物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ローレライの妖精の末路

2011-09-30 13:37:38 | インポート

ドイツ語のクラスに来られている方に I 医師が居られ、彼からクラスのメンバーが彼の書いたエッセイのコピーをもらった。「小児科医60年」という題のエッセイである。

その中で面白い話題が取り上げれていたのでご紹介をしよう。

それは表題に書いたライン河の急流の名所ローレライの妖精伝説についてである。この伝説はハイネのローレライの詩(その訳詩)と歌で日本でも知られている。

「美人の歌声に惹かれた舟が次々と岩に当たって沈み、その死んだ舟人の生気を吸って己の若さを保持したといわれる」「因みに、ローレライの妖精はどうなったか。気付いた舟人は耳に蝋をつめて歌をきかないようにし、妖精を見ずに航行した。つまり相手にしなかったのである。妖精は誰も誘惑にのらないので、狂ってライン川に身を投げた」

と I 医師は書かかれている。これが「ローレライの妖精の末路」である。

私はこれを読んで、それはあまりに夢がないように思われた。だとすればどういう末路がいいのかわからないが、結局のところ現代人はそのような伝説を信じなくなって、伝説が自然に消えていったというのは現実的にはありそうなことである。

それで思い出したのだが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル(Les miserables)」で主人公ジャン・バルジャンを終生つけ狙っていたジャベル警視は最後に自分の過ちに気がついて、自分の体にロープをぐるぐる巻きにしてセーヌに身を投げて投身自殺をする。

この結末を知らなかったのだが、いつか羽仁五郎の著書で読んで知った。その後「レ・ミゼラブル」の映画でこの場面を見た。これは古い封建体制の終末を暗示しているようでもあるが、こういう結末しかないのであろうか。


社会の常識は?

2011-09-30 13:18:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、何ヶ月ぶりのドイツ語のクラスがあった。ここで、R氏からドイツでは会社や大学等での社員や学生一斉の健康診断がないと聞いた。

小学校やギムナジウムで入学式や卒業式がないかどうかは聞きそびれたが、少なくともドイツの大学では入学式とか卒業式はないと聞く。もちろん、大学の先生が学生の就職の世話をするということもないらしい。

もちろん、個別にはそういうことをする教師もいるのではあろうが、自分で何でも動くというのが基本であろう。いわゆる就職活動としてリクルートスーツに身を包んで、大企業の就職面接の列に並ぶということもないのであろう。

もっともR氏は日本の職場の健康診断の制度をいいと思っているように感じられた。映画等でみるとアメリカでは高校の卒業式があるようだから、ヨーロッパでも高校の卒業式はあるのかもしれない。

ドイツの大学ではVerzeichnisという、大学の先生の名やその授業内容の載っている、分厚い書籍を買い求め、それを頼りに自分で自分の目標にしたがって、講義や演習を受けて、大学を出て行く。そのときに学位をとるという節目はあるが、すべての学生が学位を取得する訳ではないので、国家試験の合格というような目標が達成すれば、大学から自分で巣立っていく。

だから、日本のように大学に入ったら、行き届いたガイダンスがあるわけでもなく、大学に入学は許されたが、しばらくは学生は途方にくれるのだとはいつもR氏に聞かされていることである。それでも1年、2年と経つ内に自ずから大学のありようがわかるという。

これは人間としての自立性が小さいときから要求されている社会と、いわばいい意味で保護されて育てられている社会との違いであろう。これはどちらがよくてどちらが悪いという話ではない。それぞれの特色があるのだと思う。