家族時代とは今になって考えれば随分違う。そして、私の家が祖父母の家と庭を挟んで離れていて、母が私を寝かしつけ、祖父母の家に行っていたりすることも多かったようだ。そこで楽しく親戚同士の会話が弾むが、置き去りにされた私は寂しい想いをする。眼が覚めて誰もいず、さみしい想いで泣いたりする。

 そんなこともあり、何か祖母や伯母に対するネガティブなイメージ(自分の母を独占できない)を育まれたようで、小学校低学年くらいまで、辛くあたったりしたことを思い出す。

 そんな嫌悪感や、それに対しての自己嫌悪。そんな感情がどうも私の抑圧の原形のようである。その外にも、友達の交通事故死の傷もあるが。

 普通なら、生育史で嫌悪感を感じることで終わりだが、より客観視することで、頭の中の幼いころの解釈を大人の解釈に切り替えることで、生育史が明るくなっていく。さらに、当時の時代を、母や親戚に訊いて見たり、時代背景を研究しているうちに、祖父母、親戚、父母をより俯瞰でき、さらに明るい生育史になっていく。

 戦後という時代。父が満員列車で機銃掃射を受けた話、東京大空襲で母が三鷹から都心の家に歩いて帰った話、闇市を嫌って栄養失調になった祖父や、お嬢様だった祖母の焼け跡での苦労、戦後どさくさの時代の伯母さんの苦労などが何となく浮かんでくるように。泣きおだだをこねて困らした周りの大人たちの背景を知ることで、他者への嫌悪や自己嫌悪は消えて行くようだ。

 そして、自分の生育史がだんだん明るくなっていくことで、今が明るくなっていくようだ。

時間と空間の旅 ⑦ 4/10

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