田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

篆刻、歴史散見、晴雨夜昼PC三昧楽しい一日 

2007年02月11日 | 日記
二月十一日(日)晴れ、雲が多くなる 午後 冷たい風が吹く
朝方に降った雪があたりを薄らと白く染めている。
目覚めは早かったが昨晩の篆刻教室での出来の悪さに、身体までがっかりしているのか重い。
愛息Salaまでが緊張感をなくしているのか起きてこない。
朝飯を簡単に済ませ、朝方の外気温度を見に外へ出るが、思いのほか暖かい。
薄らと雪が被っている割には暖かいのだ、温度計も最低温度は-4℃になっている。
このごろは寒さを感じないのが気になるが、服用している薬のため血圧が高くなっているのが原因と思う。
医者の判断と俺が調べた結果の体調だから、これで好いだろう。

茶殻や林檎の皮などを循環堆肥のダンボールへ入れるが、中の温度が低いままだ。
次には昨夜の篆刻の復習をする。
印石を平らにならしたほうを上にして再度、朱の墨?を塗ってみる。
厚く塗りすぎると剥げるので薄くうすく塗るように云われたが、難しい!!
何度もやり直しをしながら、次に彫る字の書体のバランスを確認する。
篆刻字典を見ながら写すが単純にはいかない。
気がつくと十二時半になっている。
中央公民館で催される、蓼科高等学校のジャズ・コンサートを聴きに行く。
会場に着くとなんと満員、一時半開演と聞いているのに開演前で満員なのだ。
様子を見ていたが、会場に入るのは諦めて図書室で調べ物をしながらジャズを聴いていた。

図書室では俺の棲む大深山を通る、「大内道」について長門町(現長和町)の町史が参考となった。
文中には、信玄の家来「高白斎」の日記からの抜粋で『1543年9月に信玄が長窪城を攻落したときに通行した』とあるこれは、佐久を本拠とする大井氏が長窪、武石、和田に入っていたのを断ち切るために、佐久と長窪の連絡路に大内道を使っていたため、大内道を攻め入ったそうだ。

戦国の時代に大深山の祖先は、信玄の戦列が通るたびに戦々恐々としたことを思うと、今の平和な時代を謳歌できることに感謝しなければならないだろう。

コンサート終了後は夢酔氏にお宅でPCに興じた、楽しい一日だった。
コメント (1)
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