数学・物理通信9号の編集を昨日から始めた。昨日ようやくこれに取りかかることができたのだが、すぐにその編集ができるあがるわけではない。まだ、数日はかかるでろう。
一つの論文なり、エッセイとしては出来上がっていても、これを一つのサーキュラーとしてつくりあげることはまた別のことなのである。というのはまずスタイルファイルがもともと違う。
それで、投稿者の各自が完成したスタイルファイルはそのままでは使えない。だから自分のサーキュラーのスタイルファイルに合うように変更をしていく。ところがもともとのスタイルファイルではまったく問題がなかったことが、一つのサーキュラーに仕上げるときには差支えができたりする。それを一つ一つクリアしていって、一つのサーキュラーに仕上げていく。
また、読者の方から新しい要望が入ったりする。いま9号で直面しているのは論文のタイトルと著者名や所属を英語で入れてはどうかという提案があった。提案はもっともなことだし、別に無理な注文ではない。しかし、たったこれだけのことを問題がないようにするにはどうしたらいいか。いつでも手探りである。
この要望を出された方は、英語のタイトルと氏名とその所属が英語で出ていると私たちのサーキュラーを検索する方の情報としては急に世界的な広がりを持つことになるだろうと思われたのだと思う。そしてそのことはまったくその通りだと思う。
もし、ある事柄についてそれが日本語であろうとどこかに書かれているならば、それを知った方は自分が日本語を読めないならば、誰かに英語に訳してもらうことが(その気になれば)できるだろう。
こういうことが実は放射能被害の許容量という概念について国際的に起こったのである。許容量の概念とか被曝線量に関してはいまではICRPの基準が一般的となっているが、これに貢献したのは実は武谷の著書『原水爆実験』(岩波新書)であったらしい。許容量のことがこの書に出ていることを知った、アメリカの物理学者J. Orearはそれを当時コロンビア大学にいた森田正人さんにその箇所を英語に訳してもらい、それがICRPに採用されたのだという。
いまでは放射能の被曝線量についてのリスク・ベネフィット(Risk-Benefit)論はアメリカ起源の概念として誰も疑問をもっていないが、そのタネは武谷の提唱した許容量の概念であった。
おもわず、横道にそれたが、投稿者の方々にはひよっとしたら、不満とか気に入らないこともあるだろうかと推測する。だが、経験の少ない私のような編集者には簡単に思えることもなかなか大変のことなのである。
だが、私は後ろ向きに考えている訳ではない。できるだけいろいろな要望に応えて行きたいと思っている。
だから、よりいいものになるのを気長に待って下さるか、または積極的なアドバイス(技術的を含む)を下さることをお願いしたいと思っている。