外国語辞書の訳が最近こなれた現代的な訳語になっている。
私が知っている辞書はドイツ語とフランス語くらいしか知らないが、木村・相良の『独和中辞典』(博友社)とかを学生の頃に使っていたが、訳語が今から見るととても古かった。
最近の大学生の学習用の独和辞典などもこなれた訳になってきている。フランス語の辞典にしても私の学生のころには大修館の『仏和辞典』がいいとのことで先生から勧められたが、いまでもときどきは引いてみることがあるが、もう訳語が古い。
もっともこの辞書も多分改訂されているのだとは思うが、少なくとも新しい版をもっていない。それに比べて『Le Dico現代フランス語辞典』(第2版)(白水社)などは訳語が現代的になっている。
もちろん、訳語が古くてもいいとか言われる辞書が存在することも事実であるが、なかなか自分では実感ができていない。たとえば、斎藤秀三郎の『英和中辞典』(岩波書店)はいつだったか朝日新聞で古いけれどもちょっと他に代えられない辞書として紹介されていた。
もっともその実感を自分でいまだに感じることができていない。
中学校のころに学習塾に通って英語の手ほどきを受けたのだが、このときの老先生が斎藤秀三郎のことをいつも賞賛していたのを覚えている。そして斎藤秀三郎の『和英大辞典』をどこかの書店主がお金の払いは後でもいいから、「持ち帰っていいよ」と言われたときには飛び上がって喜んだと話してくれたのを今でも覚えている。
この老先生は旧制の中学校しか出ていなかったが、愛媛県のどこにもまだ中学校が開校されていなくて、岡山の中学校まで学びに行った方であったが、その中学校にはもちろんイギリス人の先生がいて、そのイギリス人の先生のごひいきの生徒であったらしい。
だから今で言うとその老先生は大学教育で英語を専攻したくらいの学力であったと思われる。さらに中学校の数学もその先生から学んだので、私はそこで多くを学んだことになる。
この武田先生(白星堂)は実は私の母が女学校の受験のときに学んだ先生であったから、経験豊富で、教え方も上手であった。