田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

蓼科山の水と豊穣の大地

2007年12月19日 | 日記
12月19日(水)晴れ 上空は寒気のためか薄い雲が高い位置に張り付いている

午前中は薪の片付けや三和土の掃き掃除・・・・
風に舞ってくる大きな形の葉はどこから飛んでくるのだろうか?
緑が濃いときの山では見ることが出来ない葉だが・・・カラカラに乾いて風に乗って来るのか?
西の畑越しの山から季節の風に運ばれていろいろな枯れ葉を見ることが出来る。

午後からは「水の大将様」として親しまれている六川長三郎ご婦人の案内で豊穣の大地、新田の状況把握を小した諸の殿様が通る道筋『巡見道』をさぐる現地調査に同行した。
公民館のS主査とHK氏との4人で出かけた。

新田の開発は1647年(正保四)にほぼ完成したと云われているが、田への水を蓼科山から堰を通水し管理した初期の大将屋敷跡は現在でも神事の場所として保たれている。

嘗ての巡見道は現在の田の改良、公道の拡幅などで大幅に変更され、往時を偲ばれる道は少ないと云われている。
僅かに残る道をたどりながら歩いた。

集落の境や道の分かれているところには多くの双体道祖心を見ることができる。


また、古には社殿を構えていたのか今では朱に塗られた質素な鳥居と祠で祭られている稲荷神社が時代の変遷を伺うことが出来る。

広大な新田を守り抜いてきた水を讃え、豊穣永代に伝えるための大きな石碑が、殿様に代わり土地改良区によって残されている。

この地を季節を代えることで再び訪れて見たいものだ。
コメント (3)
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