2月5日(日) 晴れ 暖かな 一日 雪もだいぶとける
午後1時から町の福祉センターで「戦時を偲ぶつどい」が開催された。この町には第二次世界大戦に爆撃を受けたとか練兵場があったなどは聞かない。俺自身父親が戦争に行くことがなかった家庭で育ったために、戦地で悲惨な経験をした話や、蛮行を手柄話にせざるを得ない状況に追い込まれた人の話を直に聞くことがなく今の歳まで平穏で過ごしてしまった。
会を開いたのは、「遺族会」「9条を守る会」それに、傷痍軍人会があるのかは判らないが、3つの団体が主催だと聞いた。
プログラムの「あまり語られない戦争体験」と云う題で、竹花初雄先生が始めに演題に立った。先生の話は初年兵に対する戦地での軍事訓練と称した蛮行をせざるを得ない日本の教育を柱に話を進められたようだ。感情に走ることなく、整ったレジュメに沿った話は、戦争をしてはいけない。敵味方双方に悲惨な状況を作り出すことを、実際の体験が昨日行われたかのような、真に迫るものが聞き取れた。
二番目に登壇されたS翁は海軍で魚雷により大怪我をれながら、2度も前線に向かい、3度目の出陣前に終戦となったという。翁の戦後は傷が癒すことと心の葛藤が反比例したかかと思うが、仲間の戦死、若い学徒の戦死を悼む言葉が多かったことに感銘を受けた。
3番目は女性で「父親の姿を知らない子」と云う題で、戦後の生活の厳しさを今の自分に置き換えて当時の母親の苦労を切々と語ったのを聞くのが辛かった。立科町では戦禍のあとは残っておらず、況して、どの家も畑があることから食料に困ることはなかったと思っていた。しかし、男手のない家での当時の田起こしや稲刈りは大変なことだったのだろう。ましてや、子ども心に言葉に出せない悲しみを、「父親を知らないから言葉にでなかった・・・」との行には胸が熱くなった。
休憩には会場の後ろに並べられた南方の戦地に悲惨な状況をデッサンと聞き書きした史実が生々しく、あらためて「戦争はしてはいけない」ことを思った。
後半は、講演をされた方をパネラーに質疑応答、意見交換会が開かれたが、誰もが終戦後から今に到るまで、悲惨な戦争を心に懐いていることが見えた。このような会をもっと頻繁に開き、語り伝える大切さを実現させていかなくてならないだろう。戦後の苦しい時代に育てられた俺の世代が何かをしていかなくてはならない。
一生の半分以上が過ぎてしまった俺
今からでも何かしていきたい