「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行氏の歌がある。この曲自身は好きなのだが、一般的に言って私はピアノの音がバイオリンと比べて好きではない。
ディジタルのバンバンとした音が嫌いなのである。そうはいってもピアノの演奏でもそれほど嫌いでない曲もあるし、絶対的な音楽嫌いというわけではない。
これは前にも書いたことがあるが、武谷三男に「ショパンが一番素晴らしく聞えたとき」とかいうピアノ曲が素晴らしく聞こえた時という趣旨のエッセイがある。これは彼が雑誌「世界文化」の同人であったということで、特高に捕まって取り調べを受けていたときのことである。
武谷三男を決して名文家だとは思わないが、彼の書く文章には何か人を惹きつけるところがある。それは彼が経験した思想の冬の時代のせいかもしれないし、彼が音楽や文学や演劇をこよなく愛した文化人だったことにもよるのだろう。
一方では彼は舌鋒鋭い、論争にも強い論客でもあった。彼が悪く言わない、人はごくまれであり、羽仁五郎とか湯川秀樹、坂田昌一とか久保栄とかそれぞれ一級の人物である。
彼に私淑した多く方は彼の論理の潔癖さについていけないとか論のキツサについていけなくなったと感じた物理学者も多かったのだろう。
そこらあたりがよくわからないのだが、武谷には仲間うちの研究者への期待が大きかっただけに彼の論理のきつさがでたのかもしれない。