写真は先日撮った、桜と月のツーショット。拡大すると月が小さく映っている。花見で一杯、月見で一杯、その二つが重なって最高の幸せの写真なのだろうが、その時の自分はどうだったか。
U先生から、歌(鼻歌でも)や踊りができるならば健康だと聴いたことを想いだし、さて、その時はどうなのだろうと思索した。美しい桜や月を愛でたとき、踊りはともかく、いつもの上機嫌の鼻歌はあったか?かなり、うきうきしていたが、鼻歌までは・・・まだ、抑圧・抑制のレベルは高いかもしれない。
こんどは、生き甲斐の心理学の理論で大事な、こころの健康度をはかるプロセススケールで考えてみる。まずは代表的な湧き起こる感情について考えてみた。ウキウキする感情は湧き起こり自覚していたので、まあまあなのだろう。
因みに、最悪の時は今でも時折思い出すことがあるが、小学生のころのショッキングな事件(例えば、私が海水浴で波にのまれ海中の木材にひっかかり危うく溺れそうになった事件)などがある。恐怖感があるはずなのに感情が湧いてこないガラス越しの感覚。これは、感情の表出が低で抑圧がかなり高い状態だ。
日常生活で、このように自分の感情が湧き起こらないときは、ちょっと健康度は問題があり。自分の判断力等は怪しいと考えるべきだ。しかし、怖いとか、憎らしいとか、そんな暗い感情でも気づけば健康度はまあまあ。
さらに、その一時感情に呑み込まれず、理性を働かせ意味を自他肯定的に思索してみる。できれば、①何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、心、魂を大事にしているか?の自分の柱に触れると、その湧き起こる感情が素晴らしい人生のヒントを与えてくれることも。
さて、昨日は自分の父の故郷の瀬戸内海にちなんだ小説「村上海賊の娘」(和田竜著)を買い、今読み進んでいるところだ。先にちょっと触れたが、小学生の時、海水浴で危うく溺れそうになったが、父が水泳が得意なので救われた。今考えると、父は瀬戸内海地方で育ったので、祖先の叡智も関係し救われたかもしれない。
私の3代前(曽祖父)の本家は、村上水軍の本拠地の近くの伊予大島。「村上海賊の娘」は私のルーツ探しの妄想と楽しくつながり、思わず鼻歌が・・・
時間と空間の旅 ⑦ 8/10