二月十日(土) 霧 一時朝陽が射す 曇り 暖冬太陽が出ていなくても暖かい
今朝は一人での食事なので自分流でのんびりと過ごした。
食後の後は、リンゴの皮と野菜屑の生ゴミを循環堆肥ダンボールへ入れた。
昨日入れた野菜屑は姿が残ったままだった、温度が上がらないためか・・・・ようすを見ることにする。
夜に篆刻の印友会があるので、新しく彫る原稿を作るが上手くいかない。
石の表面に朱の墨を塗るのだが斑がないようにするのがむずかしい。
筆ではなく指先で塗ると良いと教えられたとおりにやるが修行が足りないのだろう。
何回かやり直しをしながらなんとか塗り終わった。
次には先生に書いていただいた「福祥」と云う字を半紙に写し、其れを石に移すのだが、更に上手くいかないのだ。
たしか、この作業は初めてなのだ!!
鉛筆で写し取った上に筆でなぞるように書くが、所詮筆を持つことをしなかったバチが当たっているようだ。
フリーハンドで物を書くということから遠ざかり、パソコンに頼りすぎていることが如実に見える!!
やり方が間違えているのかと思い、初心に帰るために揺るの勉強会で教示を受けることとして遅めの昼飯とする。
テレビを見ながら簡単に食事を済ませたのが三時過ぎになっていた。
テレビをつけたまま洗い物などをしていると、NHKが再放送で「千の風になって」をはじめた。
この詩は、俺が以前から思っていたことを表してくれているので好きだ。
特に墓に対する考え方が自分と同じなのだ。また、葬式も形式的なものに参列するのはゴメンだ。
人が亡くなるのは仕方がないこと、今生で言葉を交わし、眼を合わせて、手の温もりを感じ合えることがよいので、病気見舞いはパスして葬式で悲やめて欲しい。
我が家の東の出窓にあるシクラメンは何年も咲いている。
一番小さいのは確か双葉の頃からのものだと思う。
夏は一番涼しいところへ置いて9月には家の中に入れる。
直射日光が当たり過ぎないように、大切に年を重ねて咲き続けるのは人の命に通じるものがある。
我々が都会から移住したときに一緒に来たのが、一番左にある大きなものだ。
このシクラメンは信州へ来て、綺麗な空気に寿命を更に延ばしていくのだろうか。
今朝は一人での食事なので自分流でのんびりと過ごした。
食後の後は、リンゴの皮と野菜屑の生ゴミを循環堆肥ダンボールへ入れた。
昨日入れた野菜屑は姿が残ったままだった、温度が上がらないためか・・・・ようすを見ることにする。
夜に篆刻の印友会があるので、新しく彫る原稿を作るが上手くいかない。
石の表面に朱の墨を塗るのだが斑がないようにするのがむずかしい。
筆ではなく指先で塗ると良いと教えられたとおりにやるが修行が足りないのだろう。
何回かやり直しをしながらなんとか塗り終わった。
次には先生に書いていただいた「福祥」と云う字を半紙に写し、其れを石に移すのだが、更に上手くいかないのだ。
たしか、この作業は初めてなのだ!!
鉛筆で写し取った上に筆でなぞるように書くが、所詮筆を持つことをしなかったバチが当たっているようだ。
フリーハンドで物を書くということから遠ざかり、パソコンに頼りすぎていることが如実に見える!!
やり方が間違えているのかと思い、初心に帰るために揺るの勉強会で教示を受けることとして遅めの昼飯とする。
テレビを見ながら簡単に食事を済ませたのが三時過ぎになっていた。
テレビをつけたまま洗い物などをしていると、NHKが再放送で「千の風になって」をはじめた。
この詩は、俺が以前から思っていたことを表してくれているので好きだ。
特に墓に対する考え方が自分と同じなのだ。また、葬式も形式的なものに参列するのはゴメンだ。
人が亡くなるのは仕方がないこと、今生で言葉を交わし、眼を合わせて、手の温もりを感じ合えることがよいので、病気見舞いはパスして葬式で悲やめて欲しい。
我が家の東の出窓にあるシクラメンは何年も咲いている。
一番小さいのは確か双葉の頃からのものだと思う。
夏は一番涼しいところへ置いて9月には家の中に入れる。
直射日光が当たり過ぎないように、大切に年を重ねて咲き続けるのは人の命に通じるものがある。
我々が都会から移住したときに一緒に来たのが、一番左にある大きなものだ。
このシクラメンは信州へ来て、綺麗な空気に寿命を更に延ばしていくのだろうか。