今年のはじめにはマッコリはまだ朝鮮・韓国料理のお店で飲まないと飲めなかったが、最近家の近くのスーパーでマッコリを売っているのを見かけたので一瓶を購入した。
まだ開けて飲んではいないが、そのうちに飲むだろう。韓国人の人がやっているお店で子どもたちとマッコリを飲んだのはまだ少し寒い3月のことだったろうか。
その前に近くの酒屋さんでマッコリはあるかと尋ねたが、そのときにはマッコリをおいてはいなかった。
それが半年もしないうちにスーパーでマッコリを650円で売っているのを見かけるようになったとは驚きである。この地方都市でも時代の風は吹いてきている。
そういえば、指揮者の小沢征爾さんが朝日新聞で中国の友人との間にすきま風など吹いてはいないと述べていたのが、印象的だった。
お前の政府と俺の政府の間には意志の疎通があるかもしれいないが、それは政府間同士のことで俺とお前の間にはそんなものはみじんもない。そう思っているし、そうだと決然と述べていた。たぶんそれは正しいだろう。
妻の高校の同級生で美術をやっている人があるが、彼は韓国人も中国人も分け隔てなく一緒にいつも展覧会をやっている。
それこそ、それはお前と俺の政府のわだかまりではあるかもしれないが、私たちの間のわだかまりではないというように。彼は長年フランスに住んでいたからそういうところがあるのだろうが、やはり国と国の争いには超越している。
そして、彼の教え子の女性は韓国の絵を描く男性と結婚したとか聞いている。そして、彼はときどき韓国の大学や美術界から呼ばれて韓国にも出かけている。
芸術の分野は音楽も含めてやはり普遍的なところがあるのだろう。これは科学だってそうだろうと思う。
昔、Pugwash会議が始まったのも政府が意見が合わなくても科学者は科学的な事実についてはお互いに認め合うことからはじまるので合意が得られだろうということから、その会議がはじまった。
姪の子が深圳のカナダ系の高校に通っている。日本のスーパーの襲撃等があったときにやはり中国の友人の保護者から傷害事件等が起こったらいけないので、そのときに通っていた剣道道場へ通うことを控えた方がいいのではとの助言をもらったという。中国人だって個人的にはそういう風なのである。
現在は世界はどこの国も単独で生きてい行くことなどできない時代である。相互依存が強くなっている。あなたが生きられないようだと私たちも生きられないのである。