物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

恋のフーガ

2012-12-08 15:54:02 | 音楽

NHKの教育テレビで佐野元春のシンガーソングライターをこのところ金曜の夜見ている。

昨夜はなかにしれいさんの2回目であった。たまたま「恋のフーガ」という曲のフーガという意味をなかにしさんから聞かれたが、会場の人たちで知っている人はいなかった。

私も音楽でのフーガは知らなかったが、fugareというフランス語を知っている。と書いて仏和辞典を調べたら、「逃げる」という意味でのfugareという動詞はフランス語にはなかった。

ひょっとするとイタリア語にはあるかもしれないが、自宅に帰らないと伊和辞典はここにはないので、調べることができない。

そのfugareの代わりにfuirという語が「逃げる」という意味のフランス語にはある。そしてこれが私が探していたfugareのフランス語の対応語であった。

英語に亡命者とか避難民という意味のrefugeeがあるが、このfugeeのところにfugare(またはfugir?)の一部が残っている。

フーガに戻ると日本語では遁走曲といわれているとかでメロディーが1小節だか遅れて繰り返される曲だそうである。そんなこんなで初めて「恋のフーガ」のフーガの意味をはじめて知った次第である。

ちなみにこの「恋のフーガ」はなかにしさん作詞のヒットソングの一つであるが、私はここではその歌をまったく再現できない。

歌詞を見て、それが昔大いにヒットした曲でも私などその曲を歌ってみることなどまったくできないことを昨夜思い知った。

(2012.12.11付記) 「イタリア語小辞典」によれば、逃げるはfugareではなく、fuggireとあった。そうするとfugareというのはまったく私の創作した語なんだろうか。後はスペイン語辞典くらいを見るしかない。


クラウドは権力の集中化を招かないか

2012-12-08 15:06:42 | デジタル・インターネット

「クラウドは権力の集中化を招かないか」というのが、私の昨夜のNHKのBizプラスを見ての不安であった。

確かに自分たちの会社がなんでも所有するというとその費用が大きくなって、利益が上がらないからクラウドコンピューティングが省エネになったり、施設への投資とか人員への資本投下をしないので、会社が利益を上げやすくなるという。

だが、「クラウドは権力の集中化を招くかもしれない」という恐れがあるような気がする。その辺は実際はどうなのだろうか。現に車のメーカーのトヨタはクラウドを導入しているそうである。しかし、この恐れはまったくないのか。

それと私の子どもなども IT 関連企業の一つに勤めていたりするが、彼が仕事がなくなったりはしないのだろうかという恐れも持った。これは本人に電話をかけて聞いてみようと思った。クラウドなどと技術概念を認めないというのではないが、その対策を早くしておかないと多くの人が仕事を失うということではまったく浮かばれない。

だから、もちろんクラウドとかいうアディアが浮かぶことは大いに結構だが、それに対する利害得失を考えて前もってその害の方には対策を立てておく必要があると思われる。

それとどこかに集中してしまうと大災害のときに損害をそこが受けてしまうと機能が麻痺してしまうという恐れもある。それは多分かなり遠くはなれたところにバックアップセンターをつくるとかしているかで問題をクリアしようとするのであろうか。

集中と分散というのは昔から大いに問題であって、パソコンが出回る前はコンピュータは集中方式であった。それがパソコンの普及である程度分散システムが普遍となった。もちろん、銀行のATMシステムなどは集中方式であろうが、それだけで十分なのだろうか。

国家の安全の問題もあるし、資本の独裁という恐れもある。よくSF映画である権力的な人がすべてを握った会社をつくり、それに対抗する人たちがその強大な権力とか機関に抵抗するという映画だったりする。そんな心配は皆無だろうか。

クラウドと聞いて過剰反応だろうが、そんなことを考えた次第であった。

(2012.12.11付記) このブログを書いた後で、クラウドをwikipediaで検索をしてみたら、ここで書いたような欠点というか恐れとかはすべて書いてあった。もっと徹底的に問題点を指摘してある。私がそんなことを知らなかっただけであった。でも自分でそういうことを考えついたからこそ、問題点の指摘にうなずくことができた。


12月8日

2012-12-08 14:06:21 | 日記・エッセイ・コラム

今日は12月8日である。それがどうしたという声がするかもしれない。

今日は日本がアメリカに宣戦布告して太平洋戦争が始まった日である。私はまだ小さくてよくは覚えていないが、ラジオで放送があったような気がする。

2つ年下の妹が生まれて数日たったときだったので、覚えているのかもしれない。歳にして2歳と少々の頃である。ところは朝鮮(いまの韓国)の鎮海に一家で住んでいた。

この鎮海はとても小さな町だが、いまでは春の桜の頃には百万を越す観光客が訪れる桜の名所である。友人のWさん夫妻はこの季節に数年前に訪れたらしい。写真を数枚私に送ってくれた。

私が住んでいたのは昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)のはじめのほぼ5年間ほどである。しかし、ここが私のふるさとという感じがしている。もっとも私の生まれは日本の I 市であり、この鎮海ではない。それでも物心がついた小さいときをここで過ごした記憶は薄れない。

朝鮮を日本が植民地にしていた時代であり、今から考えるとひどいことをしていたわけだが、そういう意識はさすがに幼児のわたしにはもてなかった。

反日の人がその当時でもいたらしいが、警察や軍によってすぐに抑圧されたようである。だから、その当時にあからさまな反日の旗を掲げた人たちはとても勇気があった人たちに違いない。

そういう経験を経ているせいか、ある政治家のような勇ましい話にはとてもついていけない。強い国づくりだとか誇りを持てる国だとか言われるとそんなものは口に出していうことではないだろうという感じがしてしまう。もし自分の国を誇りにしてるとしても、そんなことを口に出していうことではなかろうというのが私の感覚である。

これは母親が自分の子どもことを自慢しているというような素朴な話ではない。自分の国を誇りするときに相手の国も同じように誇ることを認める度量があるのか。自分だけが優位を誇るということは他国なり、他人をないがしろにしないでできることなのか。

胸の中の密かの誇りまで捨てなさいなどとはいわない。それはそれぞれの人々が自国に対してまたは自分に対してもてばいいことであって、それまでも誰も犯すことができない。