ドキュメンタリー映画の「弁護士 布施辰治」を県の美術館の講堂で見た。9月3日と4日の二日で一日2回づつの上映だったが、初日に台風が来ていたにもかかわらず、満員となり、補助椅子まで出したとは主催者のごあいさつで話をされていた。
「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」というのが布施辰治のモットーであったとかいう。今とは違って人権が尊重されていなかった時代に弱い者の味方となり、自分も投獄されたり、弁護士資格を2度にわたって剥奪されながらも果敢に闘ったという。
特に日本の朝鮮半島支配の時代にその朝鮮人を擁護して、その人権を守ろうとしたというその姿勢と努力には頭が下がる。私自身の関心があるのは、天皇支配の時代であるのにどのようにしてそのそうような思想を布施辰治が身につけたのかである。
これは現在の時代のような時代の思想とはまったく時代が異なるからである。別に布施は左翼思想の持ち主ではなかったらしいが、この人権思想はとてもしっかりしていたらしい。
今ごろは弁護士でも必ずしも所得の多くない人もおられるかもしれないが、昔は弁護士は裕福なのが普通だったろうが、それでもほとんど弁護料は実費以上にはとらず、旅費も当時の3等車で弁護に出かけたという。これは普通の人にできることではない。
布施は石巻市の出身であるそうだが、映画はこの映画にはもちろん石巻も出てきたが、これは東日本震災以前の撮影であった。私も一度だけ会ったことのある、故阿部三郎弁護士も最後の方にインタビューで出て来られていた。