物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

核に別れを

2011-09-08 16:06:37 | 国際・政治

これは現在の朝日新聞の人脈記のシリーズが「核に別れを」である。この連載がどのように展開して行くのかはまだ分からないが、今までのところは核兵器からの別れを意味している。

連載の明日以降の展開によっては原発からの別れをも意味するようになるのかは将来の記事如何による。

昨日までの3回では核兵器の廃絶を過去の外務大臣や軍のトップだった人たちがテロリストが核を手に入れたときのことを考えると核兵器、すなわち、核爆弾をなくしてしまう以外に解決方法がないと考えたことを新聞とか雑誌に公表したことである。これが世界の政治の雰囲気を大きく変えた。

まず、アメリカの元国務長官等の要職にあった人が4人でその意見を公表して、それに応えてロシアの4人の元外相とかもと軍の参謀総長の4人が意見をやはり新聞に公表したという。

それは考えとしては正しいが、それ以前に「核のバランス」という概念が間違った概念であることは日本人の物理学者豊田利幸さんが著書「核戦略批判」(岩波新書)、「新核戦略批判」(同)ですでに示したことである。ちょうど核戦力がバランスをとるというときにはソ連とアメリカとでそれぞれ相手より一歩だけ優位に立ちたいという心理があり、そのために核戦力のバランスは結局とれないのだという。

現実には世界を一度滅ぼしてもまだ何回も滅ぼすことのできるくらいの核兵器を持つことになって(overkill)ようやくその愚かさを悟り始め、核弾頭の削減交渉が始まった。それでもまだ核弾頭の数はかなりのものであり、もっと減らすことができるのだが、その交渉は徐々にしか進まない。

核超大国同士の疑心暗鬼がなくならない限り、このせめぎあいは続くのだが、ここに来て核テロリストの存在を無視できなくなった。

もっともテロリストが核テロを行うには別に核爆弾を入手する必要があるわけではない。どこかの原発を乗っ取ってそこを破壊すれば、核テロを行うことは簡単にできるのである。もっとも原発は持ち運びができないところだけが核爆弾とは異なる。

こうなると「核に別れを」というテーマは原発からの別れをも意味しないことには意味をなさないだろう。少なくとも論理的にはそういうことは容易に帰結できる。まあ、それを現実の社会が実行するかどうかはわからないけれども。

「核に別れを」を例えば英語に訳すとすれば、へミングウエイの「武器よさらば(Farewell to the arm)」にならえば、Farewell to the nuclear weaponであろうか。この場合には核を核兵器と考えたことになる。原発は考えに入っていない。ドイツ語ならAbschied  von Kernwaffenであろうか。

口語的にはTsch"uss von Kernwaffen でもいいような気がする。Tsch"uss は日本語でいうならばバイバイとでも言ったところか。「さようなら」は一番普通にはAufwiedersehenであるが、これは中国語の「再見」と同じでまた会うことを意味するので、どうもまた核開発をするような感じを与えるので頂けない。