物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

心がけていること

2012-12-05 13:08:14 | 日記・エッセイ・コラム

このブログはもう1950回をこえているが、いつも何らかの新しい視点や観点を示したいと考えている。

しかし、それは心がけていることではあるが、なかなか毎回はそういう新しい視点を提供するのは難しい。それらの視点は新聞、テレビや雑誌やまたは私の出席しているドイツ語のクラスの先生やクラスメートの話だったりする。

またはおこがましいことだが、私自身の思いであったり、妻の考えであったりする。それにしてもこんなに何回も書いていると重複は避けられないし、陳腐にもなってくる。それはある程度しかたがない。

もちろんだからと言って開き直るほどまでには傲慢ではないつもりである。いつでも一学生のつもりで学べるところからは学びたいという気持ちをもっている。これはすなわち閉じた観念ではなく、いつも自分の観念とか心を開いていたいと思っている。

体がもう首から上しか自由が利かなくなっている、ある企業家のインタビューが先日のNHKのニュース中にあったが、そういう障碍があるにも係らずこの人の前向きな心のあり方や積極的な生き方をすばらしいと思った。

これは政治的意見としてというよりは単に希望だが、TPPで日本の農業が壊滅してしまうと主張して政治を動かそうとするよりも、TPPがあってもそこから生き延びれるような、方策がないかと知恵を絞ることはできないのか。

確かに政治の圧力はアメリカとか、そういう言い方が許されるならば、資本主義のあくまで利潤を追求の結果としてそのためには他国の利害をも侵してもよいという考えが問題であるかもしれない。だが、小さな努力だけではなく抜本的な考えの転換が日本の農業従事者や農業経営者にできないのか。

逆に、もしTPPがいけないとしたら、どうしたらTPPに入らないで生き抜く方策があるのか。そういうことが十分に想像ができているのかどうか。そのときにはもちろん国の農業政策としての財政的支援に頼るなどということは抜きにしての話である。

そんな夢みたいな事などあるものかといわれるだろうが、要するにTPPを拒否するのであれば、そこまで考えなくてはならない。

私にはTPP問題は正直のところはっきりとはわからない。だから、賛成と反対との二つの立場でちょっと述べてみたに過ぎないが、そこまでみんなが誰でも考えなくてはならないとまでは言えないが、たぶんそういう政策を研究している経済学者とかは考えなくてはならないだろう。

言いたいのは単に主張だけではなくて、具体的な処方箋を示せるか、また現実の事態を改善できる具体策をもっているか。これにかかっている。これは日本でも最大のシンクタンクだと言われている官僚の方々の本当の考えなくてはならないことではないか。

最大のシンクタンクの官僚までそのことのシミュレーションができないとすれば、誰ができるというのだろうか。


百科事典を拾う

2012-12-05 11:33:55 | 日記・エッセイ・コラム

道端に落ちていた百科辞典を拾った訳ではない。近所に懇意にしている家があるが、そこの女主人は養護施設に入ってしまった。その若主人が自宅のガーレージに百科事典をゴミとして出していたのだ。

それを見た妻がその数冊を我が家に持ち帰っていた。月曜日の夕方のことである。帰宅したら、玄関に8冊くらいの百科事典がおいてあった。そして妻から百科事典をもらうかと尋ねられた。もらうと答えて、二人で残りの百科事典を引き取りに行った。

妻の母が半身不随になって、歩けなかったときに買った簡単な車椅子を押して回収に行った。強烈にたくさんある百科事典である。それでも往復回数が一回で済んだのはラッキーだった。

野口悠紀夫さんの「超勉強法」によれば、百科事典は数学のあるテーマを調べるのにいい書籍だとあったから、即断でもらうことにしたのだった。だが、それにしてもたくさんある。これではご近所のMさんが百科事典をゴミに出そうと思ったのは仕方がない。

それにしても書籍を捨てることが多くなっている。次兄などもたくさん書籍をもっているが、少しずつごみとして出しているとか聞いた。いつだったかマルクスの資本論は要らないかといわれてもって帰ったことがあった。もちろんこれは長谷部文夫の訳本である。長谷部文夫は今治市出身の経済学者であった。

住居の手狭さに自分で大金をはたいて購入した蔵書を泣く泣くゴミとして出すことが多くなっている。久野収のような有名な学者の場合にはどこかの公共図書館(彼の場合は大阪府立図書館)が受け入れてくれたりするが、一般の人の蔵書まではなかなか受け入れてはくれない。どこの公共図書館も手狭である。

一時、国際交流基金とかのお金で発展途上国の大学や研究所に学者の蔵書を寄付して送るとかいう話も聞いたが、なかなかそういう風なこともできにくいだろう。

話は突然変るが、今朝の新聞で障害者のための学習塾を30年もしている、遠山真学塾のことがでていた。それを主宰している小笠さんは私とほぼ同い年の72歳であるが、40歳くらいでこの塾を始めたことになる。もちろん、塾の先生は彼だけではなく何人かのボランティアによって支えられているのだろう。

それにしてもそういう施設を維持することも大変なことである。また、そういう施設がほしいものだが、それをもつためにはかなりの資金がいる。私設の図書館とか学習施設とかが民間で運営できるようになれば、すばらしいのだが、そういうことをするお金持ちの篤志家はいないものだろうか。遠山真学塾には現在130人の方が学びに訪れているとのことである。